公爵との談話
盛況だったパーティーは終わり、セリューネ公爵邸に静かな夜が訪れた。
パーティーに参加した貴族の多くはそのまま公爵邸に宿泊し、明日各自の領地に戻る事になっている。
その中にはもちろんデュステール家も含まれており、僕と父さんはそれぞれ個室を与えられていた。
僕は家での自室とは比べ物にならないほど装飾品の多い豪奢な部屋にて、程よい弾力を持ったソファーに腰掛けながらテーブルに置いてあった色とりどりの果実を食べていた。
今夜はセリューネ公爵との会談があるので、彼からの使いを待っているのだが、パーティーが終わって暫く経つが中々やってくる気配がない。
暇なので父さんと話していても良いのだが、肝心の父さんがパーティーで親しくなったセリューネ公爵派閥の有力貴族であるトレイブ伯爵と談笑しているので、僕はこうして1人寂しく果物を食べているわけだ。
敵対勢力の有力者と親しくなるなよ。
まあ、今後の領地経営に支障をきたさなければ僕はあれこれと言うつもりはない。
領内の事についてあれこれ話さないか少しだけ心配だが、父さんは肝心な時はしっかりしているしお酒にも強いから、まあ、大丈夫だろう。
しかしこの部屋の内装を見ていると、改めてセリューネ公爵家が裕福だと言う事が分かる。
おそらく娘の婚約者だから立派な部屋を与えられたのだろうが、それでもデュステール家とは比べる事すらおこがましい。
この部屋の内装だけでデュステール侯爵家一家の生活費10年分は賄えるのではないだろうか。
「・・・・・・はあ」
気づけば自然とため息をついていた。
僕はこの2年間デュステール家の発展の為、領地改革に努めてきたが、結果は微々たる物だった。
まあ、当たり前と言えば当たり前だ。
領地改革の元手は微々たる物で改革自体も危険度が小さく堅実なことばかり。
領地育成の基礎を固めているのだから仕方ないのだが、それでも結果が小さいと自分の無力感に
それに比べてこのセリューネ公爵家はどうだ。
公爵邸に向かう途中で公爵領を観察していたが、土地は豊かで商業も活発だ。
明日の食べるものすら困窮するような平民は見られず、街ではレンガ造りの立派な商館などが建ちならんでいる。
道路も広く、レンガが敷かれており馬車の揺れは小さかった。
これこそ正に僕が目指すべき理想の領地なのではないだろうか。
ああ、全くもって———コン、コン、コン、コン。
それまで静寂が支配していた部屋に軽快なノック音が4回響く。
ようやく使いが来たようだ。
「どうぞ」
僕がノックに応えると、上質な木材で作られた扉が音を立てずに開かれた。
「失礼します。
お寛ぎのところ申し訳ありません。
公爵様がお呼びです。
準備が整い次第、私が案内致します」
年はおそらく20前後ではないだろうか。
肩辺りで切りそろえられた赤髪を持つそこそこの顔立ちをした若いメイドが僕に用件を伝えた。
メイドには貴族への敬意はあるが、怯えている様子はない。
何度も他の貴族の家で宿泊すると分かるのだが、平民などの立場が弱い者に対し横暴な貴族の家の使用人は、貴族に対し怯えがある。
反対に立場が弱い者に対してもある程度の分別を持って接している貴族の家では、怯えられる事は少ない。
セリューネ公爵家はきっと平民に対し横暴な態度は取らないのだろう。
別に僕は平民に優しくする事が良いとは必ずしも思わない。
それで被支配者が増長してしまっては元も子もないし、恐怖による支配も支配力という面では有効な支配方法だ。
使用人にしたって僕が子供だから怯えないのかもしれないし、手つきの恐れがある大人の貴族には怯えているのかもしれない。
しかし街で平民を見ていても平民達の過度な怯えは見られなかった。
まあ、大貴族であるセリューネ公爵家の領地で馬鹿をやらかす貴族が少ないのもあるのだろうが。
過度な恐怖支配は経済、ひいては支配自体にも悪影響を及ぼす。
この領地の平民たちに増長している様子は見られないので、セリューネ公爵家は優れた支配者なのだろう。
「準備は既にできている。
すぐに案内して欲しい」
「かしこまりました。
それではご案内いたします。
こちらです」
客間から出てメイドの後に続きながら、廊下を観察する。
広さは我が家と同等だが、所々に彫刻が置いてあったり、絵が立てかけられてあったりとさり気ない金持ちアピールが僕の感情を一々刺激する。
「なあ、君」
ここで僕がメイドに話しかけたのには特に理由はない。
なんとなく、というのが一番しっくりくる。
「何でしょうか?」
メイドは僕の呼びかけに立ち止まりこちらに振り返って応えた。
「別に大したことではないのだが、公爵は平民をどう扱っているのかと聞きたくてな」
僕がそう言うと、彼女は何を勘違いしたのか突然顔が青ざめ勢い良く頭を下げた。
「も、申し訳ありません!
私の態度に至らぬ点がありましたでしょうか!?」
ふむ、どうやらこのメイドは僕の問いかけを自分に対する不満だと勘違いしたらしい。
「いや、そのようなつもりで言ったのではない。
単に聞きたくなっただけで他意はない」
僕がそう言うとメイド頭を上げ、強張らせていた表情を僅かに緩ませた。
「そうでしたか、取り乱してしまい申し訳ありませんでした。
公爵様は私たちに対し特別な扱いは何もされておりません」
ほう、つまり特に優しくされたり親切にされることもないが、かといって横暴な事もしないと言うわけだ。
なるほどね。
僕の推測は間違ってなかった。
「そうか、聞きたかったことそれだけだ。
案内を続けて欲しい」
再び僕達は廊下を歩き始めた。
暫く歩くと、今まで見たどの扉よりも豪奢な扉があった。
以前見た王宮での扉と比べると見劣りしてしまうが、それでもこの扉1つで我が家に存在する全ての扉よりも価値があることは間違いない。
メイドはその扉の前で立ち止まり、扉を4回ノックした。
「失礼します。
公爵様、アリスト様をお連れ致しました」
「入れ」
パーティーの時とはまた違った重苦しい威厳を含む公爵の声が扉越しに伝わる。
メイドは扉を開け、僕を部屋の中へと招いた。
部屋の中は客間と違い華美な装飾はあまり施されていないが、代わりに年季を感じさせる装飾品を揃えており、豪奢な装飾品とはまた違った良さを醸し出している。
「ようこそアリスト殿。
パーティーで疲れている中、夜遅くにすまないな。
来てくれた事に感謝する」
この部屋の中央に置かれた小さなテーブルを挟むように置かれた椅子から立ち上がり、公爵は僕を迎えた。
その表情は少し申し訳なさそうだ。本心は分からないがな。全く、芸の細かい奴である。
テーブルの上にはワインとグラスが2つに酒の摘みであろう燻製肉の細切れが置かれている。
中々良い趣味だ。
だがな。
10歳児と話す時に用意するものではないね。
「公爵、気にしないで下さい。
私も公爵との話すことを楽しみにしていたのですから」
僕がそう言うと公爵は途端に破顔した。
「そうか、アリスト殿にそう言って貰えるとは私も捨てたものではないな。
今夜のために我が家の蔵で先代当主が眠らせていたワインを用意したのだ。
今夜は互いの地位を忘れ語り合おうぞ」
公爵に勧められ僕が椅子に座ると、彼はワインをグラスに注ぎ僕に差し出した。
ワインから香る芳醇な香りは、このワインが相当な値打ち物だと言う事が分かる。
これ一本でデュステール侯爵家一家の家計は吹き飛ぶのではないだろうか?
未成年時の飲酒はできるだけ控えたいのだが仕方ない。
僕がグラスを取ると、公爵はもう片方のグラスにワインを注いで僕達は控えめにグラスを鳴らした。
暫くワインの香りや色を楽しんでから、公爵はそれを口に含んだ。
おいしそうにワインを飲む公爵を眺めつつ僕もワインをチビリチビリと飲みながら思う。
お前、絶対僕が10歳だと言う事を忘れてるだろ。
「はっはっは!
それでなアリスト殿、その時セラスはこう言ったのだ!!
『おとーさまぁ、大好きぃ』
とな!!!
かわいいだろう!!?
ふうぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
セラスゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
「ははは」
公爵と様々な話をし、僕の婚約者であり4女のセラスちゃんのことになってから公爵のテンションは鰻上りだ。
アルコールも手伝っているのだろうが、それでも公爵には僕の両親と同じ親馬鹿の匂いがする。
少し前の威厳溢れる有能な公爵の姿はどこにも感じられない。
と僕が感じると思うか?
腹黒公爵め!!!
確かに今の親馬鹿っぷりも公爵の偽らざる本性なんだろうが、時折ほんの一瞬貴様が見せるこちらを観察するような瞳を僕は見逃さないぞ。
まあ、少し呆れかけたがな!
恐らく公爵は今、僕の底を見ようとしているのだろう。
もしも僕がお人好しだったり、いつまでも続く公爵のマシンガントークに飽きてしまうなどの子供らしい面を見せたりすれば、その途端この腹黒で、カリスマ性があって、有能で、聡明なクソ公爵は僕を飲み込むだろう。
そうなってしまえば終わりだ。
デュステール侯爵家はセリューネ公爵派閥に組み込まれ、僕は4女と結婚して公爵の人形になってしまう。
今のデュステール家には公爵の支配に抗うだけの力はない。
公爵はそれを知っている。
公爵が唯一警戒しているのは、世間ではブリミル以来の天才と言われ、パーティーでも子供らしからぬ対応をした僕の存在だけだ。
だから僕は公爵には負けられない。
「はっはっは・・・・・」
それまで陽気だった公爵の表情が突然真面目なものになった。
どうやらここからが本番のようだ。
「いかがしましたかな、公爵?」
ようやくか、という雰囲気で公爵を気遣った。
彼も僕の言葉を本気に取らず、大派閥を率いる公爵に相応しい威厳を感じさせている。
完全に本気だね、公爵。
10歳児相手に おっとなっげな〜い。
「私は腹芸には自信があるのだが、君は全く崩れないな。
一体どこが悪かったのだと思う?」
表情一つ変えずに、感情を感じさせない声で公爵は話す。
遂に本性現しやがったか。
「そうですか?
私としてはずいぶん公爵に振り回されていたと思いますが。
貴方に主導権を終始握られていましたよ」
だからといってこちらが付き合ってやる必要も無いわけだ。
「もうよせ。
私には君の底が見えん。
しかし君は私の底が見えているのだろう?」
確かにお前の力は大体分かる。
これでも
お前は嫌になるほど優秀だ。
前世での童帝陛下や大賢者殿には遠く及ばないまでも、凡人に比べたら差は歴然だ。
「どうでしょう?
私程度の若造には公爵の底など見える筈がありませんよ」
優秀な上に、自分の限界をしっかりと把握している。
本当に厄介だ。
「よせと言っている。
私は君に会う前から、娘を嫁がせ貴様を取り込もうとした。
その時は君が取り込めるのか、判断がつかなかった。
しかし今日、君と話して確信した。
君は娘を嫁がせたところで、私が取り込めるような存在ではない」
君君うるさいな公爵。
明日の朝食で卵の黄身を口の中に無理矢理詰め込むぞ。
もし公爵が優秀でなかったのなら、いくらでも策略を巡らす事ができた。
「そんな、私は公爵が思っているような大した存在ではありませんよ。
少し魔法ができる10歳児です」
もし公爵が自身の力を過信し、僕を舐めてかかっていたのならいくらでも裏をかく事ができた。
「聞くところによれば、デュステール家は金銭で非常に苦労していると聞く」
元凶が何を言っているんだい?
鼻の穴にワインを流し込むぞ、おい?
「いやはや、お恥ずかしいかぎ————」
もし公爵が圧政を敷き、人心を掌握できていなかったら、いくらでも工作ができ—————
「正直、君をあんな貧相な領地で腐らせるのは惜しい」
おい、人の言葉は最後まで聞けよ。
というか先ほどから会話が噛み合ってないぞ。
あと、貧相とか言うな。事実だけに切なくなる。
「ゆえに私は君が我が派閥に加わった暁には、デュステール領復興のためにある程度出資しても良いと思っている。
君ならばあの荒れ果てた土地を資金さえあれば見事復興できるだろう」
ほう、それはありがたいな。
こちらの反抗する気力を削ぐような甘い誘いだ。
「君が望むなら宮廷の要職に推薦してやっても良い」
へえ、お前の派閥の全員が欲しがっているものを従うだけでくれるのか。
大判振る舞いだな。
「君はもちろんデュステール家に損はない。
どうだろう、私の義理息子になってみないか?」
ふむ、確かにその誘いに乗れば、デュステール家の問題が全て解決するだろう。
セリューネ公爵派閥の豊富な資金力と僕の知識が合わされば、デュステール領は今までの何十倍もの早さで豊かになるし、セリューネ派閥にも僕の知識の恩恵が与えられ、更に豊かになるだろう。
そうやって僕の力を公爵に示せば、もしかしたらこの優秀で冷徹な公爵は僕を公爵家の次期当主に推すかもしれない。
公爵家にも男児はいるが、噂を聞く限り公爵ほどの傑物はいない。
それなので可能性は十分ある。
そしたら僕はどうなる?
将来美人確定なお嫁さんが貰えて、しかも大国ガリアを代表する大貴族の当主。
忙しくて最近すっかり忘れていた不老による異端審問も、権力を使ってあっさり回避できるだろう。
デュステール領の領民たちだって飢えることは無くなり、ちゃんとした生活が後れるようになるだろう。
父さんたちも初めは苦い顔をするだろうが、その内に豊かさで気にならなくなるはずだ。
家臣団だって
翼人達の事だって、この優秀な公爵は利益さえ説明すれば無碍に扱う事はするまい。
逆に大々的に保護するかもしれない。
なんだ、良い事尽くしじゃないか。
この話を断ったら、僕のわがままで多くの利益が失われる事を意味する。
ああ、僕はなんで公爵に抗うんだ?
何の為に抗っていたんだ?
別に従ってしまっても良いんじゃないか?
僕はグラスに注がれたワインを眺める。
赤いなあ。
血みたいに綺麗な赤色だ。
それを一気に飲み干すと、昔の情景がふと頭に映し出された。
超高層ビルが建ちならぶ近代都市は殺伐とした雰囲気に包まれていた。
片側5車線のメインストリートでは2つの集団が対峙しており、今にも闘争が起こりそうなほど張りつめた空気を纏っている。
2つの集団は膠着しており、どちらからも動けない。
すると突然、片方の集団から1人の男が出てきた。
「童貞諸君、私は連合軍第1軍団軍団長ウィリアム・フランクリン・パットンだ。
諸君らが我々に反抗する理由は分かる。
侵略に反抗することは極めて当たり前の事だ。
それに今更とやかく言うつもりはない。
しかし、今までずっと疑問に思ってきたことを諸君に、いや、全国童貞連盟統轄委員会委員長、童帝に聞きたい。
貴様らの、童貞の存在意義地は何だ!?」
その言葉に、片方の集団が揺れた。
前方の同様はすぐさま後方まで浸透する。
もちろん僕がいる司令部まで動揺は広がった。
「クソ、闘牛パットンめ!
なんて事をしやがる」
全国童貞連盟軍務局作戦課課長、49歳の高位賢者である花咲が悪態をつく。
「仕方がない、私が行くとしようか」
突然、童帝が立ち上がった。
「な、何を言ってるんですか!?
危険です!!」
今まで黙っていた僕だが、陛下の発言に思わず椅子から立ち上がって陛下を制止した。
すると陛下は仕方がないかのように苦笑いした。
「そう入ってもな、
それにこの騒ぎを収めるには私が行くしかあるまいて」
陛下はそう言って司令部の陣幕から出て行った。
大賢者殿は黙って陛下の後をついて行く。
僕はそれを見ているしかなかった。
やがて、拡張器を通して拡大された陛下の声が聞こえてきた。
「やあ、パットン元帥、ご指名ありがとう。
君の質問に答えようじゃあないか。
確かに、童貞の存在価値を問われると痛い。
少子化問題などを出されれば、なおさらだ。
申し訳なさすら感じてしまう」
陛下の言葉に片側の集団、連盟軍が大きくざわついた。
もう片方の集団、連合軍第一軍団は歓声すら上がっている。
「しかしだね。
だからといって童貞を恥じる思うことも、悔いる事もない。
ましてや捨てようなどとは微塵も思わない!」
連盟軍、連合軍そして街からの一切の音が消えた。
「ああ、これはただのエゴだ。
わがままだ。
だが、それがどうした!
我々には関係ない!!
他人から・・・非童貞から何を言われようとも私の考えは変わらない。
童貞とは存在することそのものが存在意義だ。
我々の童貞たる矜持こそ、誇りこそが存在意義だ!
50年以上生きているが、童貞の存在意義を疑った事など一度もない!!
私は、童貞である事を、誇りに思う!!!」
あの時の陛下は自信の考えに何の疑問も持っていなかった。
さも当たり前のように自身の考えを話していた。
そしてそれに疑問を持つ連盟軍兵士、連合軍兵士もいなかった。
僕に陛下の真似事ができるとは思えない。
だけど、僕だってもう童帝なんだ。
少しくらいは彼に追いつけているかな?
「公爵の娘さんと婚約した以上、何事も無ければいずれ貴方の義理息子にはなるでしょう。
しかし今はまだ義理息子にはなれません。
結婚していませんからね。
娘さんの年齢を考えると援助を受けるのは大分先になりそうです」
僕がそう言うと、公爵は今までの無表情を崩し、獰猛に口角を吊り上げた。
「なるほど、中々私の思い通りにはなってくれんようだ。
良いだろう。
確かにセラスは3歳、些か私の気が早すぎたようだ」
公爵はそう言って自分と僕のグラスにワインを注いだ。
僕達はそれ以上言葉を交わすことなく、沈黙のままグラスを鳴らし乾杯した。
やれやれ、今夜は少しばかり疲れたよ。
少し前世の話が長かったかもしれません。