第百四十四
孫策達の行動が把握できたことで憂いはなくなったのぉ。
「もうそろそろ反撃に出たいところなのじゃが……」
「お嬢様ぁーさすがにこれ以上徹夜するのは冗談抜きで死んでしまいますぅ」
七乃が珍しく吾に反対意見を言ってくるが……それも当然じゃな、目の下には立派な隈ができておるし、顔色は悪い……というか常に身体がゆらゆらと前後左右に揺れておるぞ。本人が無自覚であろうから余計に危機感を煽る。
まぁ半月も満足に寝ることができなければそうなるじゃろうな。
「そういうお嬢様だっていつ夢の世界に向かってもおかしくないような表情してますよー」
本当は反撃する準備は終了しておるのじゃが、問題は本格的な戦闘を始めるとまた仕事が増え、もしそれで決着がついたとしても戦後処理という更なる仕事の増加があることは目に見えておる。
しかも、もうすぐ……もうすぐ……収穫の秋がやってくるのじゃよ?!実った作物が吾等を苦しめるのじゃ!しかも風車や水車による大規模な灌漑とプランテーションの成果により今までにない量の収穫が予想されておるのじゃ。
幸い、今徴兵しておる民兵ぐらいならば脱穀機や風車による製粉によってマンパワーに余裕ができておる。
「というか吾等は大丈夫じゃが、他の奴らは大丈夫なんじゃろうか」
ついつい敵や仮想敵の奴らのことまで考えてしまう。
何処もかしこも戦争戦争と忙しないが、その戦争に使われておるのはほとんどが民兵じゃ。いい加減黄巾の乱によって多くの農地が放置、荒らされ、多くの民が死に、労働者の減少しておる上に今回の内乱じゃ。
どれだけの民兵が使われておるのか、どれだけの兵糧が使われておるのか、どれだけの労働力が使われておるのか、どれだけの農地が放置されておるのか。
……このタイミングで吾が反袁術連合軍を打倒し、併合してしまった場合……この負の遺産が全て吾等にのしかかってくる……わけじゃよな?
「……よし!反撃は無しじゃな!とりあえず、今まで通り根回しだけは怠らんようにしておく程度でよかろう」
「さすがお嬢様!臣下のお声を聞き入れるその姿はまさに皇帝!」
「はっはっはっ、もっと褒めても良いぞ!」
(朕の前で皇帝を名乗るなど反逆罪に等しい……が、正直皇帝なんぞ辞めてとりあえず寝たい)
ん?帝が眠たそうにしておるのぉ。仕方ないか、謎の病()が治りそう経っておらんにも関わらず、無理を押して仕事に取り組んでおるのじゃから……もう少し書類を増やしてあげようではないか。
「な、なぜ書類を手に朕に向かって来て——いや、置いて行くでない……置いて行かないでーーーー!」
うむ、良いことをした後は清々しい気分になるのぉ。
こうして袁術軍幹部の一身上の都合により膠着状態はもう少し続くことになる。
汜水関。
それは袁術軍と反袁術連合軍が睨み合う戦いの場だ。
しかし、そこは開戦当初とは随分と様相が違っていた。
戦況が?戦力が?いや、どちらでもない。なら何が変わったのか……地形である。
度重なる攻防が行われたのは想像に難くないと思う。
しかし、なぜ地形が変わったのか?それは——投石機によるものである。
本来なら投石機による石程度では地形に変化を与えるなどないだろう。だが、籠城戦において一方的に攻撃できる手段として関羽が増産を願い、袁術が受理したことで三千を超える投石機を用意し、投擲用の石や岩も不足なく供給し続けたことで——
「まさか山……丘ができるとは思わなかったな」
関羽は自身の命令で作り上げた目の前にある石や岩で出来上がった丘を見て、自身の主は改めて規格外であることを再認識した。
投石機による間断ない投石により少しずつ、少しずつ積み重なってゆき、最終的には丘と呼べるほどの高さとなってしまった。
そのせいで反袁術連合軍に攻撃拠点を与えてしまったという間抜けなことも発生しているが、更に投石を行うことで撃退が容易く、そして更に山が積み上がっていくという悪循環に陥っていたりする。
ちなみに近隣で世にも珍しい戦場光景に噂になり、少数ながらも観光客が訪れているのは余談だろう。
「このような戦い方は劉備殿のところでは考えられないな」
過去の、劉備の手助けという長い休暇を思い出す。
金がない、食糧がない、あてもない、練度もない、あるのは志だけは高い主と粒揃いの将と数だけの兵士という貧しすぎる軍団。
それを率いる事となった時の苦労は今でも忘れることができない関羽であった。
「あの時、兵士達は希望に輝いていたが……あれは……あの輝きは間違いなく偽りの輝きだ」
劉備という眩しすぎる存在に目が眩み、自分の立っている場所すらも把握できなくなってしまった人々の集まり。
その眩しさに一時的に惑わされそうになったことは関羽自身、否定できない。
だが、それも厳しすぎる現状を見直せば、権力と金と人に恵まれていた場所を思い出せば、すぐに冷めるものでしかなかった。
「例えるなら袁術様の治める地に住む民は自由や幸福な輝きを発しているが、劉備殿の民は必死に命を燃やす輝きか……命を賭けるのも悪くはないが」
それは劉備の掲げる、皆が笑顔で暮らせる世界とでは相反するものだろう、と思う関羽だった。
「関羽将軍、洛陽より援軍が到着しました」
「やっと援軍か」
汜水関に援軍、それは紀霊が鍛え上げた民兵一万を率いる楽進と董卓から派遣されてきた張遼が率いる一万、合わせて二万の援軍である。
「あれが涼州の騎馬兵か……なかなか精強そうだな」
同時に単純そうだな、とも思ったがさすがに口にはしなかった。
「そうやろ?ウチらが来たからには安心してええで」
「それは心強い……が、なぜおぬしはそんなにやつれておるのだ?」
服装こそ変態チックではあるがその身体から発する武から関羽は目の前にいるのはかなりの武人だと察した。
察したのだが、顔色が悪く、どこか体調が悪そうなことが気になった。
「……袁術に書類を——」
「わかった。皆まで言うな」