88話
修学旅行四日目の朝。
例によって例の如く、長谷川千雨は起床すると早々に部屋を抜け出して6班の部屋を訪れていた。
これは勿論、朝になると現われるストーカー教諭ネギ・スプリングフィールドの訪問を避けるためである。
……もっとも、当のネギは今朝においては、ホテルへの帰還が早朝間近となってしまったために寝不足で床に伏したままなのだが、それを千雨が知る由もなく。
今日も来るであろう、訳の分からない勧誘を如何にして断るかを考えながら6班の部屋を訪れ。
「……あれ、ハカセだけか」
其処に居たのは5人いるはずのクラスメイトのうち一人だけだった。
「はい、超さんと桜咲さん、茶々丸は急用が出来てしまいまして……」
昨晩、幼馴染である朱雀から関西呪術協会が騒動を起こしたと口にしていたため、その後始末か何かに奔走しているのだろうと当たりをつける。
それを考えれば、木乃香の姿すら見当たらないことも理解でき。
「それで、超さんからは今日は1班の行動に同行すると良いと言われているのですが」
「私は別に良いと思うが……近衛は?」
急用が出来たと口にした中に木乃香の名前は無かった、その為確認のために聞いてみる。
実際、超は裏工作、刹那は長の補佐、茶々丸はエヴァンジェリンと共に強制送還と四日目は其々の事情で潰れることが確定しているのだが、木乃香には強制されるような事柄は無く。
「近衛さんは5班に混ぜてもらうそうですよ」
「班行動メチャクチャだな……新田辺りに見つからなきゃ良いが」
「新田先生は療養されていると仰ってました」
メディアの魔術によって、激動の昨晩を眠りの中で過ごした新田。
昨晩、あれだけ騒いでも出てくることは無かったのだ、既に3-Aを縛るルールは無くなってしまっているとも言える。
「……ちなみに、ハカセは昨日のことどれだけ知ってんだ?」
彼女が茶々丸の製作に関わっていることは知っている、そのため魔法関係の知識があることも察している。
それでも、超よりは深入りした様子が見えないマッドサイエンティストに問いかける。
「超さんからは、関らないほうが良いレベルの厄介事が3つ4つ発生したと聞いています……下手に情報を持つだけでも巻き込まれかねないと」
「オッケーわかった、何も聞かねぇ」
少しこめかみを押さえながら千雨も即答する。
ついでに、ネギ達に近づかないで置こうと決意を新たにするが。
「それと、超さんから綾瀬さんが魔法に関わったので、長谷川さん達に接触があるかもしれないと言ってました」
「…………」
加えて、要警戒リストに綾瀬夕映の名前を追加する。
ネギと明日菜に続く3番手だ。
6班の部屋の扉の前でそんな事を話していると、廊下を歩いて近付いてくる人影が現われる。
……要警戒リストには無い者達だったために特に気にしないでおいたが。
「ここに居たでござるか、長谷川殿」
「捜したアルヨ」
そもそも、長谷川千雨のありえないクラスメイトリストには載っている二人だったため、もう少し警戒すべきだったのかもしれない。
少なくとも、千雨は数瞬前の自分の迂闊さを恥じ。
「何か用か、忍者に中華」
「呼び方は少し気になるでござるが……朱雀殿に少し用があるでござるよ」
「朱雀に?」
「さっきアキラに電話してもらったのに繋がらなかったアルヨ」
どうやら、先に1班の部屋には行ったらしい。
二人は図書館時までの騒動で千雨とアキラが朱雀の幼馴染であることは知っている、そのため、アキラに電話で取り次いでもらえるよう頼んだのだが、昨晩から朱雀の携帯電話は繋がらず。
「椎名殿が、長谷川殿なら何か知っているかもと言ったので捜したのでござる」
……桜子に面倒を押し付けられたと直感的に察する千雨、ひとまず部屋に戻ったら梅干を食らわせることを心に決め。
「けど、あたしも携帯が繋がらないんじゃ連絡取れないぞ、男子のいる別館に行くわけにもいかないし」
「そうでござるか……やはり、春日殿に聞くしかないでござるかな」
「まだ白目剥いてたアルヨ……それよりはネギ坊主……」
千雨の前で楓とクーフェイが不穏当な会話を始める。
とりあえず、担任と幼馴染の名前が同じようなタイミングで出た時点で厄介事率は急上昇だ。
「……一応、どうしてもって事なら連絡を取れなくも無いが」
正直、さっさと話を切り上げたいが、楓とクーフェイの緊迫した様子はかなりのものだ。
目の下にクマもうっすらと見えるし、普段の明るさはまったく見られない……かなり不安げな様子で。
一応、宝石に込められた魔術を使えばメディアや朱雀に連絡を取ることは可能だ、携帯電話が無くても朱雀に連絡は可能で。
「む、もし可能ならお願いしたいでござる、正確には朱雀殿ではなく、朱雀殿の知り合いの方に話を聞きたいでござるが」
「よく分からんが……何を聞けば良いんだ」
「現在の真名の容態を聞きたいでござるよ」
「マナ……龍宮か? 何かあったのか」
「昨晩……ちょっとトラブルがあったでござる、それで……治療を受けてると思うでござるが、連れて行かれた御仁の連絡先が分からないのでござるよ」
知っていそうな刹那は忙しそうで、春日は布団の中で白目剥いて失神中、後は、あの時一緒に居た朱雀くらいしか接点は無いため楓達は千雨たちに接触したのだ。
……まさか、あれほどの殺意を放つ女性がホテルの女将をやっていると気づけるはずも無いし。
「……だいたい見当はついた、連れてったって人の外見上の特徴は?」
九割九分九厘、発生した状況に当たりをつけながらも確認のために問いかける千雨。
それに対し、楓とクーフェイは一度顔を見合わせると頷いて。
「「
「メディアさんだな……お前等、本人の前では口が裂けてもそんな事言うなよ」
吸血鬼の騒動のときに見た紫紺のローブ姿を思い出しながら呟く千雨。
朱雀と一緒に居て治療を行ってるという時点でだいたいの想像はできていたが、予想通りの人物で。
「長谷川殿、知っているでござるか? 確かに、春日殿はそう呼んでいたでござるが」
「朱雀の保護者だからな、私も付き合いが長いんだよ、龍宮の容態を聞けば良いんだな」
見た感じ、楓もクーフェイも一睡もしていないように見える、かなり心配しているのだろう。
そんな二人を突き放すのも気が引けるため、千雨は携帯電話を取り出すとメディアに電話を書け。
相手は直ぐに出た。
『それで直ぐに私って分かる千雨ちゃんもちょっと酷いわよねぇ』
「…………いやぁ、その前にだいたいの見当はついてましたんで、えぇ、本当に」
電話口に出て開口一番に言われた内容に一瞬思考が止まるが、ムラサキでメディアに行き着いたことだと察して慌てて弁解する。
よく考えれば、このホテルの中で起こっている事態を彼女が見過ごしている筈がないのだ。
最も、然程怒った様子は無い……今度買い物にでも付き合って着せ替え人形にされれば良いくらいだろう。
「ええと……それで、容態は?」
ひとまず、事態は伝わっている前提で問いかける。
楓とクーフェイが食いつくような目つきで千雨を見つめ。
『もう再生は終わってるはずよ、足も無事に生えたし、多少違和感があるかもしれないけど……もう大丈夫でしょう』
ちょっと危険な単語が幾つかあるが聞かなかった事にしてスルーする。
もう大丈夫と言う事さえ分かれば十分で。
「ええっと……じゃぁ、旅行に戻れるんですかね」
『そうね、後で迎えに行くわ……今ちょっと忙しいから、朝食の後くらいになるかしら』
「迎えって、どっか病院にでも居るんですか?」
『いえ、施設の私の工房よ』
数瞬、考え込む……単語自体は分かりやすいものばかりだ。
特に、施設と口にしたならば彼女たちの間で適用される場所はひとつだけで。
「……何で麻帆良に居るんですか」
『あっちの方が設備が充実してるのよ、数分で行き来できるし』
出来る限り魔法関係と関係を持ちたくない千雨はこれもスルーすることを決める。
とりあえず、自分のところの関係者の理不尽さはさておくとして。
通話口を塞ぐと心配そうに此方を見ているクーフェイと楓に視線を向ける。
「さい……治療は終わってるそうだ、朝食の後くらいに連れてきてくれるとさ」
「本当アルカ?」
「それはありがたいでござる……ネギ坊主も心配してるでござろうからな」
これで事態は解決……そう思いながら、ふと嫌な想像が千雨の脳裏を過る。
昨晩の騒動に十中八九、目の前の二人……そして、龍宮も関っている、ネギの名前も出ているためあの子供先生も関わっているだろう。
「……ちなみに、ネギ先生は今何してるんだ?」
「眠ってるようでござるよ、昨晩は殆ど一睡もしてないでござるからな、明日菜殿と夕映殿も朝食の時間までは寝させておくようでござる」
体力に自身のある楓とクーフェイだからこそ眠気を堪えて一睡もせずに居られるが、一般人程度の体力の身には昨晩の騒動は辛かっただろう。
そして、それらを聞いた後……再度千雨は携帯電話に話しかける。
「メディアさん、何とか朝食前に連れて来れないですか……」
そんな状況で千雨の脳裏を過ったのは、楓やクーフェイ同様に突貫をかけてくるだろうネギと明日菜の姿だ。
同じように龍宮の容態を案じて此方に突貫してくる可能性は高く。そして、あの二人はクーフェイや楓ほど物分りが良くないと考えられる。
ならば、聞かれる前に答えを出しておいたほうが話は早い、朝食の場に龍宮の姿があればさすがにこっちに問い詰めには来ないだろう。
『うーん……千雨ちゃんの気持ちは分かるし、けど今忙しいのよね……後で千雨ちゃんも手伝ってくれるなら』
「ちなみに、何してるんです? 今」
『セクストゥムちゃんの今日の洋服をコーディネートしてるのよ、手伝ってもらえるかしら?』
数瞬の逡巡。
手伝いに行けば自分も被害に遭うのは明白だろう……メディアの着せ替え人形にされるのと、朝食の場で要警戒メンバーの訳の分からない追及を喰らうか……二つを天秤に乗せ。
「……良いです、分かりましたからガングロ巫女を早目に連れてきてください」
『分かったわ、ちょっと待ってなさい』
プッと、通話が切れる。
横で話を聞いていたクーフェイと楓は怪訝そうだが、龍宮が早目に此処に来る事は分かったのだろう、僅かに嬉しそうで。
「ふむ、長谷川殿も関係者でござるかな?」
「まったく無関係だ、私を訳の分からない事に巻き込むんじゃねぇぞ、と言うか、お前前科があるから多分次は無いぞ」
疲れた様子で楓を指す千雨。身に覚えの無い楓は不思議そうに首を傾げ。
「……図書館島のとき、私を浚うみたいな形で連れてったろ」
「ふむ、確かに、それが何か」
「朱雀がそれを見てたらしい……後少しで撃ち落すところだったとか言ってたから、たぶん……不完全燃焼で燻ってるぞアイツ」
楓が思い出すのは昨晩、図書館島の単語が出た後に自分を見た朱雀の壮絶な殺意。
一瞬背筋が凍り……少し呆れた様子で自分を見る千雨に目を見開く。
普段のノリでやった事だが、まさかそれが原因で昨晩あれほどの殺意を向けられる事になったとは考えにも浮かばず。
「……とにかく、私を変な事に巻き込むな、そうすりゃ私も何もしないし、何もしないように言っておいてやるから」
「……承知」
「よく分からないけど分かったアル」
楓とクーフェイが首肯したのに安堵する。
……ネギと明日菜の場合は、ここからが長いのだが、二人は直ぐに納得してくれたようで。
「話が早くて助かるわね……私からも釘を刺しておこうかと思ったのだけど」
背後からかけられたのは昨晩と同じ魔女の声。
それに慌てて楓とクーフェイが振り仰ぎ。
「真名、大丈夫アルカ」
「真名、無事でござるか」
「あぁ、ちょっと違和感があるが、普通に動く分には問題ない……それと楓、長谷川が言っていた危険性はもう二つ三つ危険度を上げて認識しておけ……それくらいやばい」
「む、そんなに危険でござるか」
「むしろお前がまだ五体満足なのが不思議なくらいだ……後で、詳しく説明してやる」
其処に居たのは、女将姿のメディアとホテルの浴衣を纏った龍宮。
昨晩、半身を断たれるほどの怪我を負い石化していた龍宮は、五体満足な状態で姿を現した。
「さて、千雨ちゃん、行こうかしら」
「……お手柔らかにお願いします」
それは、とある少女の犠牲を強いるような形でこそあったが。
死線を潜り抜けた戦友の復帰を喜ぶクーフェイと楓は、そんな二人を涙すら浮かべながら見送るのだった。