94話
軽いノックがされた後に、相手の了承も待たずにその扉は開かれた。
麻帆良学園、関東魔法協会の総本山の最高権力者の一室、学園長室への扉が。
其処へ至るまでに、数十名の黒服と10台近いリムジンが利用されることで、この会見へのGF側への警戒心が見て取れる。
本来、麻帆良学園内における警備体制については、麻帆良学園に属する者が行うのがこれまでの慣例と言えるが、GF側はそれを完全に拒否。
GF側の警備として数十名の人員を受け容れるのは多くの反発もあったが、それを受けざるをえなかった状況をして、関東魔法協会の苦境が見て取れる。
その警備の多くは女子中等部へ移動したところで殆どは周辺警備に努め、3名のみが学園長室内にまで足を運び入れる。
其々が銃とは別に、手に魔法の発動体である指輪を備えている事と、その身に秘めた魔力から、魔法関係においても凄腕の持ち主と言えることは明白であり、まさしく、関東魔法協会への警戒を表している形となるが。
「……来たかね」
そんな彼等、彼女等を出迎えたのは近衛近右衛門。そして、高畑・T・タカミチの二名だ。
麻帆良学園の学園長であり、関東魔法協会の理事でもある翁は、先立っての詠春同様苦虫を噛み締めたような顔をしている。
その視線の先は、警備の3名ではなく、また、それらの中心で不敵に微笑む春庭鈴音でも、その後に立つ近衛詠春でもなく。
さらに後、警備の3名が放つあからさまな警戒心と威圧感に圧倒された様子のネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜に向けられる。
本来であれば、このような場所にはけして招きたくは無かった二人だ。
ただ、今回の交渉にあたり、GF側ははっきりした希望として当事者である二名の同席を希望した。
無論、関東魔法協会側はそれを強く拒んだが、結果としてGF側はそれを強行した。
学園内で絶大な権力・影響力を誇る近衛近右衛門も、外部の組織にその強権が及ぶわけも無く、また、強制的にそれを阻止すれば関係悪化はさらに深まる。
故に、鈴音がネギと明日菜を伴って訪れた事を知りながらも、何も手出しはしなかった。
無論、近右衛門も高畑も半ば怒りすら潜めた視線で鈴音を見ているが。
「た、高畑先生」
「やぁ、明日菜君……」
そんな中、学園長室に入ったものの、その空気の重さから辺りを窺う余裕も無かった明日菜が漸く高畑に気付く。
明日菜にしても、こんな場所で顔を合わせたくは無かったろうが……自分に向ける高畑の視線が険しい事にも気付き、さらに青褪める。
「さて、本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございます、近衛近右衛門。私は今回、一昨晩に発生しました京都での大鬼神復活、ならびに……闇の福音との交戦について、GOLD FLASH GROUP より全権を委任されております、その点について、まずはご理解ください」
「分かっておる……まずは、エヴァンジェリンの件については関東魔法協会より正式な謝罪を行わせていただく」
状況説明もおざなりに始められたのは、鈴音からの学園長への宣告だった。
自己紹介等は過去に交わした間柄であり、あえて言うならば、初対面なのは警備として壁にはりついた3名の黒服だけだ。
今更、前置きは不要と用件を切り出した。それに対する近右衛門の返答は、鈴音への深々とした謝罪の姿勢である。
中央にある机から立ち上がると、横にずれた後に深く頭を下げる。
それは、関東魔法協会が今件の非を認めた証であり、鈴音に面倒な茶番が始まる合図であると告げられた。
「謝罪の内容をお聞きしても?」
「無論、エヴァンジェリンがそうと知らず(・・・・・・)、GFに属する魔法使いに攻撃してしまった件じゃ」
笑顔で謝罪を受け取った鈴音が僅かに顔を曇らせる。
無論、そう見せているだけではあるが。
「つまり、誤認であったと。関東魔法協会は大鬼神復活の対抗措置として、関東魔法協会より人員を派遣し……見知らぬ魔法使いを今回の事件の関係者と誤認して攻撃をしたと言う事でしょうか」
「うむ、その通りじゃ、GFは動かぬと聞いておったのでな、ネギ君達以外の魔法使いは全て敵対存在じゃと認識してしまったようじゃ」
「最強の魔法使いの異名を取る闇の福音にしては、随分と迂闊な事ですね」
「多少、視野狭窄の傾向が有ってのう、最強であり続けた弊害とも言えるやもしれんが」
狐と狸の化かしあい。
この場合、狸が何とか狐を煙にまこうと苦慮しているとも言えるが。
闇の福音・エヴァンジェリンのGFへの明確な敵意の有無は大きな分水嶺とも言える、近右衛門にすれば、そこは避けておきたいと判断し。
「では、闇の福音は、最強に等しい力を持ちながら敵味方の分別もつかぬ欠陥警備員であると、GFのみならず、麻帆良学園もまた同様の認識をしていると判断してもよろしいでしょうか」
「……学園内であれば問題なく管理されておる。今回は、エヴァンジェリンの封印解除のために儂が儀式魔法にかかりきりになってしまったのも問題の一因じゃった」
「あぁ、なるほど、5秒に1回書類にハンコを押し続ける必要があったのでしたね、それにより、本来、闇の福音の監督役にあった近衛近右衛門の監視が緩み、今回の
「うむ」
落し所が見つかったか、僅かに高畑の肩から力が抜ける。
反面、昨日まで彼女と交渉していた詠春、また、直接相対する近右衛門はさらに緊張を強め。
「では、この学園で半年前より発生していた吸血鬼事件は、全て学園の監督下にあったと認識してもよろしいですね」
「え……」
後で話を聞いていたネギが少し驚いた声を上げる。
緊迫した雰囲気での会話に口を挟む事はできなかったが、その内容にはさすがに意表を突かれ、近右衛門も狼狽した声をあげる。
「ふぉっ、そ、それは話が違うじゃろ、今回の件とは関係ないはずじゃし……そのような事実はない」
「先程の話ですと、学園内では問題なく管理されておられるのでしょう? でしたら話は単純です。あの期間中も闇の福音は学園の管理下にあり……複数名の生徒が襲われると言う事態を監督者である近衛近右衛門は見逃し続けていたと……そう言う事でしょう?」
慌てて学園長と鈴音を交互に見やるネギ、その肩でオコジョは何事か考え込んでいる様子だが。
此処に来て、高畑から今まで以上に不穏な雰囲気が漂い出し。
「あぁ、理解は出来ますのでご心配なく。きちんと記憶の消去等は行われているでしょうし、恐らくはネ」「やめいっ」
高畑がポケットに拳を入れ、空気が僅かに弛緩した瞬間。
近右衛門が一喝する様に大きく声を上げ、鈴音の言葉を途切れさせる。
「その件は、今回の件とはまったく関係が無いはずじゃ、エヴァンジェリンが警備の際に……吸血行為を行っていたことは遺憾ではあるが、この件は既にGF側とも協定を結んでおる」
「あら、関係はあるでしょう、学園内において
ちらりと背後のネギの方へと視線を向ける素振りをする鈴音。
あからさまな挑発とも言えるが、此処では会話を膨らませるほどに学園側に不利になる。
「……待つんじゃ、
「……そうですね、GFの方針と私の希望を含めた結果としては、現状のまま放置……でしょうか」
鈴音から漏れたのは、聞くだけであれば随分と甘い裁定であるとも言える。
ただし、それは、現状と言うものを正しく認識していなければの話だ。
「……現状とは、現時点での状態と言うわけじゃな」
「えぇ、現時点の状態です、まぁ、私も推測の状態しか聞かされていないのですが」
その言葉に、ネギが大きく反応する。
一昨晩の戦闘における致傷者で、未だに目覚めた姿を見ていないのはエヴァンジェリンと茶々丸だ。
特にエヴァンジェリンは、片腕を斬り落とされると言う重傷を負い。
「……せめて、腕は何とかならんか」
「なりませんね」
ごねれば、先程の話題を再燃させるぞと無言のままに示唆する鈴音。
それに近右衛門は折れかけるが。
「腕って……もしかして、あの腕、治ってないんですか?」
それを見過ごせぬ者達もいる。
ネギと明日菜は、朱雀によってエヴァンジェリンの腕が切り落される姿を目にしている。
そして、無言の学園長と高畑の姿勢は、その状態を雄弁に表し。
「そんなっ、酷い怪我だったんですよ!?」
「そうよっ、て言うか切ったの朱雀さんよ!? あの薬とか、あいつ等まだ持ってるんでしょう、使ってあげても良いじゃない」
「……回復処置は行った、じゃが、再生も治癒も行われなんだ、何らかの呪いかアーティファクトの効果じゃろうが……」
困ったように鈴音を見る学園長だが、鈴音はそれを無視する。
明日菜がそんな鈴音に詰め寄ろうとして、警備の黒服に阻まれる。抵抗しようとすれば、力づくでも抑えようとする黒服に。
「待つんだ……明日菜君、今は……何も言わないでくれるかい」
「高畑先生……」
「タカミチ……」
不満げなネギと明日菜を制止する高畑、その表情にも不満げなそれは有るが、今は何を言っても無駄と、エヴァンジェリンへの処断に無言で首肯する。
「では、関東魔法協会は
「……分かった」
「そんな……」
ネギや明日菜が抗議するように学園長を見るが、それは無言のままに流される。
学園長にすれば、今回の会談が此処で終わるのであれば、むしろ望ましい事で。
「……そう言えば、当然あって然るべきだと思っていたのですが、彼等を同行させた事について、結局何も言われないのですね」
無論、その望みは容易く手折られる。
今回の会談について、関東魔法協会側が拒んだネギと明日菜の同伴を強行したGF、彼等がこの場に居なければ吸血鬼事件についても、多くの逃げ道が残されていただろう。
けれど、二人の存在がそれを許さず、逃げ道を塞がれた学園長は一切の条件を引き出すことなくエヴァンジェリンの現状を受諾した。
大鬼神の復活に際しては、一目撃者であったネギや明日菜は、適当な理由でこの場から遠ざける事も可能だったが。
「でしたら、当然お分かりでしょうが……今回私が訪れた用件は、先の闇の福音との交戦の件だけではありません」
深く息を吐く。
エヴァンジェリンの件であれば、まだ見逃せる事でもあった。
「他に2点、用件を預かっております」
けれど、それが英雄の息子にまで及ぶのであれば、それは関東魔法協会として見過ごせるものではない。
関東魔法協会の理事として、到底見過ごせない行為をGFもまた、行っているのだ。
「順番にいきますと……話が早そうなのは、関西呪術協会の件ですか」
近衛詠春が僅かに眉を顰めて学園長から眼を逸らす。
関西呪術協会の長として、今回の事件を必死で収めたが、その代償は少なくなく。
「今後、関西呪術協会はGFならびに……関東魔法協会と完全に絶縁すると言うことで方針が纏まりました」
「なっ、どう言う事じゃ婿殿」
「詠春さん!?」
「すいません……」
頭こそ下げるものの……そもそも、関西の長が容易く頭を下げる時点で問題とも言えるが……詠春は何も言えない。
だが、関西と関東の融和を目的とすることで意見が合致していた近右衛門にすれば、関西の長である詠春がその方針を認めるなど有り得ぬ事で。
「当然でもあるでしょう、GFとの関係修繕は既に不可能です、また、関東魔法協会との関係性についても問題があまりに多く、関り合いを断ちたいとの判断です」
「……そう、裏で糸を引いた者が居るんじゃろう」
関東の実力者として近右衛門の鋭い視線が鈴音を射抜く。
当然、詠春がそのような方針を取る筈がないと確信する近右衛門にすれば、そこにGFの思惑があると考えるのは当然で。
「ご評価いただいてありがとうございます、ですが、私としても苦慮した結果ではあるのですよ? 今回の失態で関西呪術協会の信用は地に落ち、戦力も軒並み低下、はっきり言って、関西呪術協会の組織力は見る影もありません、このままでは組織の存続すら危ぶまれます」
大鬼神の復活と、その情報操作をGFの温情に縋る形で辛うじて得られた関西呪術協会。
それだけでも信用の失墜は十分だが、加えて、同士討ちによって多くの人命も損なわれている。
「……で、あれば我々も協力するのは吝かではない、いや、じゃったらそれこそ、我々を頼れば良い、関西呪術協会が建て直るまで、力を貸そうではないか、関東魔法協会は、関西呪術協会に助力を申し出よう」
威厳を持ってそれを言い切る近右衛門。
それは、近衛近右衛門のあり方とすれば当然の言葉であるだろう。
しかし、それが受け容れられぬ者も居る。
「……えぇ、GFは関西呪術協会に対して敵対姿勢を取っています、仮に頼るのであれば関東魔法協会と言う判断になるのでしょうね……本来であれば」
「……どう言う事じゃね?」
「関西呪術協会は、関東魔法協会への助力を希望しませんでした、むしろ、GFの傘下に入ってしまえという意見まであったほどです」
溜息を洩らす鈴音……実際、その勢力を諦めさせるのが一番の難点であったようにも思える。
内側からの干渉を望んだのか、はたまた、あくまでもビジネスライクな関係性ならばと判断したのか。
「婿殿、どう言う事じゃ、一体……」
「つまりは、GFの傘下ならば自主性が保てるが、関東魔法協会の傘下に入れば自主性が保てないと判断したのでしょうね」
「じゃから」
「婿殿……関西の長への呼称としては少々問題がありますね」
失言に気付いたか、近右衛門が咳払いとともに顎鬚を撫でる。
そして、鈴音の言いたい事を察したか、苦々しげに詠春に眼を向け。
「大戦の英雄と言う威光をもって、関西呪術協会の長の立場に立った近衛詠春が関東・関西の関係融和に尽力すれど、周囲はそれを望んでいなかったという分かり易い理由と……養父・婿養子の間柄の力関係を組織間でも行使すると言う状態に我慢なら無かったようですね……極めつけはこれですが」
言いながら鈴音が取り出すのは、びりびりに破れた封書だ。
開封の痕跡もあるが、それはこの場に居る殆どの者が見たことのあるもので。
「そ、それは僕が渡した親書」
「えぇ、この親書が、関東魔法協会との絶縁の決め手になったようです……あぁ、昨日、長を含めた長老勢と中身は確認しました。意味は、分かりますでしょう?」
「む……ま、まさか、その……」
「しっかりせい、ですか……明らかに関西呪術協会を軽んじている内容だとは思いませんか、関東魔法協会理事殿」
その親書の内容を知る近右衛門が苦悶を洩らす。
養父・婿養子の間柄を前提にしたためた親書は、詠春以外の者が目にした場合、間違いなく関係の悪化をもたらすような代物で。
「…………」
「独力での組織運営は確かに難しいですが、関東魔法協会に頼るよりはましと言う判断をしたようですね」
「あわわわわわ、ぼ、僕が渡した親書で何が……あぁぁぁ、ビリビリにしちゃったから!?」
「うぅぅ、エヴァちゃんも気になるけど、長さんもなんか大変な事に!?」
「……それが、関西の長の判断と言う事かね」
「えぇ、
鈴音のその言葉に、詠春は悔しげに唇を噛み締めた……