第百十八話
「敵はこちらに付き合ってくれるのか」
てっきり洛陽を攻め落とすつもりかと思うたが……陛下達は吾と孫権、魯粛に七乃ぐらいしかここにおることは知られておらんはずじゃから陛下達を狙いではないようじゃな。
いや、内応者達が洛陽を掌握するまでの時間稼ぎか?それとも吾が狙いか……どちらにしても——
「右側に土煙!百程の騎馬兵と確認!旗は姜!」
何っ?!あ、そういえば姜維の行方がわからないままだったのじゃ?!
やばい、このままだと横っ腹に突撃を食らってしまうのじゃ。
いくら重騎兵が強いとはいえ、さすがに無防備な横から突撃されては装備など関係なくやられてしまう……しかも、なんか吾等の方向に向かってきてるぞ?!
「各々の判断で弩を射掛けよっ!」
号令を掛けるのも時間が惜しいので簡単な指示を出す。
これで足が少しでも遅くなれば……血を流しながら先頭を駆ける姜維に全て切り払われてしまって速度が落ちぬ。
このまま突入されては吾を捕捉されかねん。
小次郎がおる限り、馬は怯えて近寄れんから機動力ではこちらが上回る……はずなんじゃが、この世界の武将を人間と考えてはならん。故に油断ができん。
「先頭を走る者は関羽と同等と思って対処せよ。投網用意!」
今吾等が装備しておる投網は本来は人間相手を対象にしておるもので、騎兵を相手にするものではないため、一定の効果はあるじゃろうが完全に捕縛することは叶わんじゃろう。
まぁ、それでも数が数じゃからどうなるかわからんがな。
「お嬢様、私が足止めいたしますので魯粛様と共に……いえ、魯粛様が動いたようですね。では少し前に出て避難いたしましょう」
どうやら魯粛が姜維を対処するようじゃ。
後方の部隊が速度を上げて陣形を崩したのが吾にもわかった。
「魯粛はどの程度率いておる」
「五百ほどかと」
五百、か……本来なら百程度の相手に重騎兵を五百なぞ過剰な戦力と言えるが、姜維が率いておることと魯粛という重職についておる者を守る数としては少なすぎる。
「百を魯粛の援護に回すのじゃ。合流するのではなく、側面や背後を狙うようにするのじゃ」
「了解しました」
これで姜維は魯粛と正面から戦うとなれば隙が生まれるため、躊躇するはず。
しかし六百が離れたことで四千七百から四千百に減ってしもうたな。
百の敵に六百も使わねばならぬとは……やはり武官の少なさが吾等の欠点じゃな。
こちらは四千百で相手は三千八百、その差は三百と何かあればひっくり返る程度の差でしかなくなった。
姜維の狙いが吾だったとしたら失敗と言えるが、唯一実戦経験があり、優秀な魯粛を本隊から引き剥がしたとするとなかなかの手じゃ。
孫権は判断を迷っておらんじゃろうか?初陣じゃから心配じゃ。
この場合の正解は北郷の方を潰すことじゃぞ。決して吾を心配したり、魯粛に判断を仰ぐために突撃を取りやめたりすることではないぞ。
<北郷一刀>
やばい、やばいぞ。
計画では俺達に不意打ちされた袁術達は籠城、内通者の協力で城門を突破、中で内通者達と合流して袁術達を捕縛する予定だった。
それなのに袁術達がまさか出撃してくるなんて……しかも人はもちろん馬まで武装した重騎兵は強すぎる。
数はそんなに変わらないし、兵士の強さは俺達の方が上みたいだけど、あの鎧が異常に堅いみたいで簡単に倒せない。
ただ、兵士達から情報を集め、堅くて殺すことは難しいが馬から落とすなら戦えると打開策を見出した。
騎馬同士の戦いなら落馬してしまえば戦死とそう変わらないし、戦線に復帰するには時間が掛かるはずだ。
「それに姜維が来てくれて助かった……翠や蒲公英も大丈夫かな」
あの関羽に勝てるとは思えないけど翠だったら五分の戦いができる可能性が高い。それに蒲公英もいるんだから翠が一騎討ちで関羽を、蒲公英が部隊指揮をすれば滅多なことでは負けないはずだけど……心配だ。
「弓を構えろ!」
心配だ。心配だけど今は目の前の戦いに集中だ。
一部の兵士から白い虎に乗る小さい女の子を見かけたという話を聞いた。
袁術は日頃から小次郎という白い虎に乗っているという情報があったからまず間違いなく袁術だろう。
しかし、その姿は日頃の服装で、鎧などの防具、それこそ俺みたいに急所を守るように部分的な鎧すら(重くて完全武装だと着れない)も着ていないとも報告された。
つまり、矢一つでも致命傷になりえるということだ。
袁術が傷つけば軍全体に動揺が走るだろう……死なれると弔い合戦となって怖いことになりそうだけど、そんなことを考えている余裕は俺達にはない。
それにしても……遠いっ。
なんでこっちは届かないのに、あっちの矢はこんなに射程が長いんだよ。何かズルしてるんじゃないか?!
でも、最初よりも矢が集中せずにまばらになってるのは多分姜維の奇襲のおかげだろう。
前線の指揮官が焦っているんだと思う。
今戦っている近衛隊は戦歴が殆ど無いのは確認できていた。
洛陽にいる武将に関しても実戦経験があるのは魯粛、廖化の二人ぐらいで、その内廖化の方は洛陽で天子を守っているという情報が入っている。
ということは今目の前の部隊を率いているのは袁術と孫権ということになる。
孫権か……武名はあまり聞かないけどどうなんだろう。ゲームなんかだとあまりいいステータスじゃないからそれほど強敵というわけではないはず……と思うのは油断か。
「放て!」
いつもより間合いを詰めた状態で斉射の声をあげる。
これで先頭を崩すのではなく、敵陣の内側を狙った射撃になった。
その代わり、こちらは射撃で陣が崩れ、相手は万全な状態という最悪な展開と——ん?少し動揺している?まさか本当に袁術に当たったか?
「全軍!突撃だ!」
最初の衝突では思わぬ動揺で浮足立っていたため、攻撃よりも受け流すことに集中するようにギリギリで指示を出してなんとか被害を抑えることができた。
でも今回は全力で当たる。
ここを逃せばチャンスはない。
「ハアアァァ!」
その声は女性のものだった。
女性が強いこの世界では珍しいことではない。
それなのにその声はよく耳に入ってきた。
ついそちらに視線を向けると……まとめて五人ほどが斬り飛ばされている光景が目に入る。
そこで直感が告げる。
あれは孫権仲謀だ、と。
そして、偶然か、必然か、その瞳と俺の目が合う、合ってしまった。
「お前がお嬢様を傷つけたのか!」
その形相は先程まで思っていた孫権仲謀というイメージとは大きく異なった、険しく、猛々しく、そして怒りに満ちていた。
あまりの形相につい俺は射ってないと思ってしまう……指示したのは自分なのだから間違いなく自分のせいなのだと思いを改める。
兵士達は孫権が指揮官であるということを認識したようで次々と殺到する……にも関わらず見えているのは孫権の褐色の肌が、着ている服が徐々に兵士達の血で赤く染まっていく姿だ。
「誰だよ。孫権をあんなステータスにしたの」