第百七十四話
「曹操殿、いい加減にしてください。私は貴女の思いに答えるつもりはありません」
いつもの厳しさがある声とは違った、固く拒否を示す険のある声を発する関羽。
そしていつもの覇気とは別種の気……色々と小さいくせに色気をプンプン振りまいて詰め寄る曹操。
やる気のある肉食獣がやる気のない肉食獣をハントしようとしている構図である。他に人が居たならばどう対応していいか悩んだことだろうが、幸い……関羽にとっては不幸なことに誰もいない天幕内の出来事である。
「一緒に居られるのは今日が最後なんだから思い出くらいいいでしょ」
「良くありません」
曹操達は袁紹討伐を兼ねた冀州制圧、関羽は小領主の討伐と分かれることが決まったのが今日である。
別れを惜しんで曹操は夜這いを決行して現在に至る。
もっとも冷たくあしらわれている訳だが、今日の曹操は一味違う。
この気を逃せば次ぎに会うことができるのは袁術の領域内か、もしくは敵として相対する可能性が高いのだから多少無理してでも……という思いがあるのだ。
(今日こそは可愛い声を聞かせてもらうわ)
(本当に困った人だ)
袁術から外交なんぞ気にしなくていいから関羽が思うようにすれば良いぞ。という許しを得てからと言うもの、言葉を飾らずに断固として拒否してきたのだが、それでも曹操は諦めないので関羽は本当に頭を悩ませていた。もしこれが才気溢れる曹操でなければ、老若男女、立場も気にせずに斬り捨てていた可能性もあるぐらいには悩んでいる。
「今日は引く気はないわ」
気持ちを言葉にすることで自分がどれほど本気なのかを伝える。
だが、どれだけ思いが込められていようが受け入れるつもりは関羽にはない……ないが間違いなく一歩を踏み込んできたことで、掛かる圧力が強くなったのを肌で感じた。
(……袁術様の下に帰りたい)
思えば、関羽は劉備のところから帰ってきてすぐに籠城戦、決戦、そして今の討伐戦と長い間戦場にいた。
更に曹操からのしつこい閨への誘いとあって、少し精神的に疲労しているようで、袁術がサボらないように見張っていた平和な頃が恋しくなった。
そして、関羽はなぜこんなことを口走ったのか、本人にもわからない一言を呟いた。
「そんなことをしていると袁術様に嫌われますよ」
「私が美羽に嫌われる程度で止……め……るわけ…………」
(——何、この感じは……気持ち悪いわ)
曹操は湧いてきたわからない何かで戸惑い始め、関羽にもそれが見て取れた。
そして関羽に見られていることに気づくと——
「き、気分じゃなななくなったわ。失礼するわね」
そう言って天幕を後にした。
「むほほほほ、笑いが止まらんのぉ」
「お嬢様、さすがに品がなさすぎます」
孫権のツッコミはスルーじゃ。
まぁ悪役風に笑ったのじゃから気持ちはわからんでもないがの。
「それに今更この程度の金額を見てもどうとも思わないでしょ?」
そう、吾が笑っておったのは目の前に積まれている金を眺めてのことなのじゃ。
確かに今更な額ではあるが——
「いやいやいや、袁家の馬鹿共から巻き上げたと思えばまた違った価値があるというものじゃよ」
袁家の馬鹿共は袁紹ざまぁと共に戦うために私財を投げ打ってまでも戦に備えるまでに至ったのじゃから吾としては喜ばしいことなのじゃ。
馬鹿への嫌がらせという子供じみた理由が主ではあるが、別の理由もある。
それは万が一降伏してきた場合にあるのじゃ。もちろん逆賊であるから死罪にするのは当然なのじゃが、死罪にして私財を没収してはいらぬ疑いが生まれるかもしれんからのぉ。
そもそも袁家の馬鹿共の私財など、それこそ孫権が言ったように吾にとっては既に端金に過ぎんのに疑われるだけでも心外じゃ。
むしろまた倉を構えなくてはならんから面倒なことこの上ないんじゃぞ。
「それで華琳ちゃんの方はどうなっておる」
「概ね順調です。袁紹が帰還してまだ軍備が整っていないため、道中の小領主を制圧して周っているだけですから停滞などあるはずがないですけど」
まぁそうじゃな。
連合が瓦解して統率を失った今の小領主達に勝ち目などあるはずがないがの。不安要素としては兵站の維持、ほとんど死兵化しておることじゃな。
今のところ兵站の維持は問題は起こっておらん。小領主達も馬鹿ばかりではなく、中には光るものを持つ者もおり、輸送隊を襲おうと思う勢力が存在するが、そもそも出撃準備から出撃、行軍、兵站に至るまで細かく情報を得ておるから輸送隊のルートを逐一変更したりしておるから被害は出ておらん。
情報は裏商会を使わず、一般人や商人、兵士などに金を掴ませて把握しておる。裏商会は極秘中の極秘じゃからな。
ちなみに一々ルート変更をしておっては物資が滞るのではないかと思うじゃろ?そんなものは数で押せばどうとでもなるのじゃよ。
そして死兵化した敵であるが、華琳ちゃんの率いる兵士が減ったと言っても相手は更に減っているので今までと同じように弓矢で大きく敵を削ることができるので特に問題にはなっておらんようじゃ。
もしこれが通常の戦いとなった場合は脅威となるじゃろうがな。