侯爵家嫡男の憂鬱
ウルの月、つまり5月のある日。
ここのところめっきり外出しなくなった僕、アリストことアリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステー ルは、今日も自室に
デュステール家が軍事協定締結領であるケティーネ侯爵領、メイベント公爵領、ファットン領の軍事製品生産を一手に引き受けるようになってから、領内の輸送状況は数年前とは比べ物にならないほど活発化している。
数年前では食糧輸送のために2月に一回輸送隊が各集落を巡回していただけだったのが、今では月に1回の頻度になっている。
うん、未だに寂れているね。
各領地から支払われる軍需品購入費は毎年60万エキューという膨大な額であり、内訳はケティーネ侯爵家10万エキュー、メイベント公爵家25万エキュー、ファットン侯爵家25万エキューだ。
ついでに我が領の軍需製品の整備調達費は15万エキューである。
我が領は他の3家と違い原価であり、輸送費も最小限に抑えられるので軍の規模に比べて割安となっている。
生産しているのが商業組織ではなくデュステール家だからこそ実現できる事だ。
風石の増産もなんとか軌道に乗り始めている。
しかし領内の需要を満たすほどではないので、他領への輸出には当分時間がかかりそうだな。
一応、改革は順調そうだが、ここで大きな問題が発生してきている。
食料、軍需製品に風石など領内の物資輸送量は激増している中、デュステール領の輸送力の限界がきているのだ。
我が家は今まで軍馬を流用した馬車を輸送の要としてきたが、元々馬は短距離高速移動型の生物なので大量の物資の輸送には向かない。
特に軍需製品の原料に使われている鉄鉱石や風石などの鉱石は、高速で輸送する必要は無く、更に重量があるので馬とは相性が悪い。
この場合、速度は遅いのだが大量の物資を長距離輸送できるロバが向いているのだが、如何せん我が領の財政状況では十分な数の輸送隊を組めるだけのロバの調達は厳しい。
現状、不足分の輸送力に新規購入した少数のロバを充てることで当面を
輸送問題は今後、ロバを少しずつ調達して新規の輸送隊を順次組んでいくしか解決策はない。
まあ、別に流通が滞っているわけではないので、今すぐ解決する必要は無いだろう。
輸送問題に関してはここまでにして、およそ5年前から取り組んでいる農地改革に関しては、ようやく僕でも分かるくらいに結果が出てきた。
今まで地力が皆無に等しかった事もあるのだろうが、なんと収量が倍加したのだ。
これによりデュステール領の食糧問題は一挙に解決…とまでは行かないが、それでもかなり改善された。
長年食糧問題に苦しめられていた父さんや家臣団の人達は狂喜乱舞して、僕の言う事にあまり疑問を持たなくなってきたのは少し怖いが、今のところ問題もないし特に気にしないことにしている。
ただ、前世で実家が農家だったからこそ分かるのだが、収量が増加してもその単位収量は前世で見た最適条件化での単位収量よりも大分下の様に感じる。
前世での最適条件では肥料を使用していたこともあるが、それでもまだまだ農地には改良の余地があるらしい。
恐らくこれからも収量は増加していくだろう。
嬉しい事だが、それだけ我が領の土地が荒れていたと言う事実は、その時の僕にため息をつかせるには十分だった。
それとだんだんと増加してきている翼人たちも僕の頭を少し悩ませている。
保護当初は800人程度だった翼人が今では1000を越え、1200人ほどの規模にまでなっている。
たった5年で1.5倍にまで増えたのだ。
一応、翼人達の住処はオークなどが出没する森林地帯の近辺なので、そこらには軍事施設や集落も無く、今のところ他領地が翼人達の存在を察知している気配は無い。
しかしセリューネ公爵派閥や協定締結領などの他領との外交関係を現在では事実上一手に引き受けている僕としては、いつばれるか毎日冷や冷やしている。
まあ、ばれても何も変わらないと思いますがね!!
セリューネ公爵家派閥…というよりもあの公爵が翼人の存在ごときで僕との縁や
仮にどこかの馬鹿が何かしようとしても、公爵以外なら僕の権威を使ってなんとか丸め込む事ができるだろう。
僕は腐ってもガリア開国以来の大天才だ。
………外面だけだがね。
よし!!
翼人達のことは流れに任せよう!!
そもそも禁止されてるわけじゃないんだしね!
僕は今まで目を通していた翼人の新規移住許可にサインをして次の書類に移った。
次は今年からようやく開始する領内の街道建設についてだ。
領内の輸送が活発化した為に、整備されていない道を通っている現状では馬車の消耗が早くなり、更に移動時間もやや長くなってしまう。
その上、道が無いので時々目的地への進路を間違えることがあるのだ。
未だに財政に余裕はあまりないのだが、このままだと不味いことは確かなので街道建設に乗り出す事になった。
まあ、街道建設と言っても、石畳を敷設するなどの無駄に金がかかりそうなものではない。
ただ単純に現状の輸送計画を整理して、全ての輸送隊の進路を画一化するだけだ。
同じ道を何回も馬車が通れば、ある程度の軌跡ができて道らしきものができるだろう。
ショボイとか言うな!!
今の財政状況と人手じゃあこれが限界なんだよ!!!
何本かの輸送路では輸送時間が多少長くなるだろうが、道がない為に進路を間違うよりかは良いだろう。
それに街道だと分かる様、ある程度の距離ごとに木の棒を建てるので獣道よりもマシだと思う。
木の棒だって量が多ければ高いんだよ……
———よし、次で最後かな?
昼食を挟んで続いた書類仕事は、もうそろそろ太陽が沈みそうな時間になってようやく終わりかけている。
ロバの調達をし始めた去年の2月頃から僕の書類仕事は順調に増加の一途を辿っている。
今はちゃんと休日があるし、よほどの事が無ければ好きな日に休めるが、いずれ書類仕事が忙しすぎて休息できなくなるのではなかろうか?
前世にて、書類仕事に追われちょくちょく3徹していた上司を思い出した。
「………それは嫌だなぁ」
思わず本音が口から出てしまった。
あの人は書類を本気で愛している書類狂愛者だからこそ、あんな日々が送れたんだ。
僕だったら半年で発狂するだろう。
全国童貞連盟の財政管理を統轄していたあの人のことを無理矢理頭から追い出し、僕は書類仕事を再開した。
「うわ、またこれか」
またもや口から本音が出てしまったが、僕はそんな事など気にも留めずに顔をしかめた。
『領内人口の臨時更新』
そう書かれたこの書類は、デュステール領の人口が急激に増加していることを報告している。
480人あまりの人口増加が確認されたそうだ。
作物の収量が目に見えて増加し始めた頃から、この手の報告が何度も提出されている。
急激な人口増加の原因は簡単に予測がつく。
出稼ぎの出戻りだ。
デュステール領の領民は農業収入だけでは税金を払うどころか生活すらできない。
軍需施設にて一定期間働く事である程度足りない分を補う事はできるが、それでも税金を納めてしまうと生活する事が難しくなる。
数十年前に王宮からの補助金が減額されて、その減額分を税金に上乗せされてからは尚更だろう。
ゆえに領民はセリューネ公爵派閥などの他領に出稼ぎに赴くのだ。
原作にてシエスタもそうだったが、我が領の領民たちは一度出稼ぎに行くと何年間も戻って来ないらしい。
まあ、デュステール領に戻っても碌な仕事が無いから当たり前だ。
それでも王宮からの補助金が削減される以前は、その分税金が軽かっただけに出稼ぎに行く頻度も多くなかったそうだ。
そして最近になってデュステール領でも出稼ぎ組が戻って来られるだけの余裕が出来たので、だんだんと戻って来ている。
出稼ぎ組の仕送りや出戻りのルートは、定期的にある食料輸送のついでに運んでもらうらしい。
まあ、それ以外には我が領と他領を定期的に行き交う輸送隊は存在しないから当たり前だね!
交易が寂れててごめんね!!
避難してきた翼人や出戻り組による人口増加で我が領の人口は既に6万の大台を軽く超えている。
そうなると食糧消費量も増えてしまい、その分の農地を拡大してはいるが、今の地力と農業方式ではどうしても新たに生産される作物の収量よりも消費量の方が上回ってしまう。
僕は再び食料輸入量を再計算して既に編成された輸送隊をまたもや編成しなおす苦労を想像し、深いため息をつくのだった。
なんだか最近ため息の量が増えた気がする。
嫌な傾向だなー。
数年来の相棒であるぼろぼろの羽ペンで自分の額をペシペシと叩きながら、僕は静かに頭垂れるのであった。