第百八十四話
曹操と袁紹の本格的な戦争は熾烈を極めた。
特に曹操軍は今までのような被害を抑える、弓矢による遠距離からの攻勢ではなく、直接刃を交える近接戦闘を積極的に行うようになった。
とするなら将兵の質、兵站が十二分に整っている曹操が兵士の数に多少の差があろうが圧倒的有利だと誰しも思っていた。
それは敵である袁紹自身も例外ではない。
しかし、それを覆したのは、後ろがない袁紹以外の袁家であった。
「ここで退けば後は無いと思え!!」
「袁家の底力、今こそ見せる時!!」
「袁紹様のおっぱいは私達のものだ!!」
「ふん、胸など所詮は飾りよ。良妻顔良は私がいただく!」
「押せ押せ押せ!!」
「顔良ちゃんは儂の嫁じゃ!」
「なんじゃと!!」
「なんだと!!」
一部、と言うより半分ほど関係ない上に喧嘩まで始めてしまったところもあるが、概ね士気が高く、曹操軍相手に善戦をしている。(顔良の取り合いは文醜が乱入して鎮圧、そして斗詩はあたいの嫁宣言までがテンプレ)
兵士同士の戦いではこのようなことぐらいあるだろうと思えるが、この世界の将は規格外の強さを誇る。であるなら曹操軍の将は一体どうしているのか——
「あー!!!鬱陶しい!!」
「兵士さん達全然戦う気がないよー」
袁家が私財を投げ打って、とある商店から購入した猛獣捕獲用投網の連打により夏侯惇や典韋、許猪といった武に長けた将が拘束(物理的にも遅延という意味でも)されていた。
この影にはもちろん女王蜂がいるのは言わずもがな。
女王蜂的には武将対策用投網の劣化版である猛獣捕獲用投網がどれほど通じるかの試みである。
投網自体は将自体もだが、馬に対しても動きを縛ることもでき、本領発揮することができないでいた。
しかし、だからと言ってそれほど甘い曹操軍の野獣ではなく——
「ならば!」
投網を掴み上げ、見事なフォームで袁紹兵に向かって投げつける。いや、その勢いは叩きつけると表現する方が正しいだろう。
それを受けた袁紹兵はもんどり打ち、その隙に夏侯惇がなで斬りにしてそれに兵士達も後を続く。
「おお!さすが春蘭様!よーし、ボクも負けてらんないぞ!!」
許猪も夏侯惇に倣って投網を……なんて面倒なことをせず、手持ちの常人には持てないようなガンダm……鎖で繋がれた棘付き鉄球を今まで以上の速さで振り回すことで袁紹兵を吹き飛ばす。
その光景を遠くから眺める猫耳は、かなり苛立ち混じりに呟いた。
「なぜあの袁紹がここまで戦えるのよ。可笑しいでしょ。どう考えても連合で決着だったでしょ。それともこれが名門袁家の底力とでも言うわけ?!」
そしてハッと嫌な予想が脳裏を過る。
もしそうだとすると既に漢王朝の最高官位と途方もない財力(と蜂蜜)を持ち、そして曹操が友にして宿敵と認識する袁術の力はどれほどのものなのだろう、という至極当然の思いであった。
王佐の才を持つ彼女をしてもそれは想像することが難しかった。
まず、そもそもこのように湯水の如く物資を消耗するような戦い方は荀彧には思いもつかない……こともないが実際に行おうとは思わない。
優秀な軍師である荀彧としてはこれだけの物資を消耗するならば相手次第ではあるが人の命を消耗させた方が安く、短期で決着がつき、この激しく消耗する物資や資金を内政に回した方が効率が良い。優秀な文官にとって効率が良いというのは絶対正義である。
「普通に考えれば戦争に浪費する無能って判断するところなんだけど……華琳様が宿敵と認める袁術様が無能なわけがないわよね。それに華琳様ご自身もその手の書類を任せられたと言っていたし……華琳様に任せた書類は偽情報?いえ、今も風達が膨大(殺人的な)な仕事を任されているという連絡が来てたわね。そんな無駄な偽情報を膨大に用意するなんて面倒なことしないでしょうし……何よりあの牛女が側にいてそんな無駄ばかりするわけがないわね」
牛女とは魯粛のことであり、荀彧は彼女をかなり警戒していた。
その主要因はその才能もあるが、一番は袁術の財源となる商会が魯粛の名義で組織されたことである。
商会……つまり商人のトップである魯粛が、このような無駄遣いを安々と認めるとは思えなかったのだ。
実際のところは金が袁術の下に集まりすぎたせいでばら撒いているだけなのだが、まさかそのような理由であるとは荀彧でも予想できるものではなかった。
「ちょっとそこの汚物!春蘭にあの程度の雑魚に時間かけてんじゃないって発破かけてきなさい」
「は、はい!喜んで!」
荀彧の罵声混じりの命令に、頬を赤く染め、煌々とした表情で応える兵士は若干足取りが覚束ないながらも走り去っていく。
その姿を見て荀彧は身を震わせ——
「これだから男は気持ち悪い……死ねばいいのに、というか去勢してやろうかしら」
と更に暴言を繰り出す。
しかし、それは曹操に向ける荀彧の表情とそれほど差はない。つまりブーメランであるのだがツッコミを入れるものは誰も居なかった。