90話
「うーん……」
深い眠気が全身を浸す。
重い倦怠感と少なくない全身の不調、胸の辺りに残された浅くない疼きは深い眠りへと誘い。
また、傍らにある温もりが確かな安心感と居心地の良さを与える。
深い疲労と望ましい寝心地は、そのまま深い眠りへと繋がり。
それは肩を軽く揺すられて覚醒を促されたとしても容易く手放せるものではなかった……むしろ、より温もりを求めて強くそれにしがみ付き。
「……あぁ、その、そろそろ起きてくれないかネギ先生、早目に私や宮崎の無事を確認してくれないと話が始まらない」
深い眠りの中、確かな温かみに女子中等部の男性教諭はもぞもぞと顔を埋め。
その温もりを感受する。
「……これは、アスナ殿から起こしたほうが良いでござるな」
「……だな、委員長を部屋の外に食い止めるのも限界がある」
「拙者が用意したバリケードも何処までもつかどうか……」
眠りを妨げる騒音は揺り動かす手以外にも、扉の外からも聞こえてくる。
と言うか、そろそろ安眠できる環境では無くなって来ていると言って良い。
具体的に現在の男性教諭……ネギ・スプリングフィールドの現状を目にした龍宮と楓が言葉にして表せば。
男性教諭の部屋で就寝時間を過ぎても熟睡していた。
また、その時点で既に女生徒一名を部屋に連れ込んでいた、と言うか同衾している、それどころか胸に顔を突っ込むような感じでしがみ付いている。
……委員長に露見すればそれだけでも面倒極まりない状態である。
昨晩、GFに送迎されて旅館に辿り着いた楓は各々が其々の部屋に向うのを見て、自身も部屋に戻って浅い休息を摂ったのだが、ネギを部屋に送ってから自分の部屋に戻ると言っていた神楽坂明日菜は、どうやらネギを部屋に送り届けたところで力尽き、そのまま一緒に寝転けてしまった様子だ。
「と言うか、神楽坂は部屋に居るはずじゃなかったのか」
「昨晩、帰って来た時点で宮崎殿と早乙女殿の無事を確認したでござるが……部屋で刹那が用意したらしいクーフェイと綾瀬殿、明日菜殿の身代わりが寝ていたでござるよ……綾瀬殿とクーフェイが部屋に入った時点で二体は消え去ったでござるが、恐らくはそれでござる」
その後、明日菜はネギを部屋に送っていってそのまま就寝と言う状況のようだ。
本体の身代わりを正確に模しているのか、かなり精巧な身代わりの様子で……明日菜は部屋に戻らなかったために身代わりはそのままに置かれた様子だ。
「なるほど、その入れ替えも考えないといけないが……まずは」
「明日菜殿を部屋から出すのが先決でござるな」
今にも部屋の扉を蹴破って入ってきそうな委員長をこれ以上野放しにするわけにもいかず、ひとまずは明日菜を揺り起こす事にした。
幸いにして、大きな疲労感こそ抱えていても、体力が常人離れしている明日菜はゆっくりと眠そうに瞼を開き。
「んーー……このかぁ、もうちょっと、もうちょっとだけ寝させてぇ……何か、すっごい眠いの」
「そうさせてやりたいのは山々なんだがな、ひとまず、抱えてる抱き枕……と言うか、まぁ、ネギ先生だけでも渡してくれないか」
「んーー? …………って、あんたはまた勝手に人のベッドに潜り込んでっ」
起き抜けに自分の胸に顔を埋めて眠っているネギを引き剥がすと、ふと、辺りを見渡して怪訝そうにする。
普段の自室とはまったく違う部屋の有様と……
「ちょっ、今部屋の中から聞こえたのは明日菜さんの声ではありませんの? ちょっと、長瀬さん龍宮さん、良いからさっさと部屋の扉を開けてくださいっ」
「ふむ……鉢合わせると面倒でござるな」
「先生への説明は私がしよう、楓は神楽坂を窓から逃がせ」
「承知」
「って、きゃぁっ、ちょっと、長瀬さん、急に何ぃーーっ」
いまだ寝惚け、事態の把握も満足に出来ていない様子の神楽坂を抱え上げるとあっと言う間に窓から離脱する楓。
これで漸く、委員長に見せても辛うじて良い訳出来る状況が出来……たと思ったが、再度龍宮が顔を顰める。
「さて、ネギ先生……悪いが、時間が無いんでね」
龍宮は同じく寝惚けた様子……と言うか、いまだ半分は寝ているネギを掴むと、その頬に勢いよく平手を叩き込んだ。
それはもう、眼鏡が飛ぶくらいに勢いよく。
「あぶぅっ」
「ほら、起きろ、私は神楽坂ほど優しくないぞ」
けして痕が残るほどでも、意識が飛ぶほどでもないが、鞭打とはオーガ相手でも効果的な攻撃手段だと都市伝説の息子も言っていた。事実、数度の痛みで容易く覚醒は促され。
「うあっ、えっ……何が……た、龍宮さん?」
「よし起きたな、私は無事、確認したはずだが早乙女と宮崎は元気そうだった、エヴァンジェリン達は麻帆良だが、命に別状は無い……筈だ。最低でも以上のことはしっかり覚えておくんだ」
「え? ええ? 一体何が……って、あ、そ、そうですっ、木乃香さんが、龍宮さんものどかさんに早乙女さんもだし……えっと」
漸く、昨晩の惨状を思い出し始めたか大きくうろたえ始めるネギ、それでも、昨晩の時点で最も重症だったろう龍宮が目の前に居るのだ、確かな安堵は感じ。
「今から順番に確認に連れてってあげるよ、だから、あまりオーバーなアクションは取らない様に、特に、宮崎と早乙女は昨日の事は何一つとして覚えてないんだ」
ゆっくりと、ネギも記憶を反芻する。
大鬼神との死闘、エヴァンジェリンの激戦、そして瀕死の様子のエヴァンジェリンに振り下ろされた槍の投擲と……それを、呆れた様子で眺めていた憧れの『
ネギは、その槍からエヴァンジェリンを庇って……
その後、満足に動かない体を明日菜に背負われて本山に戻った。
綾瀬夕映は記憶を消されることなくその場に残っており、記憶を消されたくないと言う覚悟をネギに示した。
その後は、エヴァンジェリンと茶々丸が空輸されるのを黙って見ていることしか出来ず。用意されたバスで旅館に戻り、穏やかな様子で眠っている宮崎のどかと悪夢に魘されている早乙女ハルナ……アホ毛がどうのとうわ言を言っていた……を確認した辺りで完全に意識が遠くなり……
「龍宮さん……無事だったんですね」
「あぁ、問題ないよ……さて、順番に会いにいくが、さっきも言ったが、けしてオーバーな反応はしないように、昨晩の事件に関わった者以外にとっては、昨日は何も起きていないんだから」
「は、はい、えっと、あ、そうだ明日菜さんは」
「分かった分かった、とりあえず時間が無いから手早くいくぞ」
「え、うわむぐっ」
言って、問答無用でネギの口を塞ぐとその衣服を剥ぎにかかる。当然、ネギは悲鳴を上げるがそんなもの完膚なきまでに無視だ。
……無論、彼女の名誉のために言っておくと、龍宮真名に委員長のような趣味はない……筈だ。
この場合の問題は、昨晩部屋に辿り着いてから力尽きるようにして眠りについただろうネギの衣服にあった。
明日菜と引き剥がしてから気付いたのだが……なかなかに凄惨な有様だ。
土塗れ、あちらこちらが破け、汚れている……その程度ならばまだ良いが。
服の胸のところにはぽっかりと穴が空き、そこを中心に大量の血痕がある……石化してから何があったかは正確に知るところではないが、この状況で委員長の前に出すのは明らかに問題がある。
パッパッと手早く昨晩の戦闘の痕が残る衣服を剥ぐと、それを異空弾装……所謂魔法の谷間に仕舞い込み、部屋にあった蛇口の下まで何とか引きずり込み。
「い、いい加減になさってくださいなっ」
「……この場合はギリギリセーフなのか……微妙なところだな」
中の喧騒を感じ取ったか、はたまた
ただし、この場合は委員長側からの視点も問題になる。
騒ぎを聞きつけたのだろう、委員長と周囲には佐々木まき絵だの、パパラッチだの、双子だのと騒ぎ好きも揃っており。
その彼女達が見たものは。
ネギの部屋に鍵をかけて閉じこもり、少なからぬ時間を3人きりで過ごし。
蹴破った先では、パンツ一丁のネギの口を塞いで身体を洗うクラスメイトの姿……ギリギリも無しにアウトであろう。
「な、何をしているのですか龍宮さんっ、そんなうらやまし、いえ、破廉恥な真似をっ」
「おおっ、スクープ、これはいけるっ」「あれ? 楓姉は?」「いや、そんな事よりあっちだって」
「……これは、そう、神楽坂と近衛から『ネギ先生丸洗い券』なるものを貰ってだな」
ひとまず、でまかせを口にして何とか時間を稼ごうとする。昨晩の状態を知っている明日菜や木乃香ならば口裏を合わせる事も可能だろうという判断だが。
「なっ、そんな羨ましいものがっ、明日菜さんっ、何処ですの明日菜さんっ!」
「私も欲しいーっ」「あっ、ずるい私もーっ」
「……そうか、それで信じてくれるのか、うん、まぁ、ありかたいんだが」
『ネギ先生丸洗い券』等と言うものを求めて駆け出すクラスメイトを見送りながら、ひとまず流れた血に気付かれなかった事に安堵する龍宮。
ただ、一人……カメラ片手に龍宮とネギを見つめる視線が残っていたが。
「んーと……ひょっとして昨日、何か有ったの? 長谷川の逢引以外で、て言うか昨日の雄叫びって……」
「……好奇心旺盛なのは良いが、あまり首を突っ込まないほうが良いよ朝倉、あっちの世界では藪を突いて出てくるのが虎や獅子、果ては龍なんてことも十分ありえる」
一昨日、仮契約を助長するような真似をしていたクラスメイトが何らかの事に気付いていだろうと把握して控え目に提言する龍宮。
そのまますぐに、ネギに浴衣で良いから羽織るよう促すと、小脇に抱えてそのまま走り出す。
「あっ、待ってよ……てか、龍宮も関係者?」
「ノーコメントだ」
駆け出した先は5班の部屋、とりあえず、不安要素は一纏めにしておいたほうが安全だろうと言う判断で。
……その判断は間違っていなかった、既に部屋では委員長と明日菜が取っ組み合いをするような状態で。
「だから、『ネギ先生丸洗い券』を私にもくださいと言っていますの」
「だーかーら、何言ってるかわからないって言ってんでしょ、いいんちょっ」
どうやら、先の言を間に受けて教師丸洗い券を求めて突貫した様子だ。
最も、早々にこの場を辞退したくなったというのも事実だが……
「龍宮さん、龍宮さんも何か言ってくださいな」
「ちょっと、龍宮さん、あなたが……って、龍宮さん、無事なぼっ」
五体満足な龍宮の姿を見て騒ぎ出そうとする明日菜を楓が押さえつける……昨晩から刹那や詠春が何度もしてきたことを見ていただけに、躊躇いはなく。
「部屋に寝惚けた状態で居たのとタイミングを計って入れ替えたでござる」
龍宮の背後に楓の分身体が現われて状況を報告してくれる。
楓の方でも多少の面倒は有った様子だ、ただ、身代わりが完全に本体のコンディションを模倣するような仕様になっていたらしく、気だるげで寝不足な様子の明日菜に宮崎や早乙女が随分と苦戦していたらしい。
綾瀬にすれば、昨晩の時点で身代わりとは入れ替わっていたために本体が純粋に寝不足で、寝惚けながら『もるです』とか呟いた時点で周りがトイレに何とか放り込もうとする騒ぎが起こり、それに乗じて神楽坂の入れ替えも完了したのだ。
ともあれ、昨晩は眠っていたために状態までは確認できなかったが、宮崎のどかや早乙女ハルナの元気そうな様子も確認でき。
「……なんや、えらい騒ぎやなぁ」
少し離れた辺りから近づいてくる黒髪の少女の姿に、楓の腕の中の明日菜と龍宮の腕の中のネギが再び跳ねるようにして動こうとする。
彼女もまた、昨晩は完全に安全を確認できなかった少女で……
「あぁ、木乃香さん、病院に行かれてたとお聞きしましたが、大丈夫なのですか?」
「あ、うん、平気やよ……ただ、せっちゃんと超さん、絡繰さんは、まだ病院や……そのまま先に麻帆良に戻るかも知れん言うとった」
少し元気こそ無さそうだが、木乃香も五体満足そうな様子で……
その姿に、ネギと明日菜も安堵の色を大きく見せる。超はともかく、刹那とエヴァンジェリン、絡繰茶々丸の
「そうなのですか、それはお可哀想に……あぁ、そう言えば木乃香さん、その、『ネギ先生丸洗い券』は木乃香さんから頂けるのですか?」
「ネギ君……丸洗い?」
怪訝そうに龍宮の小脇に抱えられたネギを見つめる木乃香。実際、何の事だかまったく分からないが。
「昨晩、ネギ先生胸の辺りにしつこい汚れがこびりついたらしいじゃないか、私はそれを洗うように頼まれた筈なんだが? それを洗ってるところを委員長に見られてね」
「えっと、明日菜?」
木乃香にはいまいち分からないことだが、その言葉を聞いた明日菜は、槍に貫かれたネギとその身を浸した赤い血を思い出し、すぐに蒼白な顔になる。
と言うか……未だ明日菜の衣服も、少なからぬ返り血で汚れているのだ。
「そ、そう、お願いしたわね、うん、間違いなく頼んだわ」
「何故委員長である私じゃないんですのー」
「ちょっ、色々あったのよ色々—っ」
楓から明日菜を奪い取るとその襟首を掴むようにして雄叫びを上げる委員長、その眼がふと薄汚れ、赤黒い返り血を残す明日菜の衣服の端々にも向けられ……
「あら、明日菜さん、あなたも汚れてませんこと? 赤土ですの? その汚れ」
「え、あ、これはネギの……」
返り血……それをまさか口にするわけにもいかず、明日菜が口ごもり。
「そ、そや、今ならキャンペーン中で午前行動までは、何人でもネギ先生の丸洗いオッケーなんよ」
「本当ですの!? 木乃香さん」「わーい、丸洗いー」「じゅるっ、ネギ君丸洗い?」
「え、えーー、僕ですかー!?」「あっしも丸洗いきぼぶっ」
「そやよー、綺麗に洗ってきてなー」
木乃香の機転に好機とばかり龍宮がネギを抱えたまま露天風呂の方へと走り出す。
一瞬、明日菜の薄汚れた衣服に気を取られた委員長だが、そこはショタ魂と幼馴染へのいぶかしみを天秤にかけ。
己の欲望を迷わず口に出したオコジョは楓に握りつぶされた。
「お待ちなさい、龍宮さん」
迷わず露天風呂の方角へと駆けて行った。この後、ネギを露天風呂に放り込んでさえ置けば、後はこぞって追っていくだろう。
それで、明日菜の衣服の不自然さに気付くものもいなくなるだろうとの判断だが。
「って、きゃっ」
一つの誤りは、委員長が明日菜を普段どおりの状態だと思っていたことだろう。
駆け出した委員長は、明日菜を何時も通りに放り投げた……それは、疲労が溜まりきった明日菜には少々辛かった、軽く脚を取られて壁にぶつかってしまうくらいには。
無論、大したことではないのだが……
「明日菜っ! 大丈夫か? 頭とか打っとらんか!? 」
ある話を聞かせられた後の木乃香には少々過敏に反応してしまう光景だったようだ。
「あーうん、大丈夫だけど」
「ほんま大丈夫か? 頭とか大丈夫か?」
「……木乃香……」
涙目で縋り付く様に安否を問う木乃香は少々オーバーな反応をする。
それでも、大丈夫そうなことが分かればすぐに落ち着くが……
昨晩の事件の棘は確かに残った……それがどれ程、深い傷痕となるかは未だ分からぬにせよ。
「大丈夫やよな……明日菜」
確かに傷は残された。
状況整理と薬味の足止め回ですな。
これで、回収できてない安否確認は発動体とエヴァの呪いだけかな?
何か忘れてたら指摘お願いします。