作者の名前が変わりました。
中身は変わりません。
ネトゲやgreeやミクシィなどで『カトゥ』より『トマルン』の方が良く使っているので、幾つも名前を使うのは面倒臭くなり変えただけです。
枢機卿の嫌な予感
「ははは…では若造が考えた愚策ではありますが……」
僕はそう言ってテーブルに置かれた紅茶をゆっくりと啜る。
交渉の展開を脳内で纏めるための時間稼ぎだ。
僕が提案内容を話す前に相手がどの程度まで譲歩してくれるのか見極めたかったのだが、こちらの立場の弱さをついた宰相の行動によって、相手から碌な情報を引き出せないまま僕が提案内容を話すことになってしまった。
現在、交渉の主導権は宰相のリシュリュー枢機卿が握っている。
まだ完全に握られたわけではないが、僕が何の対応もせずにこのまま交渉が進めば本来この交渉で得るはずだったこちらの利益を尽く
できればセリューネ公爵との対談の時のように相手の攻勢をのらりくらりと受け流しながらこちらの提案をデュステール侯爵家が優位な形で承諾させたかったのだが、先ほど宰相がこの交渉を放棄しようとした事からも分かる通り、こちらの立場は極めて弱い。
わざわざ今回の会談に参入してきた以上、この馬鹿みたいに有能な宰相はしっかりと準備を整えてきているはずだ。
少なくとも、自分が会談を放棄したら僕の提案を承諾するな、とでもロベスピエール王に伝えているはず。
如何な王とて、財政悪化で崩壊寸前のガリア王国を維持し続けている宰相の言葉は
……いや、まあ、どんなに財政が悪化しても宮殿の増改築を続けているロベスピエール3世はそれでも言う事を聞かないかもしれないが。
リシュリュー枢機卿が交渉を放棄しようとした寸前で思い留まったのには、僕が芝居を止めた他にも、それがあったのかもしれない。
まあ、所詮はただの推測。何を考えているのか分からない無感情な目で僕を見ている宰相殿の心は読めない。
僕はカップの半分ほどまで紅茶を飲むと、無駄にゆっくりとカップをソーサーに置いた。
とりあえず今回の交渉で僕が持っている最大の切り札は、デュステール領で作物の収量を倍増させた新農法だ。
他にも大量生産体制が整ってきた希少植物の優先供給などもあるが、新農法は別格の切り札だ。
作物の収量増加は人口の増加に直結し、人口の増加は税収の増加に繋がる。
財政難に苦しむガリア王国政府は是が非でも欲しがるはずだ。
デュステール侯爵家がガリア王国に所属している以上、新農法はいつか露見してしまうので今回の交渉でこの切り札を使い、こちらの望む形で僕の提案を承諾させたい。
そのため切り札を使わない状態で相手がどの程度までこちらの提案に譲歩してくれるのか見極めたかったのだが、こうなってしまっては仕方がない。
とりあえず交渉相手は海千山千の大狸。
出だしで
「ははは…では若造が考えた愚策ではありますが……」
そう言って目の前に座る青年になりかけているが未だ幼さの残る少年は、亀の如くゆっくりと紅茶を飲み始めた。
明らかにただの時間稼ぎであろうが、国王と宰相の前でここまであからさまに時間稼ぎができようとは……その胆力には驚嘆する。
幼いが故の思慮の浅さか、それとも名声を持つが故の傲慢か、はたまた雰囲気に酔っているのか。
どれも当てはまりそうだが、おそらく全て間違いだろう。
先ほど、この少年に小細工をさせないよう私が交渉を放棄しかけるように見せたが、その時私を留める為に言ったこの少年の言葉に表面には出さなかったものの私は思わず肝が冷えた。
『おお、それは残念ですな。
ならば以後の交渉は国王陛下の判断に委ねられるということで宜しいですかな?
宰相殿』
それまでに比べ明らかに変化した少年らしからぬ口調で放たれたその言葉は、一瞬、この少年を場慣れした老獪な策略家と錯覚させるには十分な迫力を持っていた。
それまでの口調が幼かったというのもあるだろうが、それでも私はこの少年に対する油断を捨てた。
この交渉が始まる前に私は、もしも私が交渉中に退出したのならば以後の交渉には決して応じないよう陛下に進言したのだが、あのまま交渉を放棄していたらおそらく陛下はこの少年の策略に絡め取られ、勝手に交渉を進めかねない。
それ以前に非凡なものを何よりも好む陛下のことだ。
若干13歳にして水と風、2つのスクウェアとなった天才の頼みをホイホイと承諾する可能性がある。
おそらくそれもこの少年は想定していたのであろう。
それは先の言葉が何よりの証拠だ。
こちらの弱みをこうも的確についてくるとは、全くもって清々しいほどに優秀だな、この少年は。
まあ、陛下の人柄を知るものであれば誰もが考えそうなものだが。
以前、セリューネ公爵との会談の場で公爵がこの少年の事を底の見えない謀略家だと評していたが、正しくその通りだ。
ここリュティスから遠く離れたセリューネ公爵領にいる公爵が、わざわざ潜在的対立関係にある私のもとに来てまでこの少年の宮廷入りへの根回しをしているのも納得がいく。
今のところはこちらの手の内を見せていないまま向こうが提案内容を話そうとしているので、交渉の流れは私が優位だ。
少年の底が見えない以上、できることなら交渉は終始こちらが主導権を握っている方が望ましいのだが、そううまくはいかないだろうしさせては貰えまい。
現状、こちらが主導権を握っているようで実のところ肝心なところを少年が主導している。
少年が馬鹿正直に始めから全てを説明するわけがない。
暫くの間、カップを傾けていた少年がようやくカップをソーサラーに置いた。
いよいよか。
少年の表情からは当初のような歳相応の幼さは見受けられず、感情を感じ取れない無表情でこちらを見据えている。
「陛下や宰相殿は近年我が領地が希少植物を産出している事に関してはご存知ですかな?」
希少植物だと……確かに近年、一部の秘薬の材料などに使われる入手困難な希少植物がデュステール侯爵領から市場に出回っている。
それも極少量ではなく、それなりの量がだ。
隣に座る陛下に視線を向けると、私に尋ねかけるかのような目を向けている。
おそらく少年の言葉が正しいのか、という意味だろう。
私は小さく頷いて視線を少年に戻す。
「うむ、小耳に挟んだ事はあるが、それがどうしたのだ?」
まさか希少植物の大量かつ安定的な産出機構を確立させたのか?
もしそうならばハルケギニアの市場に混乱を招きかねない。
市場への供給量をデュステール側で調節すれば良いのだが、話に聞くデュステール侯爵家の財政状況ではそのような余裕は無いだろう。
もしや今回の話はその事に関してか?
そうだとすると考えられる交渉の展開は、デュステールで産出した希少植物を一旦政府で買い取り、それを政府が供給量を調節しながら市場に流すというものだ。
代価としては、デュステールからの希少植物の買取額を低下させるか、政府に希少植物の産出機構を提供するかになる。
いや、まだそうと決まったわけではない。
希少植物関連だと決め付けるのは早計だな。
「我が領は始めから希少植物を産出していたわけではありません。
むしろ過去に幾度と無く繰り返された聖戦によって、我が領の植生は極めて貧弱なものでした。
ああ、もちろん偉大なるブリミルの教えを否定しているわけではありませんぞ」
確かにデュステール侯爵領は、いや、ガリア東部の国境に接する領地は、聖戦のたびに土地は荒らされるので農作地すらまともな土地ではなかったはずだ。
土地の荒れ具合は北部にいくほど酷いものになるので、デュステール侯爵領の土地は間違いなく東部国境諸侯領の中でも最も荒れ果てていたことだろう。
それにもかかわらず、デュステール侯爵家は希少植物の産出に成功しているのだ。
そしてその中心にいるのは間違いなくこの少年、アリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールだろう。
「我が領の土地は荒れ果てていましたが数年間の試行錯誤の末、遂に希少植物の安定的な供給を実現できたのです。
量産体制もあと僅かで構築できるでしょう」
少年はそう言って自慢げな笑みを浮かべる。
まさか本当に希少植物のことなのか?
いや、そんなはずはない。
この少年がそれほど容易い人物であるなどありえない。
そんな人物ならばガリア極東部の諸侯を束ねる大貴族、セリューネ公爵があれほど欲するはずがない。
「ほう、それはすばらしいな。
まさしく天才の名に恥じる事のない業績だ。
もしやアリスト殿の提案と言うのは、その希少植物に関することか?」
もしそうならばどれほど心落ち着く事か。
もしそうならばどれほど呆れる事か。
もしそうならばどれほど失望する事か。
少年は私の賛辞に若干、照れたように口元を緩め視線をそらした。
どうせ演技だろう。
私は先ほど見た感情を感じない少年の表情が脳裏に蘇る。
おそらく何気なく人間味のある様子を見せ、こちらの油断を誘おうとしているのだろうが、私には無駄な事だ。
泥沼の権力闘争が蔓延る王宮内でも通用する芸を見せたところで、私の中のお前の評価は既に小手先の業で覆す事はできぬぞ。
「いえ、その件につきましては王宮の手をお借りするまでもありません。
我が領から産出する希少植物は市場に十分な刺激を与え、ガリア経済の流動に微力ながら一躍買うことができるでしょう。
しかし量産が開始され、希少植物の市場への供給量が著しく増大すれば、かえって経済の停滞を招いてしまいます。
だからと言って供給量を少なくすれば、せっかくの生産力を無駄にしてしまう。
なので私は新たな事業を興し、それによってこの問題を解決し、さらにはより一層の経済の流動化、および王国財政の支えになろうと思っているのです。
王宮にはその許可を頂きたいのです」
ふむ、やはりか。
希少植物の供給過多に関する対策を既に用意してあるとは、予想通りだが、やはり優秀だ。
本来の目的はガリアへの貢献ではなく領地の発展であろうが、それでも我が国の助けになる事に間違いはない。
いくら高価だとしても希少植物ごときが巨大なガリア経済に与える影響なぞ些細なものだ。
しかし少年の口ぶりから察するに、新事業はその些細な影響を維持するだけでなくより大きくするものなのだろう。
もしそうならば希少植物とその新事業にある程度の税をかければ、財政も多少は改善するだろう。
本当ならばすぐにでも提案を承諾し許可を出したいところなのだが、なぜわざわざ新事業を興す為に王宮の許可が必要なのか大いに引っ掛かる。
デュステール侯爵領は辺境なのだ。それも王宮の目が届かぬほどのな。
ある程度好ましからぬ行動をとっても王宮は気づかないだろう。
それにもかかわらず何故、王宮の許可を取りにきたのだ?
希少植物の生産に成功したことも、もしかしたら話さなくとも良かったかもしれん。
何故、王宮にデュステール侯爵家の手の内を晒し、自らの利益を減らすのだ?
そうまでしてデュステール侯爵家……アリスト・ラズム・コネサンス・ド・デュステールが王宮の許可を欲する事柄とはどんなものだ?
まさか………
………いや、まさかな。
久々の他者視点です。
私のクリスマスは24,25,26の三日間風邪で寝込んだことにより終わりました。