第百七十話
関羽は思う。
あまり籠城戦と変わらないな、と。
強いて違いを言えば、相手が攻勢を強めれば矢の弾幕が厚くして近寄らせず、相手が退いていけば前進して間合いを保つこと、そして籠城よりも疲労が溜まりやすく、矢玉の消費が激しいので補充と休息を兼ねて頻繁に兵士の交代を行わなければならないため神経を少し使うぐらいだろう。
(むしろ味方に敵がいる気がする)
それはもちろん曹操のことである。
彼女の発する覇気は間違いなく誰かの下に収まるものではないと見抜いている。
そんな彼女にこれほどの兵力を預けて大丈夫なのだろうか、仮に今回の戦いが無事終わったとして、約束された地位は冀州牧、つまり、袁紹が手にしている冀州をそのまま曹操に渡してしまうのだから関羽の危惧は常識的には間違っていない。
もっとも袁術的常識で考えた場合、え?これに更に冀州の仕事が増えるじゃと?!吾等に死ねというのか?!となるのだが、関羽は復帰してすぐに汜水関という前線に送られたのでまだ袁術本営の本当の厳しさ()を知らないのだから仕方ないことなのだ。
だからといって曹操に、今回の内乱で若干衰退しても尚強大な領土を与えるというのは新たな戦乱を引き起こすのは曹操を知る者にとっては当然の認識である。
それに関して袁術はどう思っているのかというと……まぁ、なるようになるじゃろ。と何も考えていなかったりする。
このことを関羽が知ったらどんな目に遭うか楽し——哀れでならない。
(それに……曹操殿にはいい加減、言い寄ってくるのも止めてもらいたい)
ちょっと……いや、かなり熱烈なアタックを受けている関羽としてはそろそろ本格的に曹操を敵として認定しようか真面目に考えていた。
行軍中はもちろんのこと、食事、訓練、入浴(袁術軍では行軍中でも一定の階級以上なら簡易浴槽にて入浴が可能、一般兵でもお湯の使用が可能)、寝室、終いには就寝中、つまり夜這いを仕掛けたこともある。しかも何度も。
いくら立場を考慮して温厚な態度を示し続けていた関羽でも限界が来ていた。
(ただ、どう対応するかが問題だ。私が下手な断り方をして外交問題になる可能性が……曹操殿は私の事以外には立派な方であるし、大丈夫だとは思うが)
と悩みが絶えない。
戦場でこんなことを考えるのはあまりに不謹慎であるが、現状はあまりに安定していて油断があっても負けることはなく、そして何より関羽としては割りと重大な悩みなのだ。幸いなのがあまりに真剣に悩んでいたことで周りには油断が伝播するどころか、既に戦勝ムードが漂い始めていたところを吹き飛ばし、改めて引き締めて掛かるようになっていた。
とはいえ、兵士達の油断はある意味仕方ないだろう。最初こそ矢の応酬があったが今となっては一方的に攻撃し続けて敵はバタバタ倒れ、味方はほぼ揃っている状態なのだから。
「関羽様!!あちらを御覧ください!!」
汜水関から共に戦ってきた副官が指差す方向を見ると、関羽はこの戦いの終わりが見えた気がした。
関羽の見た光景は、一部の軍が明らかに命令などではなく、周りを無視した勝手な撤退である。
戦場を一時離れる後退ではなく、戦場から本格的に離脱する撤退である。
「こうなってしまえばもう戦えないだろうな」
まだ油断できる数の敵ではない(関羽は自分が油断していたとは気づいていない)が、それでも一人の諸侯でも撤退してしまえば、もう士気は保てはしないだろうと考え、それが現実となった。
動揺が波紋を広がり、兵士の逃走から部隊の離脱、そして軍の撤退へと移っていく。
「……また私の出番がなかった、か」