失態と挫折
「うーん、ここで良いかな?」
そう言って仕立ての良い服を纏った年の頃10ほどの少年が、地面に綺麗な花が咲いた1本の枝を植え始める。
枝は長く、少年の身長を超えている。
小さなシャベルを使ってせっせと土を掘る少年を、少し離れたところから少年の父親であろう豪奢な服を纏った男性とその護衛と思われる数人の騎士達が、優しげな表情でそれを見守っていた。
「当主様、若様は本当にお優しい方ですな」
父親らしき男性のすぐ後ろに控えていた老齢の騎士が、目じりにうっすら涙を浮かべながらしみじみと呟いた。
「全くだ。
あの子は将来、きっと良い領主になるだろう」
父親らしき男性がそう言うと、周囲の騎士達は皆が何度も頷いた。
きっかけは十日ほど前、夕食の席での少年の発言だ。
『父上、私は花を買いたいです』
そう言って少年が指定したのは、希少な秘薬の材料にも使われる高価な植物だった。どう考えても魔法を習い始めた10歳の少年が欲しがるものではない。
確かに美しい花を咲かせるが、観賞用ではないことぐらい少年も分かっているだろうし、それよりも安く、もっと美しい花など腐るほどある。
父親が不思議に思って、少年に聞いて見たところ少年はこう言った。
『この領地は隣りの国との国境があり、昔そこでたくさんの人がしんだと習いました。
私はその人たちの供養の為に、薬草で綺麗な花を植えたいのです』
その言葉を聞いた瞬間、その場にいた者達は少年の優しさに感動を覚えた。
聞けば購入費用もずっと貯めていたお小遣いから出すと言う。
なんと素晴らしい子供ではないか。
そして、運の良い事にその植物は高価なものの、金さえ出せば手に入れるのも難しくないものだった。
なんでも最近エルフとの境界に近い辺境から定期的に入手できるようになったらしい。
もしもこの話が数年前に出されたら、いくら入手してやりたくても市場に出回らず入手困難であっただろう。
そして手に入ったのが数日前であり、トリステインとの国境のすぐ近くで少年が植物を植えているという訳だ。
国境の近くは危険だと言われるが、国境線を越えるなどという愚かな事をしなければ、あまり派手な事をしない限りそこまで危険ではない。
トリステインとも険悪な関係と言う訳でもない現状、危険は小さいと判断したので父親は護衛つきで少年が国境に近づく事を許した。
「父上! 出来ました!!」
ようやく植え終えた少年はなれない土いじりで泥だらけになりながらも、満面の笑みで父親達に駆け寄った。
「そうか、良くやったぞ。
では、最後に皆で過去の死者達の安寧を祈り
父親の言葉で、一団は先ほど少年が植えた植物の傍で黙祷をした。
この時、その場にいた誰もが、心優しい少年の善行が大きな悲劇を生む事など考え付きもしなかった………
「当主様、お止めになった方がよろしいのでは!?
それ以上、国境に近づいても大丈夫でしょうか!?」
乗馬服を来た若い女が、今にも泣きそうな必死の表情で叫んだ。
「大丈夫だ、問題ない。
ほんの少しお邪魔するだけだ。
待っていろ、すぐにあの花を持ってきてやる」
そう言って当主様と言われた若い青年が、長い年月風雨に晒された事によりボロボロの木の柵を越えてしまう。
女はもはや泣き出してしまい、今まで二人を影から見ていた護衛らしき数人の人影が、もはや隠れている場合ではないとばかりに青年に向かって疾走する。
青年は女に恋をしていた。
しかし二人の間に存在する身分と言う壁がそれを邪魔した。
表立って女を愛せない青年は、なんとか女に自分の愛情を伝えたかった。
ある時、青年は女を乗馬に誘う事に成功した。
建前は乗馬の供としてだが、実際は女と二人きりになりたいだけであった。
そんな青年の気持ちを知っている家臣達は、二人に気づかれないよう慎重に隠れながら護衛として後を追った。
そんな事など露も知らない青年は、初めての女との乗馬に緊張し、普段だったら近寄りもしないガリアとの国境まで来てしまった。
緊張のあまり途中で少し暴走し、来ている乗馬服は汚れ、遠めに見れば誰も青年を貴族とは思わないだろう。
青年の忠実な従者である女はあえて青年の衣服からは視線をそらし、国境線の向こう側に広がる光景を見ていた。
そして女は国境線である木の柵の向こう側に美しい花が咲いていることに気づき、初めて見る花の美しさに小さく呟いた……呟いてしまった。
『きれい…』
それを聞いた青年の行動は決まっていた。
そうだ、あの花を彼女にプレゼントし、想いを伝えよう。
頭の中の冷静な部分が、大音量で警告を鳴らしていたが、惚れた女の前で絶好のアプローチ方法を見つけた青年はあえてそれを無視した。
もしも女が花に気づかなかったら、もしも青年が花を取ろうとしなければ、もしも女性が強引に青年を引き止めていたら、もしも隠れていた護衛がもっと早くに飛び出していたら、この後の悲劇はなかったのではないだろうか?
ボロボロの木の柵と陣地以外何もない国境線をただ見回る仕事。
数年前は難民やら山賊やら
平和なのは良い事だが、如何せん暇すぎる。
これが国境警備に就いた兵士達の紛れも無い本心であった。
隣国との関係が悪化でもすれば、また違った
ゲルマニアとの国境だと、いつ攻撃されるのか常に警戒しているそうだが、ここではそんなものとは無縁である。
いつもは退屈そうに国境に沿って
なんでも領主様の息子が長年貯めた小遣いを全て使って、国境に程近い場所に花を植えたらしい。
10歳なのに感心する。
早くその花を見てみたいものだ。
これが国境警備に就いた兵士達の今の心境であった。
早朝から国境陣地を出発し、もうすぐお昼になるところでようやく花が植えてあるらしい場所に近づいてきた。
「そうだ、今日は若様が植えた花を拝見しながら昼飯を食べよう」
歩きながら小隊長がそう言うと、兵士達は口々に賛同した。
中には早く見に行こう、と
個々人で差はあれど、皆が楽しみにしている。
そんな時であった、ようやく見えてきた花の近く……具体的にはトリステイン側の国境線の近くで男女の声が聞こえる。
『もしや面倒事か?』
兵士の中の誰かがそう言うと、それまで明るかった兵士達が
普段は何も無いのに、なぜこのような時に限って面倒事があるのだろうか。
それも場所が楽しみにしていた花のすぐ近くときた。
兵士達が苛立つのも無理はなかった。
『面倒事を起こされる前にさっさと追い払いましょう』
兵士の1人がそう言うと、皆が口々に賛同した。
隊長ももちろん受け入れる。
兵士達が駆け足で男女の方に向かう途中、騒いでいた男女の内、男の方があろうことか国境線を越えてしまう。
兵士達の苛立ちは一気に高まった。
今日、何者かが国境を越えることなど聞いてはいない。
つまりあの男は不法入国だ。
街道ならまだしも、木の柵と陣地しかないような場所での不法入国は見つけ次第殺されても文句は言えない。
しかし兵士達は我慢した。
男女が犯罪者でなかったら、さっさと国境線の向こう側に追い返して今回は不問にすれば良い。
そうすれば何もなかったことになる。
あいつらは五体満足で家に帰り、俺達も花を見ながら昼飯を食う。
みんなが幸せだ。
小隊長は兵士達を見たが、彼らの目は勇壮にそれを語っていた。
『さっさと追い払って飯を食おう!』
このまま男が何もしなければ、兵士達の思惑通りになっただろう。
もし女も国境線を越えてしまっても、兵士達は強引に思惑通りにしただろう。
しかし
あろうことか
男は
花を
へし折った。
その瞬間、兵士達の心は1つになった。
『職務通り、不法入国者を処分しよう』
男と女の服装が薄汚く、上流階級の人間に見えない事もその思考に拍車をかけた。
もしも貴族だったら殺してしまえば国際問題になる。
まあ、向こう側が不法入国をしている時点で十分に国際問題なり得るのだが……
兵士達は持っていた銃に火薬と弾を手早く詰めた。
男は興奮しているのか、未だ兵士達に気づいてはいない。
男との距離は200m以上離れているが、これ以上近づいては流石の男も兵士に気づくはずだ。
もしもトリステイン側に逃げられでもしたら自分達は追いかけることが出来ない。
兵士達はそれが我慢ならなかった。
全員の銃が発射準備を完了すると、兵士達は一斉に男に向かって走り出した。
200m以上離れていては、小隊全員が男を狙って撃っても滅多な事ではあたらない。
銃は一発撃ったら再装填に時間がかかるので、勝負は一発だけだ。
少しして男がようやく兵士達に気づいた。
兵士達と男の距離は150mほど。
運が良くない限り、弾はあたらないだろう。
しかし兵士達は悪あがきとばかりに、その距離で素早く発射態勢を整え、一斉に射撃した。
それは偶然だった。
100mも離れれば、どんなに優秀な腕を持っていたとしても銃弾をあてる事はできない。
しかし今回は150mの距離で射撃した。
20人ほどが一斉に撃ったとしても、それほどの距離では弾幕を形成する事はできない。
だが、運が良いのか悪いのか、一発の銃弾が、背を向けて逃げ出す男の胸に命中した。
響き渡る女の悲鳴、崩れ落ちる男、兵士達の歓声。
そして怒号を上げながら国境線を次々と越えてくる男達。
緊急事態に再び銃に弾と火薬を装填する兵士達。
崩れ落ちた男に駆け寄った男達は、叫んだ後、兵士達を魔法で攻撃した。
その後すぐに、兵士達は応戦し、陣地内に用意されている
そして戦争が始まった。
「—————— え………」
ある日届いた王宮からの書状。
僕はそれを読んだとき、初めは意味を理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「む?アリストよ、どうしたのだ」
わざわざ僕の自室まで来てサラを眺めている父さんが、硬直する僕を訝しげに見てきたが、僕は何も応えられない。
普段なら心の中でツッコミを入れつつ、父さんに注意をするのだが、そんな余裕など無い。
「……アリスト様、どうしたのですか?」
サラまでも僕を心配して声をかけてきたが、僕は反応すらしない。
いつもならサラの言葉どころか一挙一動を全力で神経を研ぎ澄ませ、ここぞとばかりに反応するのだが、今はそれどころではない。
「………終わった。
僕の領地育成計画は終わった」
僕の漏らした言葉に二人がますます不思議そうにする。
「何を言っておるのだ、まだ我が領地は発展途上だぞ?
エルフとの交易は始まったばかり、ゲルマニア間街道も完成しておらん。
財政だって未だ切迫しておる」
父さんの言葉にサラが同意するように頷く。
僕は父さんの言葉なんて聞いてすらいなかった。
「サラ、二人で外国に行かないかい?
出来ればガリアからは離れた場所で……そうだなぁ、ゲルマニアの最北なんてどうだい?」
僕の突然の言葉に父さんは全く、意味の分かっていない顔をしたが、サラは違った。
「……アリスト様、私は貴方にどこまでもついて行きます。
我が身は全てアリスト様の物でございます」
サラは突然跪き、頭を垂れながらそう言った。
平常時なら、こんな事を言われたら顔が真っ赤になって挙動不審になるのだろうが、今は全てがどうでも良い。
「よしきた。
すぐ行こう。
今すぐ行こう!
一緒に夜逃げだ!!
まだお昼だけどね!!!」
僕がサラの手を取って椅子から立ち上がった瞬間、頭を強い衝撃が襲った。
すごくジンジンする。
「いい加減にせんか。
一体、その書状に何が書いてあって、お前をそこまで動揺させるのだ?」
父さんが厳しい表情で拳を握っていた。
どうやら拳骨を食らったようだ。
お蔭でようやく正気に戻った。
喉元過ぎれば何も感じなくなるからね!!
書状の内容を簡単に纏めるとこんな感じだ。
実はガリアとトリステインで戦争があったんだ。
それで皆も知ってると思うけど、うちの王様が張り切っちゃったんだよね。
まあ、負けたけど!!
ボロ負けしたよ。
でも一応、講和だかんね!
勘違いしないでよね!!
敗北なんて認めないんだからっ!!!
まあ、それは良いとして、国庫がヤバイから増税するね。
来年から3割増の税金納めて。
あ、あとデュステールに特別連絡!
エルフ交易の税金は販売額の2割から6割に変更するからよろしくね!!
それと、エルフとの境界に領地を持っている皆に連絡だよ。
来年から補助金減額するから!!!
ガンバ!
ちょっとくらい質が落ちても黙認してあげるから、量だけは減らさないでね!
量を減らすと、万が一ロマリアに気づかれた時、言い訳が面倒臭いからね!!
まあ、そんな辺鄙な場所にロマリアの目なんかあるはず無いけどな!!!
こんな意味だった。
ついでに僕は、いや、デュステール家は戦争があったことすらついさっきまで知らなかった。
父さんも驚いている。
増税ではなく、戦争があったことにだ。
他の領地との交流が少ないことがこんな裏目に出ようとは!
情報網を構築して無かった僕の大失態だな。
なんで一番大事な情報という存在を、今まで欠片も重要視しなかったんだろう。
前世で専門じゃないから仕方ありませんでは済まないぞ!
もしもこのままの状況で進めば、来年のエルフ交易は税金のせいで大赤字だ。
せっかくエルフとの交易機構を構築しかけたのに、一気にそれが崩壊してしまう。
軍事補助金だって減額されれば、エルフとの交易を始めたことにより、当初よりも拡大しているデュステール軍は、持ちこたえる事ができなくなる。
協定で兵器の供給機構を構築したデュステール、メイベント、ファットン、ケティーネの4家は軍の質の低下を迫られるだろう。
そしてその打撃は、兵器の供給源である我がデュステールに直撃する。
低い価値の兵器を少数生産では、とてもでないが今の生産力を維持できない。
大した利益も望めず、赤字経営になりかねない。
いや、補助金減額の割合にもよるだろうが、きっと我が家の軍需産業は赤字になり破綻する。
ガリア軍は敗戦したんだし、それなりの損害を負いそれを補充しなければならないはずだから、うまいことやれば暫くは従来の需要を確保できるだろう。
しかしそれも暫くの間だけだ。
もしもガリア軍の補充が済み、それでも補助金が元に戻らない場合は、我が家の軍需産業は間違いなく破綻する。
それに一番の問題はなんといっても税金の3割増だ。
現在、領民から徴収する税金の内、王家の取り分はその内の3割程だ。
それが今度からは3割増で、領民税の4割となる。
大規模な貴族ならばそれなりの余裕を持って耐えられるだろう。
中堅所では厳しいだろうが、耐えられないわけではない。
最悪の場合、少し借金をすれば簡単に耐えられる。
しかし小さな貴族や我が家のような貧乏貴族の場合はそうも行かない。
領地が小さくとも領地経営がうまく行っていて、裕福ならば何も問題は無いのだが、そうでない場合はとてもじゃないが、耐え切れない。
待ち受けるのは借金地獄か破産か夜逃げだ。
本当に情報の重要性を認識できていなかった事が恨めしい。
どうせ辺境だから、何が起こっても関係ないと思っていた以前の自分を叱り付けたい。
折角、商会を設立しても、領内に引き篭もり市場をひたすら守り続けたっていては、商会の利点を全く生かせていない。
領内で今のところ無事なものは、風石鉱山と希少植物に食料だが、こんな増税があっては以前のような消費活動は見込めない。
売り上げは確実に落ちるだろう。
食料に至っては、まだ自給すら出来ていない。
まさに八方塞がりだ。
どこから手をつければ良いのか分からない。
前世なら、こんな状況でも鼻歌交じりで解決できてしまう
いや、
事前に手を打てなかったことが何よりも痛い。
そして今も、戦争の詳細が全く分かっていない事が
まずは情報収集だ。
「父さん、すぐにセリューネ公爵領に人を向かわせ、情報収集をさせましょう。
あそこならば大抵の情報は手に入ります」
「ああ、早速派遣するとしよう」
父さんはすぐさま僕の部屋から出て行った。
僕はそれを見送ると、崩れるように椅子に座り、背もたれに体を預けた。
書状を読んでから半刻も経っていないのに、ひどく疲れた。
「すまない、暫く一人にしてくれないかな」
僕が呟くと、サラは何も言わずに小さく頭を下げて退室した。
そんなサラの気遣いにも何も感じる事ができない。
この世界に来て最大の挫折に、僕はひどく消耗していた。
改革も順調すぎたらつまらないですよね。
主人公の改革は、何だかんだあっても今まで不思議なくらい成功してました。
それをすべてぶち壊すような出来事があったら、ワクワクしますよね。
今まで順調だった領地育成計画に突然絨毯爆撃が行われました。
初めての挫折にしては強烈ですね。
次回、主人公がどうやってこの状況を乗り越えるのかお楽しみに!
もしかしたら次回もシリアスが続くかもしれませんが……