第百三十七話
<孫家対涼州軍>
戦いの流れを握っていたのは間違いなく涼州軍だ。
副官が孫策に討ち取られて統率力が衰えたのは間違いないが、突撃して狂わない限りは有能な将である李確と郭汜は姜維に力尽く抑えられつつ指揮を行うことで逃げ撃ちを繰り返す。
しかし、騎射を行うのは射程がギリギリであるため被害は孫家側の被害、正確には農民兵の被害が戦いに慣れてきたこともあって対処ができるようになってきたのでほとんど皆無となった。
これにより戦況はほんの少しだけ孫家に傾いた。
確かに一方的に攻撃され続けるため疲労は溜まるしストレスも溜まる。しかし、一つの要因だけは確実に孫家が有利になっている。
それは物資の消費、正確に言うと矢弾である。
何度も何度も大して効果がない弓矢を射掛けることで矢弾を消耗していく。
今までも劉璋との戦いに明け暮れていた劉表軍と流浪の身だった涼州軍にはその消費はあまりにも重かった。
涼州軍の兵站は北郷一刀が担っていたが、それはあくまで涼州軍のものであって劉表軍の懐事情は把握できていなかった。
劉表軍から苦情を告げる使者が来ることによって涼州軍はそのことを知ることになる。
これらの事情によって逃げ撃ちは変わらないが射程ギリギリの安全圏からの無駄が多い騎射ではなく消耗を抑えるために更に踏み込んで有効打となるような騎射を行うようになった。
この変化によって孫家も反撃は可能になった……のだがやはり満足に訓練されていない農民兵では弓は難しく、思った以上に効果が薄かった。
もっとも孫家が満足できる結果ではないだけで練度から考えればそこそこの損害を与えている。
この涼州軍の動きの変化でその事情を周瑜は看破し、相手が動くならばやりようがあると策を出す。
ただし、孫策に策を出せと言われたから出しただけであり、この策は周瑜としては不本意極まりないもので実行直前まで悩むが結局他に策はないと取りやめることができなかった。
その策とは、精鋭が袁術軍時代に配布されてそのままもらった草原の保護色に染めた布で身を潜めて通りがかった騎馬隊を襲うというものである。まるで山賊の部類が使うような策である。
そしてその精鋭にはもちろん孫家当主である孫策も含まれている。いや、含まれるというより率先して動く。
さすがに騎馬隊との乱戦が予想される策であるため周瑜は反対するが他に策がなかったこともあって押し切られる形で採用することになってしまう。
ならばと周瑜が寿命を削るほど本気を見せて涼州軍が孫策と正面からぶつからないように、孫策の奇襲がバレないような距離になるように自軍を動かして進軍を誘導する。
結果は……成功。
涼州軍は孫策達に気づかずに距離を詰め、孫策達は横合いから突撃することに成功する。
そして周瑜が率いる本隊も突撃して涼州軍と正面から衝突することになり乱戦となる。
騎馬隊は速度が落ちるととたんに弱くなる。そのことから相手が歩兵だろうと陣が整っている状態で衝突し合うことは避けることが基本だ。それを破られたことで涼州軍は手痛い被害を受けることになった。
被害が拡大した一番の要因は最初の奇襲の際に副官が討たれたこと、二番は李確郭汜が暴走したことで指揮系統が麻痺してしまう。
それがわかっていたので万が一近接戦闘になる場合は姜維が指揮を執ることになっていたが二万近い大軍を指揮したことがあるわけもなく悪戦苦闘。
北郷一刀は姜維と共に付いてきた二千の部隊を指揮するが——
「ほう、孫策もやりおるな。まさか郭汜を討つとはのぉ」
それに草原で伏兵を仕掛けるとは大胆じゃな。
まぁこうでもせんと歩兵が主軸である孫家を含める劉備軍では騎馬隊に対抗できんじゃろう。
この戦いで北郷率いる(?)劉表軍は二千の戦死者、郭汜が討たれたことで千が離脱し、劉備軍は三千の被害が出ておる。
結局この戦いだけでも双方の被害は同数であるし、初戦の戦いや逃げ撃ちによる被害も含め、更に劉備軍の方が総数は少ないのだから相対的には負けておる。
しかし、劉表軍が失った三千は騎兵であり、更に希少な武官である郭汜を失っておる。
それぞれ失った駒が大きく、どちらが有利かと言うと……まぁ劉備軍じゃな。
なにせ、劉備軍は劉備という大徳()チートがある。
兵士はポコポコ生まれるんじゃよ。
それにしても……やはり兵站は大事じゃと改めて思う。
劉表軍は兵站が万全なら北郷達が翻弄し続けることができたし、郭汜が討たれることもなかった。劉備軍ももう少し余裕で進軍することができたであろう。