春の陽気と穏やかな散歩
僕、アリストことアリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールは9歳になった。
翼人との交渉から既に半年が経ち、度重なる改革により慌しかったデュステール家の雰囲気も大分落ち着いてきた。
改革前、耕作地以外は荒れた土地だった領内は、牧草が生い茂るただの草原にまで回復した。
牧草による堆肥で地力が回復したお蔭なのか、作物の実り具合も改革前に比べて良くなりかけている気がしないでもない。
何分、農地改革から1年しか経っていないので僕にはあまり違いが良く分からなかった。
戸籍調査の方はようやく領民の半数が完了した。
不正の報告は相変わらず止まる様子を見せない。
恐らく集落同士の交流が無さ過ぎるせいで、各集落の役人同士の連絡を取っていないのだろう。
この事実は領内の物流や人の移動が如何に寂れているか分かるのだが、今はありがたいと思っておこう。
そうそう、森に住んでいた翼人たちだが、やはりあのまま森に住み続けるのは辛いらしく、森の近くに集落の一部を移動した。
どうやら段階的に移動するらしいが、今年中には集落全体が森から出て行くことができるだろう。
我が領に来る領外の人間は食料の輸入以外悲しい事に存在しないので、幸い翼人達のことは領外には知られていない。
知られたところで影響は何も出ないと思うが、現状はまだ他領との関係に波を立たせたくはない。
僕は9歳になってから父さんに押し付けられた書類仕事をこなしつつ、窓から入る春特有の穏やかな日差しで感じる眠気と泥沼の戦いを繰り広げる。
戦況は、サラが入れてくれた渋い紅茶によりなんとか戦線を支えている状態だ。
今はフェオの月、エオローの週、ダエグの曜日だ。
地球の暦に直すと4月24日になる。
前世ではまだ寒さが少し残っていた時期だが、砂漠に近いデュステール領では5月中旬の陽気だ。
思わず気が緩んでしまう。
「・・・・・・ぅおう」
一瞬の気の緩みで戦線が崩壊しかけるが、手遅れになる前に立て直す。
残り4枚の書類を片付ければ、この戦いは終わるんだ。
頑張ろう。
僕は半分ほど残っていた紅茶を一気に飲み干して仕事に取り掛かった。
苦労の末に書類を全て片付け2時間ほど惰眠を貪った僕は、夕食まで大分時間があるのでサラを連れて散歩をすることにした。
我が家にある本を読みつくし、魔法に関してもあまり伸びなくなった僕の暇つぶしは散歩くらいしかない。
自室を出て無駄に長い廊下を歩く。
規模こそ名門侯爵家の名に相応しい我が家だが、装飾や置物などは全く置いていない。
1つの絵も飾っていない廊下の白い壁や高価な置物どころか花瓶すらなく障害物が存在しない広々とした廊下は、見る者に寂しさや物足りなさを惜しみなく与える。
「我が家の廊下は何年も見ているが、広々として歩きやすいと常々思っているんだよ。
サラ、君もそう思うだろ?」
HAHAHAと笑いながら僕はブラックジョークをかます。
「はい、私もアリスト様と同じ考えです。
それに例え装飾が施されていたとしてもそれら全ては、アリスト様の輝きの前ではただの障害物でしかありませんからね」
言葉だけを聞くなら、僕のジョークに対しサラもジョークで返したと思うだろう。
もしそうなら僕はここでHAHAHA!!と快活に笑うところなのだが、彼女の目は本気であり、口調も笑いを誘うようなものではなかった。
「はははっ」
僕の口からは乾いた笑いしか出ない。
サラが先ほどのようにことあるごとに僕をワッショイし始めたのは翼人との交渉が終わってからだったと思う。
あの日を境にサラの僕に対する忠誠心が跳ね上がった気がする。
僕の部屋があった2階から階段を使って1階に降りつつ、忠誠心が上昇した原因を考えるが階段から降りた時にはどうでも良くなった。
正面玄関から外に出ると、もはや外聞を気にして隠そうとする意思など微塵も感じられない広大な畑が広がっている。
今はちょうどカブの収穫時期であり、庭と言う名の畑でも手隙の侍女や兵士たちが収穫作業を行っている。
畑の脇道を歩いていると僕に気づいた人たちから何度か声をかけられ、その度に子供らしい愛想笑いを返しておいた。
サラはというと、密やかな想いを秘めているのであろう若い兵士たちからチラチラと視線を向けられ、少し鬱陶しそうだ。
まあ、サラほどの美人を気になってしまう男性諸君の気持ちは分かるが、次期領主である僕よりもそちらに気を向けるのはどうかと思う。
それから2,30分ほど歩いているとようやく畑を抜けた。
歳入の半分を軍事費に費やしているだけあり、そこからは一気に軍事色が強くなる。
竜を飼育している巨大な竜舎が2棟建っており、そこにはデュステール家が保有する全ての風竜20頭がいる。
竜は飼うだけでも膨大な食費を消費し、さらに竜に装着する個体ごとに専用の鎧を用意せねばならず、フネに次ぐ金食い虫だ。
竜舎の他にも、近くを流れる川から水を引いてきて造った人口の巨大な湖には10隻のフネが停泊していた。
小規模な都市国家ならば単独で制圧できそうなあの艦隊が、デュステール家が保有する全艦艇である。
文句なしでデュステール軍最大の金食い虫である艦隊は、独特の威圧感を放っており見ているだけで心が沸き立つ。
しかしデュステール家の財務を把握しているものとしては、誇らしさと憎たらしさ、その他諸々が混ぜ合わさった複雑な感情になる。
「いつ見ても艦隊は立派だねぇ」
「はい、あの艦隊が空を飛んでいるところなど圧巻でしょうね
私は生まれてからほとんどの時間を森で過ごしたので、フネを知った今でもあれが飛ぶ光景など想像もできません」
そっかぁ、我が領の風石採掘量が現状の3倍になればもしかしたら見れるかもしれないね。
キラキラと瞳を輝かせ、期待を膨らませた子供のような様子で艦隊を見つめる彼女にそんなこと言える訳もなく、僕は無難な返答で場を濁した。
確かサラは今年で24歳だったはずだよね?
普通立場が逆だと思うのは僕だけだろうか。
しかし艦隊も凄いが、湖自体も僕は気に入っている。
確か9回くらい前の聖戦で艦隊の停泊地として建造されたあの人工湖は、聖戦の度に拡大をされて今の大きさになったのは3回前の聖戦の時だそうだ。
その湖は停泊地を使用目的とした人工湖だけあり、岸が全て整えられており風情の欠片もない。
だが、そこが良い!
そんな人工湖の近くに寂れた巨大な建物がある。
あそこは造船所で、聖戦時は数百隻にもおよぶフネの修理や整備をし、新造艦の建造も行っていたそうだ。
今はそんな気配すらなく、年に数回ある艦隊の整備以外には利用されていない。
人工湖の近くは造船所の他にも剣などの整備製造を行う鍛冶場や兵士たちが生活している兵舎が存在している。
鍛冶場ではデュステール家で使われる剣や槍などの武器が作成されており、ある程度はそれらを他領に売っている。
希少植物を採取する以前は、それら武器が我が領の主要輸出品だった。
まあ、それで得た利益も食料購入費に飲み込まれるんだけどね。
鍛冶場では銃も作れるのでゲルマニアのものには勝てないが、それなりの技術力は持っているのだろう。
デュステール家は領内に一通りの軍事施設が揃っており、ある程度の技術力を持っている。
資金さえあれば、市場でもある程度は太刀打ちできるようになるだろう。
僕は今後の構想を考えながら歩いていると、いつの間にか道からそれていたようだ。
道と言っても、少し手入れがされている程度で、他とあまり変わらないので気がつかなかった。
別に散歩なんだしこのままでも構わないだろう。
僕は見渡す限りの牧草を眺めながら歩を進めた。
なんだか最近、畑以外はあらゆる場所に牧草が植えてある気がする。
まさか全てを畑にするつもりはないだろうが、植えた人たちは一体どういった意図で植えているんだろう?
もしかしたら領内全てを畑にすることを目指しているのだろうか。
まあいいや。気にするほどでもない。
大変な事になるわけでもないし、牧草で地力が回復してくれるのは単純にありがたいだけだ。
いつか財政に余裕が出来たら牛や羊を買って畜産とかもやりたいなぁ。
そうすれば領内に新たな産業が芽生えるし、その結果財政も少しはマシになるだろう。
今は少しずつしか歳入は増えず、その分改革も小さなものに限られてしまう。
あと何年たてば大規模な領地改革に取り掛かれるのだろうか。
「アリスト様、そろそろ時間では?」
僕が物思いに耽っているとサラが時間を知らせてきた。
太陽も少し暗くなってきたので、そろそろ帰らなければ夕食に遅れてしまうかもしれない。
もしそうなったら母さんに怒られてしまい、それだけはなんとしても避けたい。
僕は