第百三十一話
<汜水関>
「あのような関など雄々しく勇ましく華麗に粉砕してしまいなさい!」
袁紹の号令で戦は始まった。
原作では総大将がなかなか決まらなかったが、ここでは汜水関に来るまでに時間が掛かってしまったため既に袁紹が総大将を務めることは決まっていた。
それに兵糧の心配もあってこれ以上無駄な時間を掛けることを全員が嫌ったというのも一つの要因となっている。
そして時が惜しい反袁術連合は汜水関に布陣して一日休みを取り、進撃を開始した。
最初から本気だ、と言わんばかりに五万もの兵士が力強い歩みで難攻不落の函谷関に並ぶ汜水関を目指す。
それを迎える袁術軍の挨拶は巨大な岩だった。
袁術軍にとっておなじみとなりつつある投石機の一斉発射である。
黄巾の乱の際に派手に使用していたため、反袁術連合の雑兵にも知れ渡っていて心構えをした……しかし、それは仮初の心構えで、そんな非現実なことを明確にイメージができるほど妄想力豊かな人間ばかりではなかった。
そして、現実にその洗礼を受けるとなるとその仮初の心構えなど飛来してくる大岩によって一瞬で砕ける。
飛来する大岩の近くでは逃げ惑う者と進もうとする者が入り乱れ、混乱が発生するがさすがは烏合の衆であっても正規兵だ。黄巾賊は全体が混乱へ陥ったのに対して着弾箇所から離れている兵士達は前進を止めない。
そんな勇敢な兵士達が次に迎えられたのは袁術がこの世界で呂布と並ぶチートであると謳った李典が作り出した連弩、床弩が放つ、大量か質量がある矢であった。
投石機の岩は点の攻撃なのに対して矢は面の攻撃であり、岩が襲い掛かってくるという恐怖に比べれば矢一本一本の恐怖は小さい。しかし、その数が万を超えるとなれば話が変わる。
何処に避けても意味がないと思わせる絶望感を盾に隠れてやり過ごそうとする。あの盾すらも貫通する大きな矢の標的にならないことを祈りながら。
そもそも汜水関に攻城戦を挑もうというのは無理難題なのだ。
旧首都である長安を守る函谷関は六十六メートルの城壁を誇る。そしてそれと並ぶ汜水関、虎牢関はそれと同じ城壁を備えている。
そのような城壁をどうやって攻略するつもりなのか、袁術軍のように投石機があったなら時間さえ掛ければ何とかなったかもしれないが反袁術連合は渡河する必要があった上に袁術達が兵糧に加え、資材の買い占めも行っていたため満足な攻城兵器も得られていない。
実のところ、難攻不落の汜水関ではなくても通常の城を落とす程度でも苦戦するような状況なのだから難攻不落の汜水関を落とそうというのは無謀の極みである。
「無策に過ぎる。見ていて兵が可哀想だ」
城壁の上から次から次へと倒れる兵を見て関羽が零した。
元々農民の出である関羽は同じような身分である者達のあまりな死に様に心が痛む。
涼州軍は確かに戦っていた。しかし、この目の前に繰り広げられているのは戦いではなく一方的な虐殺である。
本来なら自軍有利と喜ぶところだが、さすがにここまで一方的となると傲慢と言われようが一言言いたくなるというものだ。
黄巾の乱の時にも似た経験をしているのだがあちらは賊に堕ちた人間であり、更に言えば戦うことを選んだ者達だ。
反袁術連合の兵士達は罪があるわけでもなく、戦いを望んで来た者ばかりではないだろう。それこそ農民であった頃の関羽であったなら一歩間違えれば彼らのような立場になっていたのだ。
「それにしても文聘殿の指揮は相変わらず見事だ」
計算し尽くされた指揮の下、効率良く、迅速に、しかし不測の事態にも対応したその指示はとても真似出来ないと改めて思う。
「籠城戦で文聘に並ぶ者なし」
そんな感想を呟いたあたりで敵が城壁下まで辿り着くことに成功した。
もっともその数は少なかったが、それの対処が関羽に任された仕事であった。
いくら汜水関が難攻不落と言っても守る兵士も矢や岩などの物資は有限であり、全く近づけさせないというのは無理な話であるため、敵が攻めてくるポイントを絞り、それを関羽が叩くことで効率的に始末しようということになっていた。
ただし、これには文聘にとって大きな計算外のことがあった。
「…………彼らはどうやってここまで来るつもりなのでしょうか」
それは城壁まで辿り着いた部隊に対しての言葉だ。
なぜ文聘がこのようなことを言ったかというと辿り着いたはいいがどう見ても梯子もなければ城壁を崩すための攻城兵器もない。
そんな状態で城壁に辿り着いても意味がない。
実際辿り着いた部隊はどうしたらいいのかわからず、弓矢に射殺されていく。
そもそもの話、下から城壁に弓矢も届かないので今だに袁術軍の被害は転倒や矢を取る時に誤って切ってしまったなどの事故による負傷者ぐらいである。
「…………」
実はテキトーに指揮をしても勝てそうな気がしてきた文聘だった。