第百八十九話
史実ではどうだったんじゃろ。
そんな意味もない言葉が頭を過る。
馬の病は思った以上に厄介なものであった。
どうやら潜伏期間が相当長いようで最近になって中華全土で次々と発症していることが調べてわかったのじゃ。
発生源は涼州であるというのは間違いないようで、涼州から離れれば離れるほど疾患数が少なくなっておる。
しかし、これも潜伏期間が長いため、何処まで当てにできるかわからん。
「それに……死なぬというのはこれはこれで迷惑な話じゃな」
死なぬ病ということは最悪の事態にはならぬ……と思っておったが、最悪にはならぬだけということもあるらしいと改めて理解させられたのじゃ。
死なないのに働かすことができない馬というのはなかなか扱いが難しい。
改めて考えると馬だけに限らぬ話であった。現代でも身近にありふれた話じゃったな。
分かりやすく言えば認知症の親というやつじゃ。
情などを考えなければ、働くどころか通常の日常生活すらも送ることが困難な上に食費や介護費が家計を圧迫し、徘徊などを防止するために家を空けるわけにもいかんという高度な兵糧攻めを受けることになる。
それと同じ現象が馬の所有者にも降り掛かっておるのじゃ。
この場合は情という面ではある程度問題ないが、資産価値という意味で殺処分するのに抵抗がある人間は多くいる。しかし、現実的には働けない馬に価値はないどころか普段よりは落ちておるとはいえ、食費も馬鹿にならぬからのぉ。
だからといって殺処分して皮や毛などを売るにしても既に見切りをつけて殺処分した者達がおり、かなりの数が流通しておる上にこれからも増えることは商人達もわかっておるので安く買い叩かれることになる。ちなみに肉は病気で死んだものを口にするのはよほど飢えておる者しか口にせんし、その飢えておる者は代価を支払う能力がないので資金回収という意味では無とほぼ変わらん。
そして、死ぬかどうかもわからんというのもなかなかに難点じゃのぉ。まだ死亡報告が届いておらんからのぉ。死ぬならとっとと殺処分するように促すだけで良いのじゃが。
「どうしたものかのぉ」
「劉備さんところは容赦なく馬さんを切り捨ててるようですけどねー」
「まぁあやつらはそうじゃろうな」
ベストではなくベター、国力がないからではなく、劉備の気質的にそうなってしまう。
劉備は何処かのへっぽこ魔術師ではなく、その未来の摩耗しておった英霊のような思考に近いからの。
被害拡大を恐れて切り捨てる。それで泣く人が居ても「皆の笑顔のためだから」と慰める。
これが己で意識して、仮面を被ってそう言っておるなら王として立派なんじゃがなぁ。それを素で言って、配下はそれを気にせんから宗教団体でしかないんじゃよ。
「曹操さんのところも孫策さんのところもまだ保留にしているようですね」
「そりゃそうじゃろうな。あやつらは今、商人を民や商人を敵に回すようなことはできん」
あの二人は理想家の実力主義君主と理想に引きづられる現実主義軍師がおるからの。
まだ占領、赴任して時が経っておらんため民との信頼関係が構築できておらん。今無理な政策を行えば反乱はないにしても溝を作るには十分な切っ掛けじゃろう。
それにこの二人はどちらかというと民よりも将を惹き付けるタイプのカリスマじゃからというのもある。劉備はもちろん民じゃな。
……え?吾?吾は蜂蜜主義の蜂蜜を集めるカリスマじゃぞ。
「そういえば、この病が流行ったのは私達のせいかもしれませんねー」
「む、なぜじゃ?」
「ちゃんと調べたわけではないので確信はないんですけど、今、中華全土の流通……でしたっけ?を握っているのは私達ですよね?ならお嬢様が言っていた病の感染というのは——」
「商会が運んだ可能性が高いということか?!」
あ、あり得るのじゃ。
史実や原作などはこの時期にこれほどの流通が成されていたとはとても思えん。
そして、このような病があったという話も聞いておらんし……本当に吾のせいかもしれんぞ。
まぁ反省も後悔もせんがの。
吾は吾のやれることを全力でやっておるだけじゃし、他に知る者がおらねば責められることもない。それ以前に責められるような軟な立場でもないからの。