第二百話
「どうしよう、朱里ちゃん」
最近劉備の口癖となりつつある台詞が発せられた。しかし、その声には今までにないほど苦悩が含まれている
そして人徳のみが取り柄である劉備ではあるが、この状況は諸葛亮の頭脳をもってしても悩ませるものであった。
もちろん、その悩ます問題というのは袁術のバラマキ政策によるものである。
このバラマキ政策はある意味、劉備の存在意義を揺らがすものである。
劉備の存在意義、民が笑顔で過ごせる世を作り出すことだが、袁術の今回の政策はそれを崩す効果があった。
なにせ子供を救済する、しかも金をばら撒くという政策である以上、民には利が分かりやすい分だけ支持を得るには効果的である。税金の使い道としてはどうかとは思うが。
問題は、このわかりやすさは劉備にとっても同じであるということだ。
劉備が統治するようになって道が良くなった、失業率が下がった、街が整備された、法が整備された、などと言っても民はもちろん、劉備自身もそれが良いことだと思うが、どういう効果があるのかは理解できるのはほんの一部であり、実感は湧きづらいのだ。
だからこそバラマキ政策は是非やりたい、という気持ちがあるのだが……もちろん劉備達にそのような資金があるわけがない。むしろ毎日借金の返済のためにやりくりしているのが現状である。
ただし、諸葛亮が悩んでいるのはバラマキ政策を行う可否ではない。
そのような政策を行うのは不可能なのは検討するまでもないし、政策などと謳っているが諸葛亮から言わせれば政策でも何でも無い、本当に文字通り金をばらまく、つまり民に賄賂を送っているだけの下品な行いとしか見えない。
そもそもそのようなことをすれば民は次も次もと要求してくることになる可能性が高いのだ。
民の増長は最後には黄巾の乱よりも酷い、生きるための蜂起ではなく己の欲のための蜂起という酷い内容の乱を引き起こしかねない。
甘すぎる飴は何か政策に失敗すればそれが失点となって不満が噴出する確率が高まる。
そのような博打のようなものを政策として認められない。
では諸葛亮は何に悩んでいるのかというと、実はこのバラマキ政策の通達は直接劉備達に届いていなかった。
それは益州牧として認めていないため、通達は各太守や大から中規模の街で喧伝されたことを知った諜報員や各太守から連絡があって初めて知ったのだ。
そのため多くの民達にバラマキ政策が知れ渡ってしまったため情報統制などが行える段階を過ぎていた。
つまり、民達はお優しい劉備様なら自分達にも同じことをしてくれるには違いない!という期待が高まっている。
この問題の処理を間違えば、間違いなく支持基盤が揺らぐことになる。
現状、大勢は袁術が有利である。しかも新たな国を作ったわけでもないので表向きは益州も未だに漢王朝の一部なのだ。ここで民の支持を失えば、名実ともに独断占拠を行う罪人となってしまう。
それはなんとしても回避し無くてはならない。
「何か目を逸らす必要があります」
「目を逸らす?」
「はい、とてもバラマキ政策なんて行える状態じゃありませにゅ——あわわ、噛んじゃったでしゅ」
「大丈夫だよ。朱里ちゃん!頑張って!」
「ありがとうございます。ですから民の目線を何処か別のところに逸らす必要があるんです」
「でもあれだけ大々的に知らされちゃったら難しくない?」
「例えばですけど、お腹が凄く空いている人にお金と食事、どちらが欲しいか、と聞けばだいたいの場合食事と答えますよね?つまり、皆が皆、求めることが違うんですよ」
「なるほど、私達にできる範囲で別の方法で皆を助けるんだね!」
こうして民ではなく、劉備の目も逸らすことに成功した諸葛亮であった。
今言ったことをまとめると、今できることはやる、という当たり前のことしか言っていないのだが、劉備はそのことに気づいていない。
(西の方の異民族さん達が騒がしいので鎮圧も兼ねた外征、冠婚葬祭に桃香様や趙雲さんに参加してもらう、他には……)
なんとかして資金を掛けずに目を逸らそうと頭を働かせる諸葛亮であった。