第百十五話
「ハアアァ!」
「ヤアァ!」
二人の女性が気合のこもった声と共に、尋常ではない斬撃と突きを繰り出す。
お互い紙一重で躱し、次の一手とまた攻撃を繰り出す。
その二人とは関羽と馬超である。
実力は互角。
武の地力は関羽が圧倒的だ。ならばなぜ馬超が互角に渡り合えているのか。
それは馬術にあった。
趙雲や張飛に勝つほどの武を持つ関羽だが、それはお互いが同じ土俵であったからだ。
馬超は生まれて今日まで馬と共に生活をしてきたと言っても過言ではない。
その動きは正しく人馬一体。
関羽も決して馬術が不得手、未熟というわけではない。むしろ袁術陣営の中ではもっとも優秀だ。
ただ、馬超の方がより優れているというだけのことだ。
馬岱も馬術では馬超に勝るとも劣らないがこちらは圧倒的に武の才と体格が足りない。
姜維は武の才はあっても元は平民の出であるため、馬術が劣る。
二人のいいとこ取りをしたような存在が馬超なのだ。
もし、万が一にも馬超が落馬するようなことがあれば決着までに時は掛からないだろう。
しかし、現実には落馬することもなく、善戦している。
刃と刃が衝突して嫌な金属音が鳴り、余波で周りの兵士を斬り倒す。
一騎討ち状態ではあるが周りの兵士達もまた戦っていて既に乱戦となっておりどちらが有利かはパッとは判断がつかない状態となっている。
駆けつけたのは馬超単体ではなく、千騎と共に駆けつけたので兵数は二千対二千五百(ただしお互い無傷だった頃の数字では)馬超達の方が上回った。
「これほどの強者と戦うのは久しぶりだ」
「ハァ、ハァ……」
ただし、現状が互角だからと言って、それがいつまでも続くことはない。
関羽はまだまだ余裕があるようだが馬超は息が上がり始めていた。
(この程度で疲れていては紀霊殿にどんな目に遭わされるか)
実は無駄についた体力のせいで普通より多くの敵(書類)と戦うことになるのだが関羽はそれに気づいていない。
それはともかく、やはり関羽は将というより武人。勝つことより戦うことに趣を置いてしまうことが多々ある。
今まで命のやり取りはしてきたが、自身の命が掛かっていると思えるほどの戦いは袁術軍ではもちろん劉備軍ですら経験することはなく、馬超との戦いが初めての経験だった。
嬉しく思う反面、焦ってもいた。
(これほどの使い手に焦って攻めるは下策……だが……)
戦い自体は時間を掛ければ有利になるだろうと思いはあるが問題はその時間であった。
本隊を率いる北郷を取り逃がしたこと、そして先程から姜維の姿が見えないこと、傷を負っていながらも指揮を執る馬岱。
五千という兵数では局所的な損害を受けることはあっても、致命的な何かを行えるとはあまり思えなかった関羽だったが、やはり本隊の迷いない動きが気になっていた。
「……私が早く追いつけば問題ないことか」
「そういうことはあたしに勝ってから言え!」
馬超の乗る馬が応えるように今までにない速度で走り、距離を一気に詰める。
その勢いに関羽の乗る馬は怯えが入るが騎乗者はそれを気にした様子もなく上段から青龍偃月刀を振り下ろす。
それを見事な馬捌きで躱し、今度こそと躱しづらい肩を狙って突く……が関羽の青龍偃月刀は振り下ろしから斬り上げへと変化させる。
今度も避けようとしたがどうやら馬の方がどこかしら負担が掛かって馬超の指示に追いつけずに自身が動いてなんとか躱すことができたが大きくバランスを崩してしまった。
関羽は青龍偃月刀の勢いを回転させる方向へ変え、逆さに持ち石突で馬超が狙っていた肩を反対に鋭く突かれる。
バランスを崩していながらも更に身を捻って躱そうとしたが叶わず、派手な打撃音と共に大きく吹き飛び、落馬してしまう馬超。
「……ふぅ、なんとかなったか」
真剣勝負中に武器を回転させるなど取り落としてしまえば一気に形勢逆転される博打に等しいことをしてしまったが、もう一度普通に振るっていたなら体勢を立て直されていただろう。
今の手応えは重症と言えるか微妙なところだが、負傷した相手ならばそう時間も掛けずに討ち取ることができると踏んでいた。
「さて、健闘を讃え、もう一度問う、投降せよ」
時間がないためあえてもう一度投降を呼びかけ……馬岱が投降の意を示した。
「ふむ……関羽は抜かれたか」
「はい。さすがに重騎馬兵では軽騎馬兵を捕捉し続けることは困難だったようです」
むぅ……まさか黄河を下って洛陽を攻めてくるとは思いもせんかった。
あまりにも愚策過ぎて見落としていたのじゃ。
そもそも兵站も確保できない上に食料を食い潰す騎馬兵、そして騎馬兵で攻城なんぞ正気の沙汰ではないの。
「しかし、二種類の馬と姜の旗は関羽さんと戦っているそうですから役割は果たしていると言えるかと」
そうじゃな。吾等が怖いのは強力な個の力じゃ。
馬岱ならば問題はない。吾の近衛隊はほぼ同等の技量だと分析結果が上がってきておるからな。
問題は馬超と姜維であった。
現在の洛陽にいる将で一番の武の才があるのは魯粛であるが、その魯粛は馬超にも姜維にも勝てないという見立てじゃからのぉ。
馬超だけでもかなり厄介なことになるじゃろうから全員を引き付けてくれた関羽はちゃんと仕事をしたと言える。
しかし……
「北郷一刀だけでここに向かってきておるとはどういうことじゃ?」
武力要員がいなくなり、てっきり逃げ帰るのかと思っておったが予想を裏切り、少し遠回りをしながらも洛陽へと向かってきていると報告を受けている。
村や街を襲うこともなくこちらに向かってくるとは……本気で洛陽を落とす気か?
「いくら洛陽が戦知らずの城とは言っても、たかが五千程度でどうにかなると思っておるのか?」
「そこまでの愚者なら問題ないのですが、おそらくは……」
「内応か」
騎馬隊が攻城に向かない以上、籠城されるとどうにもならない。ならば城を落とすのに一番効率的な手段で攻めてきても不思議はない。
「となると籠城は下策か?」
締め付けを厳しくするには人員が足らぬし、何より籠城で疑心暗鬼なんぞ死亡フラグじゃろ。
「そう思わせて野戦に袁術様や私を引き摺り出して形勢逆転を狙っているのかもしれません。どちらにしろ陛下達の身の安全も優先せねばなりませんから戦える数が減ってしまい、野戦ならほぼ同数の戦いとなるでしょう」
「なるほど、そういうこともあるか」
馬家だけなら洛陽にある伝など数が知れておるからそれほど未然に防ぐのはそれほど難しくはない。だが問題は袁紹ざまぁ経由で行った調略ならば全く予想がつかんな。
「七乃、袁紹ざまぁが関わっておると思うか?」
「袁紹さんはお嬢様のことを随分と怖がっていましたからねー。馬家にいいところを取られるのは癪でしょうけど、自身で手を下さなくて済むなら手伝うでしょうねー」
「……吾、そんなに怖いか?結構可愛いと思うんじゃが……」
「お嬢様が可愛くないなら世の中塵ばかりですよー。袁紹さんの感覚がおかしいんです」
「ええ、張勲さんの言うとおりです」
(それはあなた達の基準でしょう……まぁ……その……可愛くないこともないけど)
ん?孫権のツッコミが来んな。どうしたんじゃ?そういえばこの前怒った時から妙に余所余所しいというか、他人行儀というか……まさか、関羽に行ったセクハラにそれほど怒っておるのかや?
「それで対策はどうするべきじゃと思う」
「迎撃に出るべきかと思います」
「えー、それじゃお風呂入れないじゃないですか」
「張勲さんは別に戦場に出なくて構いません。総大将は袁術様、副官は私が、前線指揮は孫権さんにお願いします」
「え、私が」
ふむ、ここに来て孫権の本格的な初陣か……以前長安に出向いたことがあったが戦闘はなかったので初陣というにはイマイチじゃろ。
「……あ、そういえば吾も初陣か」
「大丈夫です。優しく手ほどきして差し上げます」
「ずるい!さすが魯粛さん!ずるい!」
「あ、張勲さんは私達が抜ける分の仕事をお願いします」
……今の七乃の表情を絵にするとタイトルは間違いなく『絶望』じゃな。言葉で表せられない絶望感をヒシヒシと感じる。
それにしても戦争か……実際に現場に出ることがあるとは思わんかったな。
しかし、陛下達の身の安全をどうやって守るか……。