第百八十話
益州ではここ最近、とある議題で会議は紛糾していた。
それは——
「宣戦布告もせずに奇襲を仕掛け、袁術を負傷させた逆賊北郷は直ぐに討つべきじゃ!」
「しかし、苦しい時に同盟を結び、余裕ができたからと斬って捨てたとあってはあまりにも無情ではないか」
北郷の処遇に関してである。
未だ力が足りない劉備達にとって、今の段階で中央と、袁術と争うのは愚策であり、少しでも口実に成りうるものは排除すべきだというのは内応で人民の被害を抑えた功績と益州の南側の領主達を寝返らせたことにより人脈を得て発言力を増大させた張松である。
それに対して、用が済んだことで捨てるかのような義に反する行為を軽々しくは容認できないと反論する趙雲。
北郷排除派は益州の安定を望んでいる益州豪族と劉璋とは違い勝利は約束されたものであるため戦果が芳しくなかった者達から成っている。
北郷擁護派は劉備の人徳を汚すことを良しとしない者達から成っている。
簡単に言うと、利権派と人情派の対立と言い換えてもいいだろう。
そして劉備勢の中枢とも言える諸葛亮や鳳統は中立を保っていることで話が進まないでいた。
諸葛亮達は心情的には人情派寄りだが、軍師としての立場的には利権派寄り、劉備の臣下としてはやはり人情寄りという複雑な立ち位置に判断を迷っているのだ。
更に、人情派というのは南荊州に入る前から劉備に仕える、所謂古株と言われる者達の割合が多く、共に戦ってきた戦友であることもあり、軍師としても軽視することができないのだ。
「家臣でもない何処の馬の骨ともわからぬ者のために我々がどうなってもよろしいのか!」
「盟を軽々しく破っては桃香様の美点を潰すことになり、それではこれから先やってはいけぬ——」
話は平行線。
では、この状況を打破できる唯一の劉備はどうしているのかというと……様子見、というよりも発言をせずに時間を稼いでいた。
これはもちろん諸葛亮達の指示であり、本人は断然人情派寄りであるのは語るまでもない。
しかし、だからといって益州を手に入れたばかりである以上、この地の豪族達を軽視するわけにもいかないというのには変わらない。
だが、これらは全て先日までの話である。
今まではこの平行線のまま無意味な時間を過ごすことになるのだが、今回は趙雲の張松への向ける視線はかなり冷たいものとなっていた。
「何処かの主君に文字通り命懸けで尽くす忠臣を暗殺し、そしてその主君が降伏しようとしたところを都合が悪いと殺して手柄として取り入った者のように、な」
その言葉を聞いた瞬間に張松だけが時間が止まったかのように固まり、張松を中心としていた派閥の者達からはざわめきが起こる。
そして張松の止まっていた時間が動き出す……大量の冷や汗を流すという形で。
「な、なんのことを言って——」
「別におぬしを責めているわけではない。ただ、義を軽んじる者はその者の信も軽んじられると言いたいだけだ。そもそもおぬしだとは言っておるわけでもないぞ」
これにより大きく流れが変わることとなる。
最初は証拠もない趙雲の発言でしかなかった。しかし、いつの間にか張任の暗殺の証拠やら実行犯やらが集まり、張松が行ったことが表沙汰となる。
とはいえ、それは劉備勢にとって勝利へと導くための功績であるため責められることではない。
ただし、責めと評価は別物である。
これが袁術の下なら問題はなかっただろうし、曹操ならそのやり方に不愉快ながらも理解して評価するだろう。
しかし、張松が仕えているのは劉備であり、そのあり方に魅せられた者が多く集まる場所であり、未だに劉璋から降った者達にとっては時が経っておらず、その忠が色褪せるほどには至っていない。
つまり、張松はほとんどの派閥に嫌悪される存在となったのであった。
もちろん、この騒動の影には——
「ほっほっほ、死ぬよりも辛い思いをするがいいのじゃ」
「さすがお嬢様!生き地獄を再現するなんて……よっ!大陸一の悪女!」
何処かの女王蜂が暗躍していたのは言うまでもないことだろう。
なぜ袁——女王蜂が張松を陥れ、北郷を助けようとするかというと、張松が言っていた通り、益州を攻めるための口実、大義とするというのがもっとも簡単だったからだ。
ただ、北郷が独立勢力としてどのような行動をするのか気になるという興味本位なところもあったりする。
女王蜂自身も恋姫の二次小説を読んでいたことを考えれば仕方ないことかもしれない……もっとも、それも自身に火の粉が降りかからぬ限り、であるが。
(できれば北郷vs劉備という戦いを見てみたいものじゃ……まぁ北郷には明らかに将が足りぬから勝負にはならんじゃろうが)