第百十四話
(まだ私達が撤退するにはお姉様達との距離が近すぎるんだよねー。でも、この鬼神さんをどうやって足止めしよう)
まだ一合もせず、相対すらもしていないというのに身体中の汗が止まらない馬岱は逃げ出したい気持ちを押さえ込んで関羽を見据える。
姜維の姿を見て涼州兵に動揺が走る。
全体的に脳筋である涼州兵は強さには鋭く、そして馬超に次ぐ強者である姜維が一撃で敗者の体である。動揺しない方が不思議だ。
そして馬岱の実力は事前準備が無い場合、姜維に遥かに劣る。
更に現状ではその事前準備が可能な状態ではない。
それに計算外のことは別にもあった。
西園軍の強さだ。
関羽一人の強さならまだ救いはあっただろう。
しかし、西園軍の兵士は一人一人が将並の強さを発揮していた。
これこそが腐っても鯛、黄巾の乱では出番がなかった彼らだが実力は相応にあったのだ。
もっとも腐敗した部分も多分にあったが厳選した結果が数こそ少なくなったがこの精鋭である。
殿部隊である馬岱達は寡兵となってしまった上に質まで劣る。
つまりは絶望的な現実が目の前にあった。
「た、蒲公英は平和的に話し合いで解決したいなー、なんて……」
「……敵意を持って武器を構える者とまで対話をしようとは思わん。降伏したならまだ考える、がな!」
言い終わる前に関羽は馬岱に斬り掛かる。
関羽はこの殿部隊の目的は本隊を逃がすための壁ではなく、次の攻撃のための盾なのだと直感が告げていた。
それが致命的な一撃なのか、苦し紛れの一撃なのかまではわからなかったが、そこは問題ではない。
なんにしてもここで逃がす必要性は関羽にはなかった。
関羽の斬撃は馬岱の目にはほぼ見えていなかったが腕が勝手に動き、姜維と同じように槍を盾にして受け、同じように吹き飛んだ。
しかし、結果は違った。
馬岱は腕と胸を一文字に斬られ、血が流れる。
「ちょ……と、格が違い過ぎる、かな」
元々の武の才だけでも十分強かった関羽だが、紀霊という師がいたおかげで更に高みに登り、劉備軍に所属していた時に趙雲や張飛とも手合わせをしたが相手にならなかったほどで、馬岱が相手になるわけがなかった。
自分達の将の危機に涼州兵が襲いかかるが、それこそ何処かの無双ゲーのように兵士は宙を舞う。
そこに一人、ここに居ないはずの存在が声を上げた。
「あたしの妹になんてことしやがる!」
馬超である。
関羽と姜維の戦いとも言えない戦いが目に入り、慌てて駆けつけたのだ。
「……妹を盾にして逃げ出した者が何を言っている」
闘気を漲らせる関羽が次の獲物を捉えた。
(髪の色と聞いた情報通りの性格……妹の馬岱に、姉の馬超か……この二人さえ捕らえてしまえば涼州は静かになるか?)
逆賊となった馬家の粛清は予定されている。されているが、今ではない。
反袁術連合という烏合の衆ではあるが大きく、油断できない敵が存在している。
董卓が袁術と同盟しているため、これ以上西から攻められることはないはずだが、今回のような奇襲も考えればここで次期当主であろう存在を捕らえておくことは悪くはないだろうと関羽は考えた。
「このあたし、馬超孟起が相手だ」
「……」
(これは……趙雲や鈴々と並ぶ逸材か、惜しいな)
反逆さえしなければ取り立てることもできただろうに……と、馬超の闘気から実力を感じた関羽は残念に思う。
袁術軍の武官の少なさに嘆いていた自身の主の姿が目に浮かんだ。
(反逆者を許して使う器量は袁術様にはあるだろうが、周りに甘く見られるのは面白くないか)
自身の主は既に色々な意味で甘く見られている。
容姿然り、演技も然り、蜂蜜も然り。
(しかし……馬超を捕らえるには、あの部隊は追いかけられない)
西園軍は南陽軍の旧装備(李典の魔改造装備前)であるため普通の装備より重い。
そのため軽騎馬がほとんどである涼州兵には機動力は劣るのだ。
「……それに武人が挑まれた勝負を背にするのもな」
<関羽が帰ってきた後の話>
「ところで袁術様」
「ん、なんじゃ」
「そろそろ仕事に戻らなくてよろしいのですか」
「吾は蜂蜜を食べるのが仕事——」
「いえ、そういうのはもうよろしいでしょう。太傅になられたのですから忙しいのですから」
「な、なんのことを言っておるのじゃ?」
なぜまるで仕事をしておることを知っているような言い方をするんじゃ……関羽は知らぬはずじゃぞ。
「仕官したからには……いえ、元々外へ漏らすつもりはありませんでしたがもう隠さないでもらいたい」
「……なぜ、わかったのじゃ?」
せっかく仕官してくれたのじゃから秘密を話すのも悪くはないじゃろう。
それに長い間離れておったとはいえ、関羽は客将の頃を含めると古参じゃからのぉ。
「気づいたのはあの書類地獄の際に袁術様が化粧をしていたことや夜に私室からいなくなることなど色々ありますが、一番の要因は書類でしょうか」
「む、どういうことじゃ」
「いつも山積みになっている書類が毎日違うものに変わっていました。最初は魯粛様や張勲殿が代行していたのかと思いましたが……あの地獄の間も代行しているとは考えづらい」
おお、なんか関羽が名探偵っぽいぞ。
確かに書類まで気にしたことなかったのぉ。
「それに……こう言っていいかわかりませんが仕事をしていない袁術様にしてはあまりにも重要な書類が多過ぎる、と」
なるほどなるほど、言われてみればもっともじゃ。
わざわざ見せかけの書類などしておらんかったからのぉ。
「というわけでしっかり仕事してください。本当に……本当に……」
ん?今の言葉、吾に向けて言っておるのか?妙に遠いところを見て……ああ、劉備のことか。
まぁ、あやつはあまり仕事しなさそうでできなさそうじゃからな。
うむ、やつれておったのは気のせいではないようじゃ。
「関羽、関羽、こっちに来てたも」
手招きすると関羽は素直に近寄ってくる。
そしてある程度近づくと吾の方から関羽の胸に飛び込む!そして成功っ!
「ご苦労じゃったな、関羽」
「いえ、自分自身で決めたことですので……手の掛かる妹ができたようでした」
できたようでした、ということは桃園の誓い……は場所が違うからできないじゃろうが、それに等しいイベントはなかったようじゃな。
まぁ、そのようなイベントがあったならいくら契約があったとしてもこちらに帰っては来るまい……いや、一応挨拶程度は来るかの。
それにしても……関羽はなかなかにテクニシャンじゃの。頭を撫でるのが上手い。
もっとも吾的には男の子と男の娘の夢が詰まっておるものに意識がいってしまうが……それは仕方ないじゃろ。
幸せじゃ〜……と色々な意味で溺れておったんじゃが後ろから殺気を感じて夢の地から離れて振り向くと——
「お嬢様、何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「お、おう。ちょっと久しぶりにあった関羽と感動の再会をじゃな……な、なんでそんなに怒っておられるのじゃ孫権」
や、やばいのじゃ。
孫権は吾の性別を知っておる……つまり吾がセクハラをしておることがモロバレなのじゃ!
あまりの恐怖に言葉遣いが変になってしもうた。
「怒ってなどいません」
「いや、怒っておるじゃろ」
「怒ってなどいません」
「怒って——」
「怒ってなどいません」
怒りの無限ループって怖いのじゃ。
これは機嫌取りをせねばならんな。こういう時こそ蜂蜜を……む、なぜじゃ、もっと怒られるイメージしか湧いてこんぞ?!
「孫権、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「はい。関羽さんもお変わりなく」
おおう……関羽のスルーっぷりが凄い。なんで孫権が怒っておるのか全て無視なのか?
そして一気に声色を変える孫権もやはり女じゃな。ついさっきまで怒っておったのにケータイに出る時に豹変する親戚のおばちゃんを思い出したぞ。
「孫権も袁術様が可愛くて仕方ないようだな」
「なっ?!そ、そんなことは——」
「孫権は……吾のこと嫌いなのかや」
ここで一気に畳み掛けるのじゃ!必殺・上目遣い!
「——知りません!」
むむむ、孫権は逃げてしもうたのじゃ。
まさか本当に嫌われているのではなかろうな……いや、こんな変態的な男の娘ならば堅物2号に軽蔑されても不思議はないが……寂しいぞぉ〜。
「ところで孫権は何を怒ってたのでしょうか」
……関羽よ、劉備に天然を移されたか?
「なぜ私はあれほど苛々したのかしら……なぜ……」