翼人との交渉
翼人の存在を知ってから数日、ようやく父さんを説得できた僕、アリストことアリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールはサラを連れて森の上空をフライで飛行していた。
翼人達の保護で父さんを説得するのには骨が折れた。
翼人はエルフとは比べ物にならないが、それでも人間からは嫌悪感情を抱かれている。
領内に教会が存在しないのでブリミル教なぞ内心では全く信仰していない父さんだが、翼人たちを領内に堂々と居住させる事による貴族社会と教会からの嫌悪感情を恐れていたようだ。
しかし元々王宮での影響力は領地を持たない底辺の騎士階級と同等かそれ以下である名門侯爵家のデュステール家にとっては、そんなもの痛くも痒くもない。
王宮から出ている補助金は国防上不可欠なものなので削減される心配はないし、デュステール領に食糧を輸出している他領主達にとっても、わざわざ定期的に入ってくる高収入を捨てることはしないはずだ。
もしも我が領に対する輸出を停止すれば、我らだけでなく大量の行き場を失った食料を抱える事になる彼らも大いに困る事になる。
教会は辺境で危険地帯であり貧乏な我が領には今と変わらず目を向ける事すらしないだろう。
翼人を保護する事に対する貴族社会や教会からの被害なんて実質的に無いのと同じである。
そもそも行商人すら来ない辺境である我が領には、聖戦が起こらない限り外から目を向けられる事はない。
精々が食糧を輸入する時に数百名の人間が領主館のある町という名の村に来るだけだ。
翼人たちの住居の場所さえ注意を払えば外部に知られる事はないだろう。
父さんに翼人を保護した場合の利益と問題点をこと細かに説明して、問題点が翼人の反乱防止に注意をするだけだということをようやく納得してもらえた。
やっとの事で父さんに了承してもらい、制限付だが交渉の全権を任された僕は翼人との橋渡し役を頼んだサラと共に彼らが住む森の奥地へと向かっているのだ。
父さんは僕たちに護衛をつけると渋っていたのだが、翼人の住居を往復するだけでスクウェアでないメイジは精神力の大半を使用してしまい大した戦闘力を持たないので断った。
それに自分で言うのもなんだが、スクウェアメイジである僕とサラはデュステール家の最高戦力である。
貴重な草木の採取も最近は僕だけで行っていたし、護衛をつけることにあまり意味を感じられない。
そんな訳で僕はサラと2人だけで向かっているのだ。
サラの道案内で見つけることができた翼人の住居は、僕がいつも草木の採取をしている場所から4,50kmほどゲルマニアよりの場所に存在した。
30mを越す木々の上に建造された彼らの家々は、上空からの発見を阻害する為に草木によって周囲の景色に擬態していた。
周到に擬態しているため注意して見ないと見過ごしてしまいそうだ。サラの案内が無ければ見つける事は困難を極めただろう。
僕たちは集落から少し離れた場所に着地し、そこから歩いて向かった。
いきなり集落のど真ん中に降り立ってわざわざ彼らを刺激するのは危険が高い。
僕とサラが集落に到着すると、地上で大麦らしき作物が栽培されている畑の世話をしていた翼人の女性が駆け寄ってきた。
「マリール!!」
女性に気づいたサラは手を振りながら女性の名前を呼んだ。喜色に染まったサラの表情を見る限り友人なのだろうか?
女性もサラの名を呼んだと思いきや、駆け寄ってきたそのままの勢いでサラに抱きついた。
吸血鬼らしく優れた筋力を持つサラでも流石に成人女性の強烈なタックルは受け止め切れなかったらしい。
サラは女性に押し倒されるような形で地面に背中から倒れた。
幸い地面には背の低い草が大量に生えており、それらが倒れた衝撃を吸収してくれたようで、サラの表情には驚愕の色こそあるものの苦痛の色はない。
サラは暫くぶりに会った知り合いによるタックルに動揺しつつも、上半身を起こして何故か声を上げて泣いている翼人の女性に話しかけた。
「ちょっとマリール、久しぶりに会ったのにいきなり人を押し倒して更には大泣きするなんてどうしたの?
もしかして暫く会わない間に何かあったの?」
サラは女性の頭をあやす様に撫でつつ話しかけるが、女性はただ泣くばかりで話が出来る様子ではない。
結局、騒ぎを聞きつけた他の翼人が来るまでサラは彼女に泣きつかれているままだった。
えっ、僕かい?
僕は場の空気を読んだので存在が空気になってましたよ。
ふふ・・・我ながらうまい事を言ったと思うんだがどうかね?
どうやら集落ではサラは死んだと思われていたらしい。
まあ、家は壊れ2人分の人の死体と大量のオークの死体があり、半年以上消息を断っていたのだからそう思われても仕方のない状況だ。
翼人の女性を泣き止ませたり、僕が人間だと気づいて騒ぎになりかけたりと様々なハプニングが発生したが、幸いサラのお蔭でなんとか集落の長と交渉の席が持てた。
僕は他の家となんら変わらない一軒の家に案内され椅子に座っている。
目の前にいる白髪混じりの赤髪を持った老人がこの集落の長であり、先ほどから僕の後ろで立っているサラに対しては深い慈しみが籠められた視線を向けているが、打って変わって僕には値踏みするかのようにジロジロと無遠慮な視線を向けている。
一応、見た目は10歳にも満たない子供なんだしそこまで露骨な態度は取るなよ、と言いたい。
僕は出された飲み物をほんの少し口に含んだあと、交渉を始めた。
「私はこの森を領地に持つガリア王国の貴族、デュステール侯爵家が嫡男アリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールだ。
今回は突然の訪問に関わらず交渉の席を設けて頂き感謝する」
僕が始めの挨拶を言うと、老人も交渉の体制に入ったのか多くの経験を感じさせる不敵な笑みを浮かべつつ口を開く。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。私はこの集落の代表をやっているクルムです。
本日はこのような場所にわざわざ足を運ばれるとは、一体どういった御了見ですかな?」
クルムと名乗った老人の眼光に鋭さが増した。その眼光からは老人の強い意志が感じ取れる。
もしこの場で僕が70年以上前に翼人たちを追放したゲルマニア貴族と同じ判断をするのならば、争いも辞さないという意志がヒシヒシと伝わってくる。
正に追い詰められた者の眼光だが、恐らくこの森は人間達から迫害を受け続けてきた彼らにとって最後の住処なのだろう。
実際にこの森から追放されれば彼らに待っているのは砂漠という不毛の大地であり、そこでの生活はエルフのように高い技術力と巨大な労働力を持たない限り厳しいものとなる。
「ははは、クルム殿が心配なされている様なことではないので安心して欲しい。
私は貴方たちと争いに来たわけではない。ただ提案をしに来ただけだ」
「提案、ですかな?」
僕の言葉を聞き、眼光の鋭さはやや緩んだが、今度は表情に疑問と不安の色が浮かんでいる。
クルムはまるで助けを求めるかのようにサラの方をチラチラと見るが、あの娘はいくら親しいからと言っても主人の交渉相手に情報を与えるほど分別を持たない娘ではない。
彼がいくらサラを見ようとも何も起こりはしないだろう。僕は構わず話を続ける。
「ええ、領主たるデュステール家に税金を納めて頂くことはもちろんですが、我々はこの森の奥地に存在する植物たちに一定の価値を見出している。
しかし採取手段が限られているお蔭で安定的かつ大量の採取が難しい状況なのだ。
更にはいずれ植物を採り尽くしてしまい、森林資源の枯渇も恐れている。
そこで貴方たちに我々が指定した植物を採取し森の外まで運んで欲しい。
それと並行して植物が枯渇しないように君達の手で栽培して欲しいのだ」
老人は驚きでわずかに目を見開いていた。この驚きはこちらの要求が軽い事でなのか重い事でなのか判断がつかないな・・・・・・
「なるほど、そちらの要求は分かりました。
その要求に従っている限り我らはこの森で生活する事が認められるということでよろしいのですかな?」
おお! どうやらこの老人はこちらの一方的な要求に対してこの森に住むことを認めるだけで了承するらしい。
すばらしいね。
だが、それではいかんのだよ。そんな事ではデュステール家は高々年間数万エキュー程度の利益で満足してしまう。
そうなってしまってはもっと高みを目指せないし、今後の領地育成計画にも支障をきたしてしまう。
「いえ、それではこちらばかり利益が出て
老人が再び驚きで目を見開く。先ほどよりも見開いた目が大きい事から、その驚きの度合いが分かる。
まるで今までずっと軟派なチャラ男だと思っていた奴が実は『年齢=彼女いない暦』の童貞だったと判明した時の大賢者殿のようだ。
そういえばあの時の童帝陛下は、初めから判っていたかのようにただ頷いていただけだった。
今では自分も童帝となったが、あの時の陛下のように自信と誇りに満ち溢れ、毅然としているだろうか・・・
僕はチラリと後ろに佇むサラを見る。
彼女はずっと僕を見ていた。その瞳には親愛や信頼、そして焦れるかのような憧れが伺えた。
それはかつて僕が・・いや、僕たちが陛下やその右腕たる大賢者殿に向けていたものと同じだった。
どうやら彼女の前では僕は童帝として足り得る存在らしい。
こんなにも僕を慕ってくれる臣下の前で、情けない姿は見せられないよな!
「デュステール家はこの集落はもちろん今後、我が領の領民になることを選択した全ての翼人を保護する事を約束しよう」