第百八十五話
曹操軍と袁紹軍が本格的な戦闘に入って十五日目で大きく戦場が動く。
伏兵や奇襲という奇策と呼ばれるものは流動的だからこそ通じる戦術である。
だからこそ曹操が手堅く遠距離から仕留めようとしていた時には使えなかったが、近接戦闘を交え始めた以上は戦場は流動的になったことでそれが可能となった。
ただし、奇策というのは戦局を覆すのに必要な一手であるが、戦力の分散、逆に利用されてしまえば敗北への決め手となる。
しかし、曹操軍には大将である曹操自身はもちろん、荀彧、郭嘉という二人の有能な軍師を始め、有能な将も揃っているのだ。
例え、袁紹軍が守りを固めたところで完全に防ぐことは難しい。
「ああー?!そちらに行ってはあの猪が待ってましてよ?!」
軍の統制というのは各々が将に匹敵する知識を有し、徹底した訓練による上意下達で効率化され、優れた武装や連絡手段を有する現代の軍人ですら行うのは難しい。
ならばこの時代の徴兵された農民兵がほとんどの軍に十分な統制を期待するのは酷というものである。
後方の戦場が見渡せられる位置の丘に陣取っているため、全貌がわかる袁紹の叫びの通り、袁紹軍は夏侯惇の前まで誘導されている。
今まで曹操軍きっての勇将、夏侯惇を抑えられていたのは万全な対策と状態であったからであり、誘導されてとなれば——
「あの猪さん、強すぎですわ!」
ただただ正面から戦うこととなる。
そして、その正面からの戦いとなれば夏侯惇に勝ると確実に言える者など大陸中探しても呂布ぐらいだろう。
その呂布どころか優れた将が小さい頃から独り立ちするまで紀霊に戦い方を学んで原作より強くなっているとはいえ、それでも二流止まりである二枚看板こと顔良、文醜ぐらいしかいない袁紹軍では止めることは至難である。
「進路上に大盾部隊を、それと進行方向の味方は夏侯惇には近寄らず、周りにいる兵士を削るように、と」
夏侯惇の勢いは殺すのは難しいと戦う前からわかっていた審配は予め用意していた緊急処置用部隊、大盾部隊を向かわせると同時に夏侯惇を孤立させられないか試みる。
だが、それすらも曹操軍の罠である。
袁紹を始め、他の将や軍師達も夏侯惇の勢いに目と思考を奪われてしまったため、全体を把握することを怠った……いや、怠ったというのは酷というものか。
何にしても袁紹軍全体に意識の穴ができ、それを曹操軍が誘っていたわけで——
「袁紹の首はこの悪来典韋が頂きます!」
戦場と呼べる地域を大きく外回りに迂回して後ろ側に回り込み、要塞化している袁紹が陣取る丘をものの見事に粉砕して突き進む典韋は正しく悪が来ているようにしか見えなかっただろう。(本当は悪来はそういう意味ではない……はず)
まさか本陣が襲撃されるとは思っていなかったことで本陣も混乱する。
一応は場当たり的に守りを固めるように兵士を集めるように指示は出したが、そんなことで止まるような勢いなら本陣も混乱はしない。
「皆さん、落ち着きなさいな」
そこにいつも通りの、本当にいつも通りの声で現状がわかっていないのかと周りに思わせるほどの平常な声に冷静さをいくらか取り戻し、そして袁紹の続きの言葉を待つ。
「自害してしまえば負けることなどありませんわ!」
「「「んなわけあるか!!」」」
正常だったのは声だけで、中は大混乱していたようだ。
ツッコミを入れつつ、慌てて袁紹を正気に戻そうと平時ならまずありえないが非常時ということで頭を叩いてみる。
「ハッ?!私は一体どうしたのかしら」
何とか袁紹の正気を取り戻すことに成功した。
そして自身より混乱している者がいればなぜか自身の混乱は収まるという現象があるが袁紹本陣でもそれが発揮され、次々と対処を打ち出す。