第百十二話
<北郷一刀>
「本当に大丈夫なんだよな」
「ああ、翠。大丈夫だ」
俺達は今、黄河を下っている。
馬騰さん達は董卓軍と相対していてるがそれはあくまで陽動だ。
なぜなら馬騰さん達は強い、強いけど董卓軍には呂布がいるという情報が入ってきている。
翠の実力を見ていればわかるけど、この世界の将は本当に強い。
日本で流行っていた漫画やゲームは将の強さを誇張していたけど、この世界の将はその漫画やゲームのような強さをリアルに体現している。
そうなると考えてしまうのは元の世界では天下無双、万夫不当、一騎当千と評され、三国志のメディアでは最強である呂布の強さだ。
もし万が一その強さがこの世界でも適応されているとすると翠や蒲公英、鳳徳さんが一斉に戦っても勝てるかどうか怪しい。
三国志演義では劉備、関羽、張飛の三人がかりでも倒すことができなかったのだから、もし倒せたとしても間違いなく何人か戦死することになる。
そんな存在と戦うなんて馬鹿らしいということで楊阜さんと一緒に考えたのが——
「今の洛陽には袁術、張勲、魯粛……目ぼしい武官がいないし、何より中枢となる人物が揃っている」
兵士はこちらより多いし、装備の質は相手の方がいいのはわかっている。
しかし、こちらは精強で知られる涼州兵の精鋭、あちらの精鋭は前線に出されていて徴兵された農民兵と袁術直轄の近衛隊しかいない。
装備の差、数の差が多少あっても将と兵の質はこちらが上だ。
何より——
「ここで袁術と魯粛さえなんとかできれば勝てる」
南陽の豊かさを手に入れるには袁術と魯粛を捕まえるか倒すしかない。
理想は捕まえて南陽を無傷で手に入れること、次点で二人を討ってなるべく被害を少なく南陽を手に入れることだ。
南陽さえ抑えてしまえば荊州や豫州から食料の輸入が可能になる。
輸入には資金が必要だが南陽にはその必要な資金が腐るほどあるはずだ。
これが成功すれば皆が飢えなくて済む……負けられない戦いだ。
「それに次善策も用意してあるから大丈夫だ」
本当はやりたくない手段なんだけど……相手が予想を超えて多かった場合や洛陽を落とすのに時間がかかった場合は、落とすのを諦め村や街を襲う。
略奪なんてしたくない。したくないけど……しないと俺達が飢えてしまう。でもしたくない。
……なんとしても勝たなくちゃな。
おっと、ダメだ。
俺が暗い顔していたら翠はもちろん、他の兵士達まで不安になる。
上に立つ者は不安を表に出してはならない……楊阜さんが言っていた通りだ。それを証拠に翠が不安そうに俺の顔を覗いている。
「大丈夫だ。いくら魯粛でも俺達が河から攻めてくるとは思っていない」
俺達の主戦力は騎馬隊だ。
騎馬隊を河で移動しようとすると大量の船が必要になるがそんなもの用意できない。そうなると馬を運べないということになり、馬がなければ数の差で戦いにならない。
だからこそ、この奇襲は成功する。
密かに調達していた船と接収した船で一万の騎馬隊を輸送することが可能になった。
これはあちらにとって予期できていないはずだ。
それに万が一涼州に密偵がいたとしても馬騰さん達が陣取っているために情報漏えいは防げているはず。
馬騰さん達が董卓軍と相対している理由の一つがこれだ。
ただ、調整役として楊阜さんがこちらではなく、馬騰さん達と共にいることが不安材料だ。
姜維の権威への弱さは戦場では出てこないから頼れる存在だけど……いや、相手は帝を擁しているんだからあてにできないかもしれない。
幸い帝が戦場に出てくることはないはずだけど……あの袁術のことだからわからないな。
それにしても……なんで袁術が帝を擁護することになったんだろう。史実では董卓のポジションのはずだろ。なのに袁術が荊州はともかく、揚州まで手に入れて、更に陶謙と同盟?陶謙って董卓連合の時には動かなかったはずだろ。
それに曹操が半包囲状態?いくらリアルチートと言われる曹操でもこれじゃ反袁術連合に参加することなんてできない。
更に劉備達はなぜかこの段階で南荊州にいる。
もう、認めるしかない。
ここは、三国志の武将がいるだけの三国志ではない世界なんだって。
歴史はもうわけがわからないぐらい改変されている……まさか俺のせい、なのか?確かバタフライ・エフェクトだっけ?それなんだろうか。
もしそうなら……俺はどれだけの影響をこの世界に与えたんだ?
黄河を下って下船した。
敵地のど真ん中に。
ここから最速最短で洛陽を攻める。
でも、まだだ。
黄河には袁術達の監視がいることがわかっている。
その目を誤魔化すために部隊を分けていて合流する必要がある。
気が逸るのを抑えてなんとか指示を出す。
まさか敵地にいると意識するだけでこれほど精神的にきついとは思わなかったぞ。
翠や蒲公英、姜維といった将はそうでもないが、兵士達は俺と同じように感じているようで日頃やらないミスをしたり、どこか行動がぎこちない。
なんとか緊張を解そうと声を掛けたけどうまくいかない。
そもそも俺の声にも緊張が含まれていて、それが伝わってしまい悪循環となってしまっている。
「お前らシャキッとしろ!この錦馬超様に恥かかせるなよ!」
さすが翠、五虎将軍の一人だ。
今まで張り詰めていた緊張が士気へと変わる瞬間を見た。
これが英雄ってやつなんだろうな。とてもじゃないけど俺には無理だ。
戦争に大事な三大要素、数、士気、食料の一つは手に入れることができたわけだ。残り二つは十分と言えないから一つぐらいは満たしてもバチは当たらないよな。
準備を整えていると他の部隊も続々と合流して、なんとか全員無事に合流することに成功した。
計画段階では大丈夫だとは思ってたけど、実際はそうならないことの方が多いので計画が現実になったことでホッとする。
この作戦は早く知られれば知られるほど成功率が下がる。
だからと言って無理な行軍をするというわけにもいかないので休憩を挟む。
さあ、ここからが勝負だ。
休憩が終わり、とうとう進軍を始める。
行軍はこれが勝敗を決める大事な戦いであることとここが敵地のど真ん中であるということもあって勝手な行動する兵士もいなくて順調そのもの。
このまま行ければ洛陽まで四時間程度で到着する。
「一刀!前!」
ちょうど半分を過ぎたあたりでそれは起こった。
翠の声で前方を注意深く見る。
しかし、異変は……いや、あれか?!土煙が上がってる!
やばい、もしかして見つかったか。
どうする。何処かに隠れて避けるか、それとも正面突破か。
「翠、数はわかるか」
「二千から三千」
こっちは八千、負けることははないはずだけど……大事の前の小事、ここは避けるべき——
「野郎ども!軟弱な都人に俺達の強さ、見せてやろうぜ!」
「「「「「おう!」」」」」
あ、これは無理だ。
涼州兵を止められない。
なぜか、相手がこちらと同じ騎兵だからだ。
異民族とは略奪者という敵という関係だが、それでもお互い憎悪だけの対象ではない。
時が違えば商売相手というギブアンドテイクの関係だ。
それは涼州人も異民族も共通して馬術に誇りを持っている。だから時には殺し合う関係であってもある程度理解し合うことができる。
日本人の俺にはわからない価値観だ……だけど、それだからこそその誇りを大事にしていることもわかる。
だが、その誇りはこの局面で少数の騎馬隊に逃げるという選択肢を奪い去られてしまう。
比較的頭が柔らかい蒲公英もやる気満々な時点で、ここで俺が声を上げたところで孤立するのは目に見えている。
つまり……交戦するしかない。
しかし、二千から三千というのは数が少なすぎる。
袁術の近衛隊ならもっと数が多いはずだ……何処かに伏兵が?でも、それなら騎兵が前面に出てくるのはおかしい。
どう考えても伏兵に騎兵を使うべきだ。
いや、考えても仕方ない。
ここまで来たら——
「この戦いは殺して勝利ではない!正面から突破することが勝利だ!そのまま突っ切るぞ!」
「「「「「おう」」」」」
よかった。
突破して洛陽にさえ着ければなんとかなるはず——
「賊軍に告げる!!」
——なんで……
「帝の願いにより最初で最後の慈悲を与える」
なんでここにいるんだ。
「今、投降するなら死罪とすることはない」
劉備と共に南荊州に行ったって……
「抗うというなら反逆罪とする」
なんでここにいるんだ——
「我、上軍校尉関羽雲長なり!」
<前話の続き>
……………
…………
………
……
…
「お久しぶりです。袁術様」
「う、うむ、久しぶりじゃ……関羽」
そう、関羽なのじゃ。
挨拶もなしに出ていった関羽がそこにはおった。
以前と変わりない……いや、少しやつれておるか?……そんなに劉備のところは貧しておるとは聞いておらぬが?
そうじゃないのぉ。問題は何を目的としてここに来たのかじゃな。
まさか、援助を申し込みに来たのか?いや、それとも
「それで関羽はなぜここに来たのじゃ?」
「まずは太傅就任おめでとうございます」
「うむ、祝いの言葉、しかと受け取ったぞ」
いや、そういうのは今は良いから……というか相変わらず堅いやつじゃの……それなのになぜ何も言わずに出て行って——
「そして此度は以前にも増しての大戦(おおいくさ)、おそらくは人手が足らぬと思い、急いで帰還した次第です」
確かに人手が足らぬと考えておったのは事実じゃが……ん?帰還?
「どういうことじゃ?おぬし、劉備についていったではないか」
「確かに随分と長くお暇をいただきました。これからは粉骨砕身、誠心誠意を持って仕えさせていただきます」
……ん?どういうことじゃ?
それではまるで吾に仕える……しかも客将ではなく正式に仕えると言っておるようじゃぞ。
「その反応……まさか袁術様は私が桃香——劉備殿に仕えたと思っていたのですか?」
「違うのか……と聞くのは愚問か」
おかしいとは思っておったのじゃ。
関羽が挨拶もなしに出ていくとは原作から離れておることを差し引いても礼儀がなさ過ぎる。
えーっとその……突然のことで少々混乱しておるから少し時間が欲しいのじゃ。
「一応定期的に報告書を送っていたのですが……」
「……あー……色々とわかってきたが、一応確認しておくぞ?その報告書は誰に出していたか知っておるか?」
関羽もようやく事態が飲み込めてきたのか、表情が喜怒哀楽の二番目へと変化しつつある。
「……張勲殿です」
「……すぅーー(大きく息を吸い込んで)……七乃ーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」