吸血鬼と童帝
あの不正報告からおよそ半年が経過した。現在の進捗状況は、戸籍調査が全体の5分の1を完了した。
調査完了まではまだまだ時間がかかりそうだが、そろそろ調査している家臣団も仕事に慣れてきているだろう。
実際に作業速度は速くなってきているのでなんとか2年以内には完了できるかな?
不正に関しては元々我が領が貧乏だっただけあり、更正しても浮いた経費は1000エキューにもならない微々たるものだった。
しかし塵も積もれば山となるという言葉通り、次々と発覚する大量の不正をまとめれば結構な額になる。
ここまで多くの不正があると僕も父さんも怒りを通り越して呆れの境地に達していた。
得られる利益なんて少ないのによくもまあ、危険を承知で不正なんてやるものだ。
輪栽式農業による農業の改善については今のところ大した効果は出てきていない。
まあ、半年足らずで効果が出るなどとは僕も父さんも思ってないので、この件については大して気にしていない。
そういえば不正発覚によって浮いた経費のおかげで、輪栽式農業の要となる地力回復のための牧草の種が予定量よりも多く購入できたようだ。
僕は余剰分の牧草を使用していない土地で育てる事による堆肥の取得量の増大を図った。
牧草の育成には手間がかからないので領民の負担は最小限で済むし、農作業の邪魔にもならないはずだ。
そんな小さな手間に対して得られる大量の堆肥という利益は見逃せない。
父さんも賛成してくれてすぐさま牧草の育成に取り掛かったようだ。
うまくいけば2,3年後の収量は増加できるかもしれない。
まあ、始めたばかりなので増加するとしても1割にも満たないだろうが。
僕、アリストことアリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールは自室の机に座りながら読んでいた改革の経過が書かれた書類から視線をはずし、窓の外を見た。
蒸し暑かった夏が過ぎようやく涼しい秋がハルケギニアにやってきたはずなのだが、今日の天気は快晴のようで夏の暑さがぶり返してきている。
窓の外から庭にある畑を眺めると、そろそろ収穫の時期が近づいていることもあり小麦が穂をつけて時折ふく風でなびいていた。
その穂は土地が痩せている事もあり、あまり実りが良いとはいえなさそうだ。
いつかは枝が大きく垂れるほど実らせたいものだなあ。
少しでも食費を賄うために領主館の庭で大々的に畑を作っている THE 貧乏貴族 の事実から目を逸らしつつそんなことを思っていると、書類と筆記具しか置いてなかった僕の机に音も無くカップが置かれた。
中身は冷ましてある紅茶のようだ。
「アリスト様、少し休憩を挟まれてはいかがでしょうか」
カップを置いてくれた侍女、サラは僕を気遣うように声をかけてきた。
僕はチラリと部屋にかけてある時計を見る。
ふむ、確かに書類を見始めてかれこれ2,3時間は経っているし書類に一段落が着いたところで彼女の言うとおり休憩を挟むのも悪くはない。
「ああ、ありがとう。そうさせてもらうよ」
そう言ってカップに口をつけると水のトライアングルメイジである彼女が魔法で冷やしてくれたらしく、程よく冷えた紅茶がのどに染み渡る。
あー・・・暑い日は冷えているだけでどんなでも飲み物でも極上のワインに勝るとも劣らないものになるね。
紅茶を飲んで休憩している僕を見ながらサラは優しく微笑んでいる。
絶世の美女が淹れてくれた紅茶を飲みつつ、その時美女に見守られながら休憩する僕・・・
もしかして僕って勝ち組じゃね?
前世で散々嫉み、羨望し、憤怒し、呪殺してきた勝ち組という奴じゃないですかい!?
まだ童貞だけど!
元大魔法使いだけど!!
現
まあ、いいか。
僕は一瞬思考を支配しそうになった考えを捨て、穏やかにこちらを見つめるサラを眺めながら酷使していた脳を休ませるのであった。
「アリスト様、日々養って頂いている身で大変言い辛いのですが、折り入ってお願いがあるのです」
休憩中、サラがいきなりそんな事を言い出した。彼女は申し訳なさそうな表情で僕を見ている。
半年間彼女と共に過ごしてきて分かったのだが、彼女はとても真面目で誠実な女性だ。
命の恩人に、仕事をしているとはいえ衣食住を保障してもらっている現状、僕に頼みごとをするのは彼女にとって回避したい事だったのだろう。
その表情からは苦悩が見て取れる。
「どうしたんだい?
とりあえず遠慮せずに言ってごらん」
僕は努めて優しい表情で彼女の言葉を促す。彼女の生活を保障すると言った以上、彼女に不自由な思いをさせるわけにはいかない。
いや、貧乏な時点で不自由な思いをさせているとは思うけどね!!
「はい・・実は半年前にアリスト様に私が救われて以来血を全く口にしていないのでアリスト様の血を分けて頂きたいのです」
・・・・・・えっ?
お嬢さん、血ですかい?
あの後、当初こそ混乱状態にあった僕だが、何とかサラの事情を把握できた。
サラ・・・というかサラの両親も含めた家族全員が定期的に血液を摂取していたらしく、それを怠ると身体能力が衰え体に様々な障害が発生するらしい。
なんだよそれ、完全に吸血鬼だろ。
森の中にいた時は、サラたちに好意的な森に住む翼人の女性から血液を貰っていたらしい。
父親は男性から貰っていたようだ。
翼人すか?
あの森に翼人が住んでいたなんておじさん知らなかったよ。
そこはかとない面倒事の香りがしますよ?
というか話を聞く限り同姓からしか吸血できないんじゃないのか?
サラが同姓からしか吸血しないのはむさい男の血は生理的に無理だからだそうだ。父親の場合は母親が強制的に男の血を飲ませていたらしい。
だが僕の場合は子供だし、自分の主だから大丈夫らしい。
生理的に無理とか言うなよ。同じ男として悲しくなる。
というか君、ショタコンだったのかい?
「うん、君の事情は分かったよ。そういうことなら了解した。僕の血を飲むと良い。
ただ、君が吸血鬼だと言う事は僕以外の誰にも言わない事。分かったね?」
僕がそう言うと彼女は嬉しそうに了承の意を僕に伝えた後、僕の首筋に噛み付いた。
痛かったです。
彼女に血を与えた後は急激な失血による
僕にとっては失血よりも森に翼人が住んでいたという事の方が眩暈を感じるよ。
ああ・・・・父さんになんて言おうかな?
サラに翼人の詳細を尋ねると、快く教えてくれた。彼女は血を飲んだせいかなんだか気分が高揚しているようだ。今は酔っ払い親父と似たような雰囲気だ。
翼人たちは全部で800人ほどの規模らしく、ゲルマニアとの国境に近い場所で生活しているようだ。
確かゲルマニア側の領主はザクセン辺境伯だったはず、領地の広さは我が家と同等程度で領民は我が家の6倍ほど・・・30万人程度だった気がする。
翼人たちは元々の住処を70年ほど前、そのザクセン辺境伯に奪われたので森の中に住処を移したらしい。森の中で作物を育てたり、木の実を収穫したり野生動物などの狩をしながら暮らしているようだ。
・・・ふむ、800人か。
もしも翼人たちをうまく支配下に出来れば、森の奥地に群生する貴重な植物を大量に、尚且つ恒常的に収穫できるルートが手に入る。
彼らに貴重な植物の育成をしてもらえれば、森林資源の枯渇に怯える心配もない。
彼らは元々の住処を追われたから、わざわざ住みづらい森の中に住んでいるんだ。
彼らの意識の根底には70年前、ザクセン候に住処を追われた恐怖があるはずだからそれを突いてやり、こちらが甘い餌を用意すれば案外簡単になびくかもしれない。
餌は翼人の住処を領内の森の外に移す事と彼らの保護だな。幸い広さだけが取り柄の我が領なら、住む場所に困る事はないだろうし、耕作地を森の中から移してきても広大な我が領はそれを意図も簡単に受け入れる事ができる。
運が良いことに、凄まじく貧乏でエルフに対する防壁である我が領にはブリミル教の教会は存在しない。
利益主義の奴らは何の利益ももたらさないどころか、エルフの脅威があるデュステール領には近づこうともしない。
まあ、エルフとの聖戦になった時、真っ先に聖戦の元凶たる教会はエルフたちに狙われるだろうから当たり前と言えば当たり前だな。
例えこんな場所に教会を造ったとしても、司教なんて誰もなりたがらないだろう。
そのお蔭で領民たちはブリミル教なんて全く信じていないので、翼人が安全な種族である事を教えればすんなり受け入れるだろう。
というか、過疎状態のデュステール領では違う集落とは交流する気が無ければ存在すら知らないほど、人々の移動が少ない。
翼人が反乱でも起こさない限り我が領が彼らを拒絶することはないだろう。
いや、むしろこの際ハルケギニアに存在する全ての翼人の保護を約束してしまっても良いかもしれない。
彼らは先住魔法を操り、自力で飛行できる優秀な労働力だ。ただ領内に住む事を了承しただけで彼らを配下に出来るのならば、それはとても魅力的だ。
問題点として、彼らを集めると結束して反乱を起こされかねないところだが、領内に住処を分散させたり段階的に人間の集落に混ぜていけば結束する確立は低くなる。
まあ、今こんな事を考えても取らぬ狸の皮算用だ。早速今夜の夕食の席で父さんに提案して見よう。
うまくいけば、効果はでかいが諸々の事情で提案できなかった改革案の足がかりになるかもしれない。
なんだか気分が高まってきましたよ!?
なんだか興奮してきた僕は無駄にテンションが高いサラと一緒に外に出て年甲斐も無くはしゃぎまわった。
アリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステール、前世での名は橋本渉、職業研究員、享年42歳。
前世も含めて50歳になる、ある日の午後、庭でメイドと奇声を発しながら騒ぐ今日この頃。