第百二十一話
<曹操孟徳>
「そう……涼州軍は負けたのね」
友が無事で嬉しく、友が天下を手にしようとしているのに嫉妬し、さすがは友であると誇らしくもあり、最大の機会が消失したことに失意を感じ、このまま自分は蜂蜜に埋もれてしまうのかと焦燥感を感じ、それでも動けないという現状に不甲斐なく思う。
美羽の財力は私達の想像を超えていたとしか言えない。
前々から底の知れない資産を持っているだろうとは思っていた。
だからこそ調べてもいたのに……それでも調べが足りなかったとしか言えないわね。
調べるようにしていたのは『南陽の財務』だったのだけど……まさかこれほどの大兵力を集める資金とそれを支える兵站の全てが『美羽の私財』から出るとは誰も思わないじゃない。
何より兵士を賦役ではなく雇い入れるなんて……一体何処にそんな資金を隠してたのよ。
「稟、風はどう思う」
彼女達は美羽の下で長い間働いていたのだから何か知っているはず……よね。
「涼州軍は健闘したとは思いますけど当然の結果ですねー」
「風が言う通りです。そもそも涼州の食料自給率は低く、大部分は交易に頼っていますが交易相手が少ないため、幹部のどなたかがその気なら荷留を行えば瞬く間に干上がるでしょう」
「それをしないのは袁術様達の良心ですねー。もしかしたら仕事が増えるのを嫌ってやらないだけかもしれませんけど」
……仕事を嫌って?
「華琳様は南陽の眠らぬ政庁という名を知りませんかー?」
「聞いたことがあるわ」
確か日が沈んで何時間経っても明かりが消えないことが由来じゃなかったかしら。
「その通りです。しかし、その実態は書類の処理が追いつかないため日が暮れても寝ることも休むことも許されずに働かせ続けるためのものなのです」
「こちらに来てから天国ですよー。定時にあがれますし、何より寝れますからねー」
「ええ……本当に……お金というのは使う時間があってこそ意味があるのに使う時間がありませんでし」
桂花に勝るとも劣らない……いえ、事務仕事だけなら頭一つどころか二つほど抜きん出ている彼女達が黄昏させるなんて……いったいどんな環境だったのかしら?言っていることを真に受けると重罪人の強制労働より厳しいわよ。
「話を戻しますが、つまり幹部はいつも仕事が多く抱えている状態ですので出来る限り仕事を減らしたいと思っているはずです。今回の涼州軍の奇襲は予想外だったでしょうが、順当に考えるなら涼州軍は董卓軍を倒さなければ洛陽、南陽に向かうことはできないので仕事が増えないので対処をしなかったのでしょう」
「それに反袁術連合の本隊である袁紹さん達のお相手もしないといけないので疎かになった面もあるのではないかとー」
そうね。麗羽達は美羽の妨害で進軍が遅れているとは言っても黄巾なんていう軍とは言えない烏合の衆ではなく、久しくなかった本格的な軍対軍の決戦なのだからいくら準備してもしたりないでしょう。
それを考慮すると背中の警戒を怠った可能性はあるわね。
「涼州軍との戦い自体は特に見るものはないかと。戦術、兵種が違いすぎて参考になりません」
「何より親衛隊は袁術様の直属ですから当分は戦う機会はないと思いますよー」
確かに私達ではあれほどの騎馬兵を用意することは難しい……美羽の買い占めをどうにかしないと馬の値段が高止まりを解くことはできないでしょうね。
更に今回の戦いで馬が減ったでしょうからまだまだ買い占めを止める気は……いえ、これまで以上に徹底するわね。私ならそうする。
つまり、これからはまとまった馬が手に入る予定が立たないということね。
涼州軍の戦い方も美羽の軍の戦い方も再現しようがない。
歯がゆいわね。
「強いて言えば関羽さんが袁術様の下へ戻ったことですね」
「そうでしたね。関羽殿が戻ったことは武官不足であり、このような局面では大きいでしょう」
関羽雲長……二人の話では劉備玄徳の下へに行っていたと聞いていたのだけど美羽の下へ戻ったのね。
……私のところに来てくれてもよかったのよ?
「そういえば美羽……袁術自身の働きぶりはどうだったの」
「袁術様には取り立てて頂きましたし、何度か私達の働きを見学にいらしていましたがあまり接点は……」
「おやすみの時に見かけてもだいたいは蜂蜜を食べてましたねー」
おかしいわね。
日頃から抜けている美羽でも彼女達の能力の高さがわかったはずなのになぜ引き込もうとしなかったのかしら。
「私達は元々別に仕官するつもりであることを袁術様にお伝えしていたのでそのせいかと」
そんな些細な理由でこれほどの才能を手放すとは思えない……それに美羽はそうだったとしても魯粛まで倣うのは納得がいかない。
「魯粛様は袁術様命ですからねー。」
洛陽へ帰還を果たした。
そこで見たのは……街並み自体は人通りが多少減っている程度で、それ以外に変化はない。
ただし、それは市民が暮らす街並みの話だけであった。
朝臣達が暮らす区画では放火があったようであちらこちらに焼けた後があり、地面にはまだ乾いてもおらん血が池のように溜まっておる。
かなり激しい戦いがあったようじゃな。
吾等が察知しておった者達は決起する前に処分したが、それでも随分多くの者達が内応に応じたようじゃ。
なんで袁紹ざまぁが根回ししたというのに馬家の奇襲に乗っかったのかイマイチわからんが、その数は一万を上回っておったそうじゃ。
しかも素行不良や世襲というだけで入っておった元禁軍の兵士達が参戦しておったらしい。
素行不良であろうが親の七光りであろうが一応は兵士として訓練をしていた者達が参戦されたことで被害が多く出たようじゃ。