第百二十三話
<周泰幼平>
姜維という女性はよほど北郷一刀という人物が大事なようです。
二人以外は全滅したというのにまだこの場面で何の役にも立たない男性を自身を犠牲にしても護るという意思が伝わってくる。
鬼気迫るとは彼女の現状を言うのでしょう。
そろそろ命が危うい出血量となっていますがその兆しは顔色が多少悪い程度で死に掛けの人間とは思えない。
更に麻痺毒を塗った投擲用の短刀でいくつか傷つけることに成功してもう効果が出てきているはずなんですが……そんな兆候が見られません。気合で動いているのか、効きが悪い体質なのかは知りませんが厄介です。
それに加え、今まで有利に進めていた最大の要因である森を抜け出されてしまい、草原へと逃げられてしまいました。
草原では正面から戦うことになる上に相手は騎乗していて速度が違い、函谷関に着くまでに後数回しか狙うことはできないでしょう……しかし、本当になぜ函谷関へ向かっているのでしょうか。
長安近郊では董卓軍と涼州軍は数度衝突して董卓軍の呂布奉先が鬼神の如き強さで馬家の何人かの首を上げて優位に進めていると聞いていますから今も函谷関は董卓軍の守っているはずです。
それに董卓軍が寝返ることはないはず……そもそも寝返るならこのような中途半端な奇襲ではなくて呂布や張遼などの将も参加して大規模なものになっているはずです。
となると……あるとすればどのような方法かはわかりませんが涼州軍が何処かに潜んでいて合流するあたりでしょうか?しかし、そうなるとあの二人を捕らえるのは難しくなりますね。
だから、ここで勝負を仕掛けるしかないのです。
「やっと姿を現したか」
返事は返さない。
私は——彼女を殺しに来たのだから。
剣に手を掛けるとそれを合図に影達が一斉に短刀を投擲する。
一騎討ちではない、だから名乗りもしない。
今までのように疲労を誘うようなものではなく、殺すための攻撃。
男性の方は捕縛するように言われているが女性の方は最悪殺してしまっても良いと言われていたことを今実行に移した。
「出てきたと思えば名乗りもしな——ッ!」
短刀を防ぐために私から視線を逸した瞬間に全力で走り間合いを詰め、背負っている剣を引き抜き斬り掛かる。
まずは馬を仕留める。
そうすれば負傷している彼女は逃げることは困難になるでしょう。そして、発言から察するに彼は彼女を見捨てて逃げることはできないはず。
人間として至極当然、ですが将としては二流ですね。嫌いではありませんが。
彼女の身体の向きから考えて私を攻撃するのは不可能、となればこれは確実に——ッ?!
思わぬ方向からの襲撃を察知して紙一重に躱すと身体を向き直すには十分な時間を与えてしまい、彼女から重い一撃を剣で受ける事になり、後方に飛ばされてしまい、距離が開いてしまいました。
本当に重傷者なのか疑わしい重さの一撃は、まだまだ戦えると声なき声で訴えています……麻痺毒はそろそろ仕事すべきです。
しかし、まさか——
「馬に蹴られるとは思いませんでした」
これも人の恋路を邪魔をしたからでしょうか?
好き好んで邪魔をしているわけではないのですが……そもそもこれは恋路なのでしょうか。
それにしても鋭い一撃でした。お猫様の連打ほどではないですがお馬さんもやりますね。
ですが、あのお馬さんも敵と勘定するとなるとなかなかに厄介です。
幸い、お馬さんも戦うとなると逃げる足は止まりますからなんとか時間が稼げそうです。
今度は私が先に斬り掛かり、距離が半分ほどになった段階で影達が投擲を始めました。
あくまで直接彼女と斬り結ぶのは私だけ、影達は親衛隊以上に替えがきかない人達だと袁術様は言っていたので無理をさせり、使い捨てるわけにはいかない……元々使い捨てるつもりなんてありませんが。
今度はお馬さんを操る彼女の足を狙う。
馬上で槍を振るうには足をしっかり踏ん張らなければ半減すると関羽さんが言っていたことを思い出したのです。
それを彼女も理解しているのは当然で、私の対処を……いえ、殺す一撃が真っ直ぐ突き進んできましたがなんとかそれを剣で逸らすことに成功。
そして彼女に短刀が三本ほど刺さっています。
どれも致命傷は避けているようですが、あの重傷に更なる負傷となるとさすがに辛いのか彼女の表情が苦悶に歪む。
それでも瞳の力は衰えていない。
しかし、現実はそれを許される状況ではないはず……
「……これが最後です。降伏してください。今なら命は助かりますよ」
ただ、命は助かっても無事だとは思えませんけど、それは言わぬが花ですね。
袁術様が負傷したという知らせを聞いた時の張勲さんの表情を見た影が今も床に臥せっているといいますから……一体どんな表情をしていたのでしょうか。
「ふっ……降伏なんてするつもりはない。だって……私の勝利だもの」
「周泰様!西に土煙がっ」
影の悲鳴とも言える声に反応してそちらを向くと……確かに土煙が上がっている。
あれは……旗か、李に、郭……しかもあの色は董卓軍か?!しかも姜維の発言が本当なら敵ということになりますが……真偽を確かめるにはあまりにも危険ですね。
もし敵だった場合、全滅は免れません。
もし私達の味方だったなら彼女達を捕らえるか殺すはず、ということは逃げる一択ということですね。
「撤退です!」
もう少しというところまで来て……無念です。