第百九十九話
「やってくれたわね。美羽!」
怒りの篭った声が空気を震わせ、手に持った書簡は指に力が入っているため皺が入る。
その書簡に書かれているのはもちろんバラマキ政策の通達、そして……資金が足りないならば貸し出す用意があること、条件としてその変わり商会を冀州で営業させること、そして納税代行を商会で行うことなどと書かれていた。
「まさかこういう形で攻めてくるなんて……」
これはただの民を思っての政策ではなく、戦争ではないにしても明らかに袁術の侵略に間違いなかった。
「……これは困りましたね。民のための政策とあっては断ると華琳様の名に傷が付きますし、だからといってこの条件を受け入れるとなると税収低下は免れないかと」
「それに今まで頼んでいた商家さん達や豪族さん達から苦情殺到なのですよ」
「どちらを選んでも下手したら内部分裂ですね」
荀彧、郭嘉、程昱の三軍師がそれぞれの意見……というよりも分析した結果を述べた。
ただし、これにはいくつか誤りがある。
確かに袁術の侵略であることには違いない。しかし、彼女達が前提としている納税代行によって行われるであろう中抜き、横領などは行われることは計画に入ってはいない。
なぜなら袁術や魯粛の手先であるという先入観から見落とされているのだが、商会は手先以前に商人である。
商人である以上、信用第一であり、横領など行っては名が傷つくなどという以前の問題で商いなど行うことができない……というか地方でかなり流通して貨幣の代わりを果たしている商会券が紙屑となる可能性を秘めており、そんなことになっては大恐慌まっしぐらである。
なぜそのことに行き当たらないのか、それは曹操達の諜報員が袁術達の諜報員と暗闘を繰り広げているため、得られる情報が限られているのだ。
行商人や移住者などからも情報収集はしているが、行商人は商会や裏商会による流通によって衰退傾向にあり、移住者はそもそもそれほどの確度のある情報を持っていない。
商会が今までにない規模であることは把握しているが、どこまでの規模か把握できてはいないのだ。
もっとも確かな情報を得ても信用するかどうかは微妙であった。この時代の商家は悪どい商いが横行している以上仕方のないことである。
それに現在納税代行を行っている豪族や商家も横領しているのだからむしろ誠実な対応をしようとしている商会の方が税収が上がる可能性があったりする。
この場に袁術や魯粛がいた場合、見当違いなところで悩んでいる曹操等を見て黒い笑みを浮かべていたに違いない。
袁術達が……というか袁術が狙っているのはもっと違う場所であるのだ。
「……憎い事に、これ、強制じゃないのよね」
強制なら持っていき方によっては袁術、漢王朝のせいということで民はともかく、利権を持つ商家や豪族をまとめるあげることができた可能性があった。
しかし、これは任意である。つまり曹操の意思で決めることであって、自分達には責任はないのじゃ〜!ということだ。
「……これを実際行うとして、財政は持つ……わけないわよね」
「はい。口惜しいですが、それほどの財貨は私達の私財を投入してもありません」
袁紹との戦いでは袁術が支給する物資で損失は少なかったが、しかし戦争に勝ち、はい占領、などという話では当然終わりではない。
戦後の統治に多大な出費を強いられることになった。これが自費で袁紹と戦っていたなら膨大な戦費となっていただろう。
もっともその戦後処理に費やされた資金が丸々あったとしても到底足りないのだが。
「華琳様や夏侯家、私の実家のものを持ち出せば何とか……」
「却下よ」
曹家、夏侯家、荀家の三家は大陸有数の名家である。特に曹家は曹操の祖父である曹騰が宦官であることからその財産は……実は随分と商会に吸われているのだが、そのことをを曹操達は知らない。
どちらにしても実家の財産まで持ち出そうとは曹操も思わなかった。
「ハァ……この政策とは違った形で、減税するという方法も無くはないけど」
「さすがにそれは……今年は何とかなりますが来年、再来年には財政が破綻しかねません」
「そうよね」
貧乏というのは大変なのだ。
消費税が上がったところで収入は増えず、出費が増える。
取れる方法は親戚からか金融からの借財か福祉に頼るか借財がある場合夜逃げも視野に入る。
曹操の選択肢もそれとほぼ変わらないものである。
普通なら福祉に頼れるなら頼ればいいのだが、この場合は福祉と書いて敵であるためその手段を選ぶのに抵抗があるのだ。
「ですが、このままの条件ではやられたい放題ですからこちらから更に条件を付けましょう」
「そうするしかない……わね」
こうして曹操達は袁術の申し入れを受けることとなった。
ちなみに袁術達の狙いは——
「それにしてもお嬢様も悪どいですねー。まさか商会を通じてお金を一気に商会券に入れ替えるように仕向けようなんて」
「そうじゃろそうじゃろ。しかも他とは違って裏商会でも商会券を使えるようにして更に増し増しじゃな!」
「商会への依存度を上げ、戦争自体を回避する……さすが袁術様。その思慮深さには御見逸れいたしました」
「魯粛にそれほど褒められると照れるのぉ」
今までは冀州には裏商家しか存在せず、商会券があまり流通していなかった。
しかし、商会が進出できるとあれば、容易となり、今は内乱後の復興特需も相まって更に効率がよくなることだろう。