第九十八話
「そちらは殺してはならぬぞ……紀霊」
「仰せのままに」
正面から入ってきた暗殺者……囮役の暗殺者の背後にいつの間にか紀霊が返事する自害防止に顎を外し、肘と膝を砕き、最後に首を締めて暗殺者を落とした。
本当は最後のだけで良かったのじゃが……私怨が入っておるがそのあたりは目を瞑るのも良い太守の役目じゃな。
「ご苦労じゃったな紀霊……それにしても警備を突破してここまでやって来るとは……他の者は大事ないか?」
「三人ほど戦死、三人軽傷、二人重傷ですがしばらく経てば復帰できるでしょう」
む、戦死者三人か、多いのぉ。相手はやり手か。
「侵入してきた者はこの者等を含めて五十三名、内四十を討ち取り残りを捕縛しました」
やり手ではなく数が多かったようじゃな。
しかし、五十もの侵入者か……内通者か、それともそれだけ入念に下調べをしたのか。
内通者を公に調べるのは止めておくかの。本人に自覚がない場合もあるし、何より疑心暗鬼というのは自身にも他者にもストレスを与えるものじゃ。
疑心暗鬼で組織が崩壊、などというのはよく聞く話じゃ。それならば最初から最小限の取り調べで終わらせるべきじゃ。
もちろんあくまで表向きは、じゃがな。紀霊に甘寧、周泰、影達に調査はさせる。
それにしても……五十人か……多いのぉ。
その数を三人の死者で全滅させたのはさすがじゃが、さすがに侵入されすぎじゃろ。
差し向けたのは……本命は袁紹ざまぁの周り、次に宦官、大穴で馬騰……はさすがにないか?
「一度ここも新築した方が良いかのぉ」
「それがよろしいかと」
「そうすると政庁を移さねばならぬか……仕事がやり難くなる上に仕事が増えるとは……面倒じゃな」
紀霊は前々から政庁の新築、もしくは改築を上申されておった。しかし、ついこの前まで仕事の停滞は経済と信頼を失墜させるほどの状態であったから保留にしておったが、それも解消され、このような事件があっては本格的に考えねばならぬか。
交易路の中継地として上海の建設中であるというのに……また書類の大波が……。
まぁ文官が増えたからマシに……と思うじゃろ?同時進行で交易路の治安を守るために水軍の拡張……つまり造船中で、しかも揚州、漢中、幽州、徐州にも輸出することになっておるからその数は三千隻を軽く越える。まぁだいたいは揚州からの注文じゃがな。
そして水軍の造船所はその性質上軍機じゃから南陽政府の直轄じゃ。
大きな貿易路ができたため以前にも増して物資が集まってきておるため治安の悪化、関税の処理など恐ろしい速度で仕事が増えたのじゃ。
治安の悪化の中で厄介なのが物資を狙って広範囲で河賊が出没するようになったことじゃな。
おかげで軍艦の需要が増えた……これぞ風が吹けば桶屋が儲かるかのぉ?
他にも名士を多く雇用したことによって人脈が広がり、以前までは私的な来訪が多かったが、現在では公的な来訪がかなり増え、対処に時間を多く割かれておる。
それを証拠に街に出る機会が月に三度ほどしかない上に毎日何処かで歓迎の宴が催されておるし、相手にもよるが挨拶に出向かなければならない場合もある……その際は絶対七乃しか連れて行かぬのじゃ。紀霊や魯粛などを連れて行きセクハラされようものなら瞬間に血の雨が降るからの。七乃はそのあたり加減して〆てくれるから問題ない。
孫権は我慢はしてくれそうじゃがちょっと我慢ができるばかりに後が可哀想じゃから無しじゃ。甘いように思うかもしれんがセクハラされるのは仕事の範疇ではないのじゃ。それにあの尻を見ると手を出してしまう男の気持ちもわからんではない。
……話が逸れたな。
他にも洪水対策に水の逃げ道を作ったり(霞堤のこと)、戦乱に向けて城壁の改修増築したりとかなり大掛かりな事業を政府の処理能力が向上したことに調子に乗って処理能力ギリギリまで同時進行させておることでめでたく久しぶりのブラック企業化決定じゃな。
「おお、そういえば忘れておった。孫権」
「っ!なんでしょうか」
ん?何やら反応が……もしや囮につられてしもうたことを気にしておるのじゃろうか?もしそうなら経験の差じゃから仕方ないと思うぞ。
最近は外に出ぬから暗殺なんぞなかなか起きぬが、外に出ると結構な頻度で襲撃されることがあったからのぉ。暗殺か拉致かは知らぬがな。
いやー、あの手この手で奇襲してくるから吾も奇襲の造詣が不覚なってしもうたぞ。このような実地練習はお断りじゃがな。
それは置いておくとして——
「守ってくれてありがとう」
孫権に抱きつく。
「……っ!わ、私は何もしてないわよ!全部紀霊様が——」
「それでも吾は感謝しておるぞ」
そう、本当に感謝をしておるのじゃぞ?
おぬしは吾のことを知って、知ってしもうて無理やり幹部に引き立てた。
信頼も信用も構築する前に近くに置いた。
孫権の人柄から考えれば信頼すれば信頼で返ってくるであろうことはわかっておった……ぶっちゃけて言うと詐欺に遭いやすい性格をしておるからな。だからこそ吾のような悪い人に騙されるのじゃよ。
孫権は吾を呼び、守ろうとした。
もちろん孫権の性格上、逃げるなどと考えはなかった。
しかし、賊を排除するように動くと思っておったのじゃ。
その行動は結果的には吾を守ることになるじゃろう。だが、吾を護るという行動ではなく、外敵の排除を優先したということになるのじゃ。
「おぬしは吾をちゃんと守ってくれたじゃろ」
吾に声を掛け、後ろに庇ってくれたじゃろ。
それは自分自身より吾を優先してくれた証なのじゃ。
最近は若干疎遠気味ではあるが孫権はやはり孫家で、どうしても紀霊や魯粛などのように信頼できん部分がある。いや、あったというべきかの。
これからはもっと——
「それにしてもおぬし……良い匂いがするのぉ。それに胸も柔らか——」
「……ふんっ!」
今回は星が見えなかったのじゃ。
<孫権>
最近、お嬢様が妙に馴れ馴れしい……いや、これは語弊があるわね。
…………そう、距離が近い。
共に行動している時は以前なら大体私の二歩程度の距離を維持していたと思う。
そして今は一歩半、もしくは一歩程度にいる……それどころか最近はよく抱きつかれたりもしている。
切っ掛けはおそらく暗殺騒ぎでしょうけど……そんなに怖かったのかしら?それにしては随分慣れたような対応だったけど……いや、あの後、妙に熱心に感謝してたわね。ひょっとして平静を装ってただけなのかしら?
まぁ……その……猫が懐いた気分で満更でもないのだけれど……少し照れるわね。
……周泰、そんなにそわそわしても猫はいないわよ。……というか私の思ったことに反応するなんてどこまで猫が好きなのよ。
しかし、抱きつかれるのは別にいいのだけれど、匂いを嗅がれたり……その……胸やお尻を揉まれるのはちょっと困る。
女同士なのだから問題ないはず……いや、そういえば都では同性が流行っているという話もあったわね。……まさかお嬢様も?
それを差し引いても反射的に力いっぱい殴ってしまうのはなぜなのかしら。
その……性的な目的であっても相手はお嬢様、つまり子供なのに……本当になんでなのかしらね。