第百四十七話
<帝>
「ふぅ……袁術が風呂は命の洗濯と言っておったが確かに生き返る……朕は今まで死んでいたのか?……あながち間違いではないか」
一つの仕事が終われば二つの仕事が、二つの仕事が終われば六つの仕事が、六つの仕事が終われば十八の仕事が溜まる異国の宗教、仏教というものに出てくる無限地獄とはあれのことではないのだろうか。
これが朕だけに押し付けられたものであるなら怒り狂えるのじゃが近くにはそれを上回る地獄を視ていると何も言えなくなる。しかも少なくとも五人もいるのだから一番偉いはずの朕が狂えるはずがない。
「一番偉い……か……」
偉いとは何なのか。
あまり多くは会うことができなかった前帝である父は事ある毎に「朕が大陸全てであり、大陸が余である」と言っていた。十常侍も同じように囃し立てていた。
そして袁術は朕に「陛下の父君はこれぐらいの仕事朝飯前で熟しておったぞ。ウソジャナイゾ?」と言っていた。その言葉を当時の朕は信じていた——しかしっ!
「絶対嘘ですよね!あんなぶよぶよな父上がこんなに仕事しているわけない!」
いくら当時、即位して間もない頃だったとはいえ、仮にも帝を使って帝を騙すなどと大陸中で袁術ぐらい……いや、孫権や紀霊はないが、魯粛や張勲もやりそうだ。
「でも、間違いなく人としては充実している」
自分の行っている仕事は間違いなく民のため、人のためになっているという実感がある。
例え紙の上でしか確認できなくともそれが事実であることは共に働く袁術が証明している。
袁術は朕を帝として扱わない。それどころか民達よりよほど酷い労働環境であると思う。しかし、それは袁術自身も行っていることを朕は知っている。
そのような姿を見せられて、上がってくる報告が全て偽装されているものだとは思えない……もちろんいくらか偽装されてはいると思う。だけどそれは多分私欲ではなく、必要だからしているのだと信じている。
そもそも私欲という意味でなら袁術は大陸一の資産と権力を有しているのだ。そして趣味は蜂蜜……いや、体のすべてが蜂蜜でできていると言っても過言ではないぐらい蜂蜜を好んでいるが、それは所詮十常侍達が行う贅沢などより遥かに安上がりなものでしかない以上、それほどの財貨は必要ない。
「……しかし、このような地獄を日常化させてまでしたいこととは何なのだろうか」
宮殿にいる文官を総出にし、多く集った地方の文豪達を扱ってすらあまりある仕事量を生み出したのは間違いなく、一番苦しんでいる袁術自身だ。
その袁術が何を求めているのか、それがわからない……わからないが——
「それが民のためになっている。それは間違いない」
帝など捨ててしまいたいと思ったことが何度もあったが、あれは度重なる徹夜による思考の狂いだ。決して本意ではなく、朕は帝として正しい姿でありたいのだ。
後日、それをなぜか知った袁術が言った。
「帝が書類仕事をするのは正しい姿じゃないぞ?帝は体裁を整え、人を見極めるだけでいいのじゃ。おぬしが今しておるのは吾の押し付けじゃ」
と若干帝の心を挫くとともに正しいあり方を教えるのであった。
さて、益州攻防戦の続報が届いたのじゃ。
様子見をやめて決戦へ……となればまだ面白かったのじゃが、まだ様子見が続く……が、今回は規模を大きくし、三万対三万、率いるのも劉備軍は趙雲、張飛、馬謖、馬良、劉璋軍は黄忠、厳顔、魏延、張任、冷苞と主だった将のほとんどを投入したのじゃから多少は面白いかのぉ。
しかし、諸葛亮と鳳統は一体何を考えておるのじゃ?なぜわざわざ様子見など行っておるのか。
劉備軍には時間がないのは吾以上に理解しておるはず、にも関わらず相手に合わせるような様子見ばかり……七万以上の軍を出撃させれば六万しかおらん劉璋軍相手になぜじゃ?
…………もしや劉備か?今の劉備軍は食糧以外にも武具が足りておらん。つまりただただ集まった烏合の衆じゃ。
それを戦闘に参加させるということは兵士と言う名の民を肉壁にするということに気づいたのかもしれぬ。
しかし、無能なら無能で気づかねば良いものを……肉壁は肉壁なりの使い道があるのじゃからの。そのあたりが分からぬ諸葛亮や鳳統ではあるまい。
消耗は激しいじゃろうが消耗戦ともなれば相手が正規軍である以上、簡単に補充することができるわけがない。それは例え資産に溢れておる吾であっても変わらぬ。
それとも……戸惑っておるのが諸葛亮や鳳統ではあるまいな……これは調べさせた方がいい案件じゃな。もしそうであるなら想像以上に劉備軍は楽に倒せることになり、計画にも変更が必要じゃ。
さて、続きを……趙雲と馬良が加わったことで連携が上手く行くようになったようじゃが劉璋軍も黄忠、張任、冷苞が加わっており、特に黄忠、張任の率いる部隊は弓兵が多く、しかもその統率力は見事なもので、張飛の突出した武力で陣を崩そうとしたり、趙雲が崩れた陣を広げようとした時は必ず、統率された弓矢による一斉射撃によって妨害を受け、かなりの損害を受けることとなったようじゃ。
これにより積極的な攻勢が掛けづらくなった劉備軍はジリジリと押されるようになってしもうたようじゃ。