第百十九話
くっ、ぬかった。
姜維の突撃を回避するために前列へと移動したのが仇となった。
敵の騎射が思った以上に中まで届き、矢から守ろうと劉勲が全力で切り払っていたが全ては防げるはずもなく、吾自身に防ぐ手段もあろうはずがなく、被弾してしもうた。
数は三本、被弾した箇所は左腕、左肩、左脹脛(ふくらはぎ)じゃ。幸い上半身の矢は李典魔改造鎖帷子……というか既に鉄糸で編まれた服で守られておったからかすり傷程度で済んだのじゃが、重量の問題で下半身まで覆うことができなかったのじゃよ……小次郎も嫌がるしのぉ。
つまり脹脛だけがしっかり矢が刺さってしもうたのじゃ。
ただ、これしきの負傷を負った程度で兵士達が乱れたのはちょっと不満じゃ。
愛されておる証拠と思えば嬉しいが、戦場でそういうことをされると困るぞ。
ちなみに矢を受けたのが全て左な理由は利き腕が右だからじゃ。ほれ、利き腕が負傷しては執務に関わるじゃろ?
この戦いが勝っても負けても吾が休むと多分大恐慌に陥るからの。吾か魯粛が死んだりしたらそれこそ大陸恐慌待ったなしじゃ。
ぶっちゃけていうと吾も魯粛も商会の跡継ぎを指名しておらん上に権力も吾等に集中させておるから良くて麻痺状態、悪くて大暴走して史実を超える群雄割拠……いや、群雄ではないか、第二次黄巾の乱となる可能性も否定できん。
「ぐふっ?!」
そして今はその刺さった矢を抜いたところじゃな。
戦場のど真ん中でやることではないが、よく矢が刺さったらそのままにしておかないと出血が……という話があるが、時代が時代じゃ、一番怖いのはもちろん出血多量じゃが次に怖いのは化膿や破傷風であるからなるべく早く対処しておくべきじゃ。
「ぐぐがっ!!」
それにスーパードクターKこと華佗特製の傷薬があるからの。
近衛隊に常備させてあるアルコール度数が高い消毒用の酒で消毒を行い、塗り込む……ものすごく滲みるぞ!
しかも塗るのではなく、塗り込むじゃ。傷口の中まで塗る必要があるそうじゃからなかなかつらい。
その後、止血作用があるという葉(何かは不明)を上塗りし、包帯を巻く。
さすがに突撃の最中では上手く巻けんな。最低限の役割を果たせばそれでよいか。
「劉勲、落ち込んでおる場合ではないぞ。戦況はどうなっておる」
「はっ、申し訳ありません。現在、孫権様が先頭にして快進撃中です」
……快進撃を使うのは孫策のはずなんじゃが……と、そんなボケをしておる場合ではないな。なぜ孫権が先陣を切っておるのじゃ?!指揮官が前に出ては駄目じゃろ!
「どうやら孫権様は完全に頭に血が上っているようです」
「ん?なんで孫権が怒っておるんじゃ?」
「……」
え、なんで「あー、こいつダメだな」的な視線を受けねばならんのじゃ?
あれ、よく見ると周りに居る者達まで……皆なぜか知っておるのかや?
「さて、孫権様が敵将を見つけたようです。私は孫権様の援護をいたしますのでお嬢様を頼みましたよあなた達」
「「「はっ!」」」
あれ、吾の質問が華麗にスルーされたぞ。
疑問は晴れぬままじゃが、いつまでも考えても仕方ないので今度は魯粛の様子を聞いてみると——
「何?!魯粛と姜維が一騎討ちじゃと?!」
「はい。敵将の強さは紀霊様や関羽様ほどではないにしても一騎当千の強者であるようで、私達(近衛隊)では被害ばかりが増えると魯粛様直々に……」
魯粛に万が一のことがあれば吾の負傷なんぞよりよほど事じゃぞ。
なぜ足止めに徹さなかったのじゃ?いくらなんでもリスキー過ぎるじゃろ……まぁ魯粛のことじゃから何か理由があるのじゃろうが、心配じゃ。
「大丈夫です。敵将は負傷しているため魯粛様が有利にことを進めています」
そういえば関羽に斬られたと報告にあったな……しかし魯粛と姜維では実戦経験の差があるじゃろ。
「それにお嬢様の指示で分けた部隊が突撃を仕掛けるようなので大丈夫かと」
「なら良いがの」
<孫権>
手が止まらない。
頭が沸騰する。
思考がまとまらない。
身体が勝手に動く。
いつもより身体が軽い。
でもどうでもいい。
今はあの妙に光る服を着たやつを殺したい。
お嬢様を傷つけた奴らをユルサナイ。
「孫権様、さすがに頑張り過ぎかと。お嬢様が心配なさっておいでですよ」
……劉勲さん……声をかけられて反射的に睨んでしまったわ。
「お嬢様の怪我は大したことなさそうです。ご自身で治療なさっていたぐらいですから」
「……本当に、無駄に逞しいお嬢様ね」
日頃は蜂蜜書類蜂蜜書類ばかりだけど、いざという時は本当に逞しい。
……身体もなかなか立派——っ!私は何を考えているの。
「ふうぅ……少し落ち着いたわ。ありがとう劉勲さん」
「いえ、これも近衛隊の隊長としての務めです」
「助かったわ」
「それに……私の分も残しておいてもらわないと」
あ、忘れてたわ。近衛隊はお嬢様の熱狂的な信者の集まりだったことを。
私なんかより怒りを覚えているのは彼女達でしょうね……それにしてもこれほど怒ったのなんて初めてね。
原因は……やっぱりお嬢様……よね。でもなぜ——
「孫権様、働きすぎるのは困りますが手元を疎かにしていいわけではありませんよ」
「そ、そうね。ごめんなさい」
ここは戦場なのよ。何考えているのよ私。
劉勲さんが並んだことによって私に集中していた兵士達は半分に減り、かなり楽になった。
それにしても怒りに任せて切り込んで思ったのは、思った以上に私自身は弱くないのかもしれないということ。
もちろん慢心するつもりはない、ないけど、紀霊さんや甘寧と訓練していた時にはわからなかった事実が少し嬉しい。
……それでもあの姉のようにはなるまい。これ、絶対。
「それにしてもやはり姉妹ですね。戦い方がそっくりでしたよ」
「……体調が悪くなったので後ろへ下がります」
「え、いや、冗談です。冗談」
絶対嘘ね。目が泳いでるわよ。
……ハアァ、姉様に似てるなんて以前なら喜べたのに……最近は戦いでしか存在価値を示せない姉様が哀れで仕方ないよね。
それに、なぜか姉様はお嬢様と魯粛様を信用しきれてないみたいだし……どれだけ恩を受けていると思ってるのよ。
まぁ今だに太守になれてないのだから約束を守る気があるのか疑うのはわかるのだけど、それは自身の放蕩癖のせいなのよ。
「ああ、苛々してきた!」
(ここで怒っている姿も似ている……といったら矛先がこちらに来るのは間違いないわね)