従者の思考と交渉の結末
「ははは、クルム殿が心配なされている様なことではないので安心して欲しい。
私は貴方たちと争いに来たわけではない。ただ提案をしに来ただけだ」
丸太をそのまま活用した粗末な椅子に座りアリスト様はそう仰った。
アリスト様の言葉を聞いた翼人達の代表者、クルムさんは訳が分からないといった風な困惑の表情を浮かべている。
クルムさんにしてみれば、人間は自分たち翼人の排斥を当然としている。
そんな人間が翼人に対し領地から追放するのではなく提案を持ちかけてきたのだからクルムさんが驚くのも無理はないと思う。
「提案、ですかな?」
クルムさんが疑問の言葉を声にした。
そしてチラチラとアリスト様の後ろに控えている私に視線を送る。
交渉の場で有益な情報を持たない彼は恐らく私に何らかの反応を求めているのだろう。
クルムさんには今までお世話になったので助けてあげたいところだが、今の私はアリスト様の従者という立場にいる。
主の交渉相手であるクルムさんを私情で助けるわけにはいかない。
私は申し訳ない気持ちを抑えて、そっとクルムさんから視線を外した。
私から何も引き出せず、クルムさんが困惑したままでもアリスト様との話は止まらない。
「ええ、領主たるデュステール家に税金を納めて頂くことはもちろんですが、我々はこの森の奥地に存在する植物たちに一定の価値を見出している。
しかし採取手段が限られているお蔭で安定的かつ大量の採取が難しい状況なのだ。
更にはいずれ植物を採り尽くしてしまい、森林資源の枯渇も恐れている。
そこで貴方たちに我々が指定した植物を採取し森の外まで運んで欲しい。
それと並行して植物が枯渇しないように君達の手で栽培して欲しいのだ」
アリスト様の要求を聞いたクルムさんは驚きでわずかに目を見開く。
クルムさんは人間の出してくる要求はもっと突飛なものだと思ったのだろう。
クルムさんから昔聞いた話だが、人間が翼人を排斥せずに管理下におく場合は使い捨ての道具として扱うようで、翼人達の生存を無視した要求を言ってくるそうだ。
しかしアリスト様の要求は翼人たちにある程度負担がかかるし、恒久的なものだが決して翼人達の人口を消耗させるほど過酷なものではなかった。
今まで人間に排除すべき厄介者として扱われてきた翼人のクルムさんが驚くには十分だろう。
クルムさんの表情は困惑の色がだいぶ薄れ、微かに希望が見えた。
「なるほど、そちらの要求は分かりました。
その要求に従っている限り我らはこの森で生活する事が認められるということでよろしいのですかな?」
「いえ、それではこちらばかり利益が出て
クルムさんは交渉が始まった時と比べて明るい表情で交渉をまとめようとしたが、アリスト様の言葉でクルムさんの目がまた驚きで見開いた。
私も予想外の発言につい驚いてしまう。
半年ほどアリスト様と共に生活しているが、彼は優しいけれど得られる利益は根こそぎ吸い取る方だと思っていた。
決して必要でもないのに自分の持っている利益を相手に分けるようなことはしないはずだ。
私が戸惑っていると、アリスト様は顔の向きをずらしチラリとこちらに視線を向けた。
一見、その瞳からは何も読み取れず底知れない恐怖を抱くが、良く見るとほんのりと彼の優しさが感じ取れる。
10歳にも満たない少年のものとは思えないほどの理性が秘められた彼の碧眼に私は思わず見入ってしまった。
その瞳を見るだけで根拠のない安心感を抱いてしまう・・・・・・
アリスト様は今、どのような事を考えているんだろう。
私を見つめる彼の瞳からは何も知る事はできないが、この聡明な主の事だ・・きっと私では到底理解できないようなことを考えているんだろうな。
そしてそれまで感情の色が薄かった彼の瞳に突然明確な意思が現れた。
彼は私から視線を外し、顔を元の位置に戻した。
「デュステール家は・・・この集落はもちろん今後、我が領の領民になることを選択した全ての翼人を保護する事を約束しよう」
アリスト様の言葉を聞いた瞬間、私は大きな驚きを感じると共に目の前の小さな主が持つ底知れない器を確かに感じ取れた。
「ふぅ、疲れた」
僕は自室のベッドに体を投げ出しつつ呟いた。
翼人との交渉は
僕の要求は全て受諾され、僕が彼らを保護するという提案は交渉相手の老人が涙を流すほど喜んでいた。
老人は早速デュステール家が翼人を保護するという情報を他の翼人の集落に伝えると言っていたので、我が領の翼人人口は加速度的に増加する事だろう。
老人は『我らが出来る事ならば全身全霊を持って応えよう』と言ってくれたので、翼人というハルケギニアでも屈指の移動力を持った労働力が、想定した中でも最高の条件で手に入った。
これからは領地整備においてもある程度手を出すことが出来るようになるだろう。
領地整備において目下の課題はゲルマニアとの交易線の確保だ。
現在、全ての交易相手が怨敵であるセリューネ公爵家の派閥である。
これでは自給できないデュステール家の命綱は彼奴らが握っているも同然で、デュステール家にとっては面白くない状況だ。
このままではデュステール家がセリューネ家の傘下になるのは時間の問題であり、数年後には僕が公爵家の4女と結婚する事で派閥に組み込まれる事になっている。
それを防ぐためには食糧生産を増加させて自給可能になると共にセリューネ家の派閥を通過せず、尚且つ輸送費が高騰しない交易ラインを確保するしかない。
今までは亜人が盛り沢山でデュステール家の財力と軍事力では開拓できなかった巨大な森と3000m級の山脈が邪魔だったので、ゲルマニアとの交易線は確保できなかった。
しかし飛行可能な労働力を手に入れた今、森は無理だが、山脈にならば街道を造ることが可能なのだ。
人間では険しい山道を登り命の危険を伴う山肌での作業だが、翼人にとっては少し面倒なだけの作業になる。
まあ、翼人の数は今のところ800人程度しかいないので作業は遅々として進まないだろうが、幸い制限時間である僕の結婚までには時間があるんだ。
金さえかからないならば、僕はゲルマニアとの街道の建設を推し進めよう。
今の時間はすでに22時を過ぎている。
父さんに街道建設の話をするのは明日の朝食の時にでもしようかな。
お金は最低限しかかからないし、新たに税収も増えたので父さんも了承してくれるだろう。
僕は明日どうやって父さんに説明するか考えながら、襲ってくる睡魔に身を任せ意識を失った。