95話
「新しい……長じゃと?」
近右衛門の目が大きく開かれ、その視線が詠春を射抜く。
それに対し、詠春は無言で頭を下げるのが関の山で。
「えぇ、そう言う事です……今回の件の責任をとり、私は関西呪術協会の長の座を退く事となりました」
「なっ、儂は何も聞いておらんぞっ!」
「……つまりは、そう言った関東魔法協会からの干渉が関西呪術協会の古株には好ましくなかったと言う事でしょう」
「しかし、近衛家の家長は」
「近衛詠春さん……でしたね、今までは、無論、近右衛門殿、あなたでもありません」
嘆息しながら呟く鈴音。
青山詠春はかつての大戦において勇名を馳せた紛れもなき英雄である。
それは高い魔力と関西呪術協会の歴史を脈々と受け継いできた近衛の血統に縁組される事で、関西呪術協会内で高い発言力を有するに至った。
けれど、本人自身の政治力は低く。近衛家に産まれながら魔法にかぶれ関東魔法協会重鎮の座に至った近衛近右衛門の日本国内での専横に抗議はおろか、協力的な姿勢を示した。
それらは、麻帆良学園への侵入や度重なる上申で何度も取沙汰されてきたが、常に長の威光の元、抑えられてきた。
けれど、抑えられた反発は積もるほどに溜まり、機会を得て爆発する事となった。
その証が、詠春が青山の姓を名乗った事にも見て取れる。
長い歴史を持つ関西呪術協会においては、現代では既に廃れた家制度・家父長制が根強く残る風潮にある。法的根拠こそ無いものの、戸主の養子となり姓を継ぐ事が必要とされる風潮だ。
その姓を捨てた事は、そのまま、近衛家の戸主の座を降りたこととなる。
「尚、ご息女も近衛家を離れ、青山家と縁組されるそうです」
「なっなっなっ」
よほど頭に血が上ったか、本来は青紫であるべき茄子頭をほど良い焼き色に染め、焼き茄子色の顔色で鈴音と詠春を睨む近右衛門。
言いたい事は山とあるであろう、歴史ある近衛家の直系の尽くが家を離れると言い出しているのだ、それは、近衛近右衛門にすれば到底許せるはずも無い……
「無論、近衛家内の家督の有り様について、近衛家より出奔し、魔法使いを志された近右衛門殿には態々説明する必要は無いのですが……せめて、ご自身かご息女に嫡男がお生まれになるまでは近衛家の地盤に目を配るべきでしたね」
「……木乃香は」
「彼女はGFに所属する意思があるようです」
「分かっておるのか、木乃香の魔力は膨大じゃ、関西……いや、関東魔法協会においても、木乃香の魔力を狙っているのでないかと邪推するものはおるじゃろう」
「えぇ、無論理解しております、ただ、この場合、最も大切なのは本人の意思でしょう」
ピリピリとした緊張感が場を包み込む。
鈴音ですら喉が渇き、膝が震えそうになるほどの威圧感だ、近くに居るネギや明日菜にもそれは伝わり。
「……木乃香とはこの後、話し合っても構わんな」
「えぇ、勿論、祖父とお孫さんの語りあいにまでお邪魔しようとは思いません、まぁ、幼馴染の桜咲さんは同席を望むでしょうが」
「分かっておる」
近右衛門が沈黙する中、詠春が先の親書に合わせた装丁の封書を取り出して近右衛門のほうへと差し出す。
詠春に複雑な視線を向けながら、高畑がそれを受け取ると近右衛門と共に内容を確認する。
詠春の長の座からの退陣、近衛家の戸主の空位の宣言、近衛家ほどではないが歴史ある旧家の長老の長の座への即位の宣言。
「……本当に分かっておるのか、これでは木乃香の立場は」
「分かっていますよ、ですが、彼女はGFへの所属を望んでおり、GFの関西嫌いは自明の理です。今更、関西の乗っ取り等……GFならばありえないと、多くの方々が判断されたようです」
近衛家の空位は、逆に言えば木乃香が名乗りを上げれば、その権勢の全てを木乃香と、或いはその婿となる者が全てを手にする事となる。
仮に関西呪術協会を牛耳ろうと目論むものがいるならば、これほど甘い餌も無いだろう。
「……甘い見通しじゃとは思わんか、それで木乃香の身の安全が本当に護れるとは」
「おや、孫娘さんをお守りするのに最も単純で簡単な方法があるかとも思いますが、それを無視して私共だけを責めるのでしょうか」
「何を」
「戻れば良いではないですか、近右衛門殿、近衛家へ、関西呪術協会へ……あなたが関東魔法協会の理事職にあると言う事実が近衛家の立場の危うさの最たる点なのですから」
「…………」
関東魔法協会でも最高の魔力を誇り、近衛家直系のにして広い影響力を持つ近右衛門が関西に戻れば、無論軋轢は発生しても、その意見を無視することも難しいだろう。
けれど、それは関東魔法協会での座を捨てればの話だ。
「利を得んとすれば、それに見合う痛みを覚悟すべきですが、長き権勢は痛みを負う責務を忘れられたようですね」
「…………木乃香の覚悟は確認させてもらう」
「えぇ、ご随意に……ネギ・スプリングフィールド、神楽坂明日菜。話は聞いていたと思いますが、あまり家庭の事情に口は出さないようにお願いします」
近右衛門と鈴音の気迫に押され、言葉を発することも出来なくなっていたネギと明日菜に僅かに視線が向けられる。
好々翁のイメージが根強かった近右衛門の豹変には特に驚いたが、親友の名が何度も取沙汰されれば気にもなる。
「木乃香が、今よりもっと危険になるの?」
「微妙ですね、これまで関西呪術協会に狙われていた木乃香さんを関東魔法協会が守護していた状態でしたが。今後は、関西呪術協会と関東魔法協会から狙われる木乃香さんをGFが守護する形になるでしょうし」
「関東魔法協会も?」
驚いた様子でネギと明日菜は近右衛門に目を向けるが、当然のように近右衛門は首を横に振る。
そのような事は有り得ないと。
「馬鹿を言わんでくれ、うちの魔法使いが狙う等と言う事は有り得んよ」
「だといいですね」
薄く笑う鈴音に怒りも湧くが、ネギや明日菜を相手にしていては激昂もできぬ。
けれど、優秀な魔法使いの才能もある木乃香がGFに属すると言うことで不満を持つ者は関東魔法協会でも少なからぬだろう、今後の調整は必須であり。
「あ、あの、それと長さん、関西と関東は、もう仲良く出来ないんですか?」
「…………ネギ君の尽力にはとても助けられました、私の力不足で、申し訳ない」
「そんな……何で、学園長も長さんも仲良くしたいって言ってたのに」
「それが組織と言うものですよ、ネギ・スプリングフィールド」
自身が渡した親書も要因のひとつとされ衝撃を受けた様子のネギ、けれど、それに優しい言葉がかけられるより早く、辛辣な言葉が打ち据える。
闇の福音の処断、関西呪術協会の絶縁と、関東魔法協会はもちろん、ネギにしても酷な事実ばかりを突きつける鈴音は、未だその弁舌を緩めることなく。
「関西の件は既に完結しておりますので、これいじょう関東にどうこうと言う事はありません、せいぜい、来年度以降の修学旅行の行き先には注意していただきたいと言うくらいです」
「……分かっておる」
「でしたら、次の件に移りたいのですが……」
すっと、鈴音が近右衛門から距離をとるように……ネギ達の方へと近づく。
それで、全員の視線がネギ達へと集中する。
近右衛門と高畑にすれば、最も避けたかったであろう議題。
「……分かってるとは思いますが、GFと関東魔法協会の間で取り交わされた協定に関する問題行為についてお聞きしたい、彼、ネギ・スプリングフィールドとその従者は再三に渡って違反行為を繰り返しているとGF側は認識しているのですが」
「……徹底に不備があった事は、確かなのじゃろう、これは儂らの責任じゃ」
「あうっ」
ネギが何度目かになる呻きを洩らす。
一昨晩はいろいろな事があって記憶も薄れがちだが、メディアとの電話の中で確かにネギは近右衛門からの叱責を聞いている。
それは、魔法関係では不干渉の取り決め。
ネギは、それを無視する意図で幾度も長谷川千雨への接触を図っており、其れ等は一度も成功する事はなかったが、最終的には呪いの指輪による警告まで発生している。
「学園の監督下にあるから問題ない……ですか、闇の福音の時と言い分が変わりませんね」
「…………」
「結論から申し上げますと、一連の問題行為については、ネギ・スプリングフィールドの卒業試験の失敗に繋がる問題行為であると判断し、故郷への強制送還が妥当であるとも考えております」
「「なっ」」
「えっ、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ〜〜〜っ」
鈴音が言い切った言葉に再度、近右衛門たちの雰囲気が険しくなり、ネギが慌てだす。
「……それはやり過ぎじゃ、確かに協定違反があった事は認めよう、関東魔法協会として謝罪もさせてもらう、じゃが、それと卒業試験の成否は……直結させるのは問題じゃろう」
「どうぞ、その件についてお預かりしてきました」
先に渡した関西呪術協会からの親書と同様に、よく似た封書を高畑へと手渡す鈴音。
それを受け取る高畑は、封書の裏に記された名に驚きながらも近右衛門へとそれを手渡し……その内容と記した者の名に近右衛門は大いに頭を抱える事となる。
「……今回の修学旅行における引率者としての実力不足、度重なる職務放棄と思しき行方知れず、四日目の晩の生徒と共に行われた大規模な大騒ぎ……そして、一部生徒へのストーキング疑惑が発生しており、今後の業務に支障をきたす可能性がある……そのような内容かと思いますが」
「あうっ、そ、それは……」
「ネギ君には関西呪術協会への特使としての役割もあった、引率時の不在等はそれに起因するものじゃ」
「それは関東魔法協会の立場から見た際にはフォローすべき材料となりえますが……確か、ネギ・スプリングフィールドは卒業試験として『日本で先生をやること』との内容を指示されており、その内容についてメルディアナ魔法学校では麻帆良学園で教師の責を勤める事と認識されていたはずです、この場合は教職の片手間に特使の役割を請け負ったと言う事になり、教師としてのあり方の否定条件としかならないと思いますが」
「むぅ、しかしこれは……」
近右衛門も高畑も困り果てた顔で封書の中身に何度も目を通す。
また、封書の中には別の封筒も同封されていたのか、それにも何度も視線を向けているが。
「……ま、まぁ、確かに修学旅行中教師らしい仕事はできてなかったかも知れないけど」
「明日菜さんーーっ!」
魔法関係の騒動に毎日のように巻き込まれ、また、クラスの面々に振り回されていたネギの姿を思い出し、言葉を詰まらせる明日菜。
「けど、それを誰が書いたか知らないけど、ネギを雇ってるのは学園でしょ? 学園長が特使とかの件で仕方ないって言ってるなら」
「そうですね、勿論、学園長が不問にされると言う事であれば、私からは何も言うことはありません、あくまでも麻帆良学園内の問題ですし」
鈴音のその返答に満足そうに頷く明日菜。
けれど、近右衛門と高畑の表情は好転はしない、むしろ、困り果てた様子で。
「ですから、学園内で片付けていただきたい問題でもありますが……よろしければ、返答をお預かりしてお伝えしましょうか?」
「い、いや……儂が直接話そう」
「……あ、あの、それを書いたのはやっぱりメディアさんて言う……あの人なんですか」
ネギが恐る恐る問いかける。
未だ、まともに話すことも出来ていないが、憧れの存在であるであろう女性から教師失格の烙印を貰うのは、それなりにショックであり。
「いえ、正確には3-A担任の新田教諭から預かってきた……辞職願です」
「「…………えええぇぇぇっ!?」」
「む、むぅぅぅぅ……そ、それは言い過ぎでは」
「副担任としての自覚不足と、幾度かになる一部生徒との別行動、また女生徒へのストーキング疑惑と……それを殊更に庇い立てする学園長の指導方針について、これ以上、この状況が続くのであれば辞職も覚悟で抗議を行うという内容の筈ですが……違いましたか?」
内容としてはまさしくその通りであり。
近右衛門が頭を抱えたのには、その中に実際に直筆であろう辞職願が同封されていたからもある。
幾度も指導を行っては来たが、修学旅行の只中にあっても教師としての責任感の欠如した行為の数々に堪忍袋の緒が切れた、と言うのが概ねの主旨だ。
これには、認識阻害結界外の京都において発生した事例が殆どである事も新田の限度を越えた一因だろう。
「に、新田先生が」
「……新田先生は、魔法使いじゃないんですか」
「う、うむ、彼は魔法とはまったく関り無い」
その、一般教諭の代表とも言える新田が抗議を行っている。
担任が、補佐である副担任の実力不足を問題視しているのだ、意見を述べる立場としてはこれ以上無いほどに適切であろう。
「さて、先程申し上げたとおり、『日本で先生をやること』の卒業試験に対し、教育実習中にはニュースで騒ぎ立てられるほどの騒ぎを起こし、副担任に正式に着任した後には担任から問題視する声があがる現状……試験は失敗していると判断しても良いのでは?」
「それは、学園の長たる儂の判断じゃ……新田君とは後でゆっくり話をさせてもらう」
「そうですか……あぁ、ゆっくり話をされるのは構いませんが、あまり強引な話になりますと、先月のようなマスコミ騒ぎになりかねませんからご注意ください」
指を頭の辺りで廻しながら呟く鈴音。
魔法で意識を誘導するような真似をしたら、この件を再度マスコミにリークするとの脅しだ。
「分かっておる……あぁ、ネギ君、この件は君に特使の任を押し付けた儂の責任が大きい、あまり気に病まんように」
「あぅぅぅぅ……」
ネギが半泣きで呻く。
現時点で、自分の卒業試験が半ば失敗していると断言されたようなものなのだから当然でもあるだろうが。
「新田教諭のような立派な方が辞職されるのは大きな損失だと思うのですけどねぇ」
「ぼ、僕が辞めた方がやっぱりいいんでしょうかぁ!?」
「ね、ネギ君、落ち着いて……君も、子供相手に少し言いすぎじゃ」
「関東魔法協会の特使を子供扱いするのも失礼だと思っていたのですけどね、まぁ、その子供さんが教師失格かどうかは私共には然程関係ないので良しとしましょう……試験失格で故郷に帰ってもらえればそれでも良いかなと思っただけですので」
半分は鈴音も安堵する。
ここでのネギの脱落は、超鈴音にしても喜ばしいものとは言えないからだ。
「では……その子供の協定違反について、お話を伺いましょうか」
そうして、会談は最終段階を迎える。
あれ、2話で収まらなかったや……