60話
前夜の其れが記憶に引っかかっていたか。
その身に宿っていた直感が最後の残滓を残したか。
それとも……前夜の気配を感じたせいか。覚醒は自然に行われた。
長谷川千雨は、胸騒ぎと共に、昨夜同様に目を覚ます。
とても嫌な感じがした、とてもとても……
そうして身を起こし。
「……大河内? ……っ」
目にしたのは、傍で横になったまま、僅かに青ざめる幼馴染の姿。
倍に膨れた布団の中で、もそもそと動く誰かを震える指で抱きしめながら、大河内アキラは横になったままで其れを手にしていた。
羊の姿をした抱き枕……普通の枕ほどの大きさしかない、可愛らしいぬいぐるみのような其れを、アキラは
青ざめた顔で、身を起こした千雨を見上げる。
「……長谷川……」
怯えるような声だ。
怖ろしい夢でも見たように、嫌な思いをしたように。
がちがちと歯を打ち鳴らす様に、ぶるぶると怯えに震えるように。
布団の中、腕の中に椎名桜子であろう膨らみを抱えたまま、小動物ほどの大きさの、羊の抱き枕を手にし。
……何故か、長谷川千雨に怯えるように、涙を浮かべながら視線を向ける。
「ごめん……」
訳が分からないと千雨は思う。
何故アキラが謝らなければいけないと……
幼馴染だ、言われるまでもなく友人で、朱雀の次に付き合いの永い友達だ。
小学校の時からずっと、中等部に入ってからも、ずっと同じクラスの親友だ。
「……ごめん……」
何でそんな泣きそうな顔をしなければいけないと。
何故……アキラが悲痛な思いをしないといけないのかと……
「ごめん……長谷川……私ずっと……ごめん」
深夜にも、幸いにして自動販売機は動いていた。
ロビーのそれで温かいミルクティーを二本購入すると、千雨はアキラに向かって軽く放る。
辛うじて、其れを受け止めたアキラはその温もりを抱きしめながら、千雨に眼を向け、直ぐに伏せる。
ただ、その視線の先は片手に抱く羊……椎名桜子のアーティファクト。
所有者を庇護する存在に、無類の幸運と比類なき直感を与える、椎名桜子を体現するようなアーティファクトだ。
それの恩恵の下ならば、過程を省いて答に達することすら可能な、真実に一足飛びに辿り着けるアーティファクト。
其れを手に、アキラは俯き。
「……絡繰さん……覚えてる?」
千雨が言葉を探す間に、一言を口にした。
恐らくは、彼女自身行き先を求めながらの言葉を。
「あん……覚えてるも何も、今一緒に修学旅行に来てるだろ」
ひとまず、部屋であの状態のアキラを放置するわけにもいかず、千雨は手を引くようにして部屋から連れ出した。
桜子を自分の布団に残したまま、羊を抱いたままアキラは黙って千雨に従い。
二人して、ホテルのロビーに座り込んだ。
「違う……最初、1-Aで……最初に会ったとき」
それは、千雨にすれば嫌な思い出……何度も朱雀に愚痴ってしまった事……
あり得ないクラスに入ってしまったと。留学生の数や多種多様な
千雨は、そのあり得ない存在に……幼馴染に同意を求め。
「……ちゃんと謝っただろ」
「っ……だけど……期末テストのときに知った、長谷川が正しかった……私が間違えてたんだ」
顔を上げるアキラは忘れていた……いや、気にしなかった、気にならなかった……大切な事を思い出す。
中等部に入って最初のクラスメイトの一人を、『ありえん、あれはロボだろ』と口にした幼馴染に、アキラは親切心で注意してしまったのだから。
……クラスメイトにそんなことを言っては駄目だと……
……ちょっと変わっていても、其れは彼女の個性なんだと……
その時の千雨の顔が、今になって思い出されて……また、アキラは泣きそうになる。
当然だろう、あの時、5年間を一緒にしてきた幼馴染は……諦めていた。
小学校でずっと共に過ごしてきたアキラに、諦めたのだ。
今にして其れに気づいてしまった。
『あぁ、すまない、言い過ぎだった』
何故、あの時、自分は謝罪を口にした幼馴染に笑みを浮かべてしまったのか。
自分自身に怒りたくなる、あの時の彼女の言葉は正しかったのにと。
あの時、大河内アキラは、無意識にしろ、長谷川千雨を確かに傷つけた。
そして、長谷川千雨をそれを受け入れた、大河内アキラには『あの異常』が分からないと。
思い出せば思い出すほどに慙愧の念ばかり積もっていく。
思い出してみればはっきりと分かる。
長谷川千雨は何度もその表情を浮かべていた……何度も。
諦念……今、考えれば、おかしいことばかりの中等部生活で、何で納得してしまっていたのか。
「……絡繰茶々丸はクラスメイト、それは変わらないだろ」
「……そうだね、でもロボだった」
それで絡繰を差別するつもりはアキラにはない、有るのは唯、幼馴染の一言を切って捨ててしまった後悔だけ。
当たり前のことを言っていたのに、共感せずに否定してしまった自分の行動を省みて後悔する。
「……こいつのせいか、まったく」
千雨が羊の抱き枕を軽く撫でる、むずがるように震える其れはまさしく桜子のようで。
其れは答を与えてくれる、千雨が諦め、桜子が眼を背ける其れ。
強靭な魔法抵抗力で抗うことも出来ず、類稀な幸運に護られることもない。
大河内アキラだからこそ、理解してしまえば許せるはずのない其れに気付かせた。
今この瞬間、稀有な直感を得てしまった一般人は、故に後悔する。
自分が、幼馴染をどれだけ傷つけてしまったかを直感的に理解してしまって。
「……私、何で……」
当たり前だと思ってた。
何時ものことだと思ってた。
幼馴染にも、その異常な認識を押し付けてしまっていた。
「……其れは私も知らないよ、朱雀は知ってるっぽいが」
「……この子が教えてくれる、私の知らない誰かのせいで私は長谷川を傷つけたってっ」
それは、きっとアキラの心のうちにずっと蟠っていた慙愧の念。
最愛の幼馴染、それを知らず知らずに傷つけ、自分は其れに気づけない。
溜まりに溜まっていたその“想い”が溢れ出した、無力な自分が幼馴染を傷つけていたことを理解した。
「……学園が、何かしてるんだ……だから」
「……ありがとうな、アキラ」
だから、千雨は微笑む。
その名を呼んで、泣き笑いを浮かべてしまう。
真実を知って、その怒りに彼女の良さが損なわれるのは望みではない。
悪いのは常に自身、アキラは何時も“大多数”と意思が合致する、なら異端は自身だと。
だから、真実だけを口にする。
「朱雀は約束してくれた……もう、5.6年前だ……その時に約束したんだ、もう直ぐな、私とアキラは同じものが見えるんだって、同じものを見て笑えて、同じものを見て泣ける、そうしてくれるって朱雀は約束してくれたんだ」
「はせ……」
中等部3年の麻帆良祭。
それは朱雀が幼馴染と交わした確かな約束。
「私の眼に映る学園はおかしい……おかしいけど、アキラや桜子にはそれが日常……だから、我慢してたけど……な、ありがとうな、アキラ、それだけで十分だ」
溢れる涙は、ずっと我慢してきた其れ。
彼女のヒーローはきっと約束を果たすけれど、だからと言って耐えるのも辛いものがある。
幼馴染に救われた彼女にとって、別の幼馴染の共感は無類の救いで。
「……ごめんね、ごめんね、千雨」
ホテルのロビーで二人の少女は涙を零し。
「眠ぃ……」
昨日同様、起床時間になれば直ぐに逃げ出せるよう千雨は早めに目を覚ました。
それにつられるようにアキラや桜子も目を覚ます。
結局、あれから一時間近くも千雨とアキラはロビーで話を続け、長谷川千雨が吸血鬼に襲われたときに教えられた真実……魔法についても語られた。
と言うよりも、不思議生物サクラコ羊の存在を語る上で避けて通れなかったのだが。
一通りの話を終えた辺りでメディアが現われ、秘密にしていたことを謝罪した上で千雨の言葉を補強し。
2年と少しに及ぶ幼馴染との僅かなすれ違いに気付く事が出来たアキラは、僅かな安堵と共に眠りにつき。
「今日は大阪まで移動だから……電車で寝よっか」
「つか、ディルムッドさん来てるから車で移動とか駄目か」
「4班もUSJだから、一緒に行こうって話になってたはずだよ……10人は乗れないかも」
「あの人なら小型バスくらい運転できるだろ、フォーミュラなんとかを運転できる人だぞ」
起床時間になってしまえば、夜の蟠りは大分解けたようだ。少なくとも、過去の行いを振り返って自虐することで得をする者など誰も居らず、今までどおりに接した方が良いことは間違いないと感じ。
「あ、でも千雨はネギ先生にも誘われるのかな」
昨日から付きまとってくる魔法使いの少年のことを口にする。
千雨は避けたが、メディアははっきりと迷惑な子供先生のこともアキラに話し。
「勘弁しろ……私は昨日同様、朝食の時間ギリギリまで避難するからな、アキラも適当に言い訳しといてくれ」
二人は、はっきりとその距離が近くなった。
アキラは千雨との認識の齟齬に気付き、千雨はアキラへの隔意が一つ消え。
「あれ……千雨ちゃんたち、何かあった?」
その原因ともなった桜子は二人の距離が近付いた様に感じ。
「昨日、ちょっとな」
「うん……改めて、今までごめんね、千雨」
「だから、気にすんなアキラ」
そんな二人を暫し眺めて、桜子はぽんと手を打ち。
「今晩はお赤飯が良い?」
「ざけんな椎名」
「むにー……私だけ仲間はずれはいやー名前を呼んでーリボンとヘアピン交換してー」
「馬鹿な事言って、ふざけなかったらな、て言うか私の髪ヘアピンじゃ無理だろ」
「たまにはストレートに下ろしてみるとか、で、アキラもツインドリルテールとか」
「ドリル?」
「お前はどうすんだ、桜子」
「……たまには千雨ちゃんみたいな髪型も言いかなぁって」
頬を引っ張られながらニコニコと桜子は微笑む。
きっと今日も、幼馴染達に囲まれて、楽しい一日になるんだと。
難産だった……二回書き直して、最終的に終盤の予定だったエピソードを引っ張ってくる羽目にorz
今晩は飲み会の予定なのでこの土日の更新は絶望的です
間違いなく明日の朝まで呑み続ける面子なので。
牡丹鍋が私を待っている。