第二百二十四話
改めて見ると……すごいのぉ。
「働きたくないでござる。負け犬でござる。キャンキャンでござる」
とガラス玉にでもなってしまったかのような瞳と無表情でブツブツとリピートしておる司馬懿じゃが、その手は素早く、しかし、杜撰さの欠片もなく、少しでも無駄なエネルギーを使わないぞという意思が感じられるほどの必要最低限の動きで熟していくさまは一種の芸術のようじゃ……こんなブラックな芸術は廃棄したくなるがの。
とはいえ、これだけの労働力を確保できたのは本当にありがたい。蒋済さまさまじゃな。
「司馬懿も頑張ってくれておるし、このあたりで少し休け——」
「疲れた〜もう働きたくないでござる〜」
吾が言い終わる前に某パンダのように垂れてしまう司馬懿に苦笑いが堪えんかった。
「ほれ、蜂蜜入りの温かい牛乳と饅頭でも食べて英気を養うのじゃ」
「……英気を養う……つまりまだやらなくちゃだめ?」
「だめじゃな」
「ぐふっ」
「ちなみに死んだふりや寝たふりをしても目と鼻と口に辛子を入れてでも起こすからの」
「そんな殺生な」
というか、先程から怖い顔をしておる孫権を見事にスルーしておるんじゃが、なかなか肝が太いの。
「ああ、あれぐらいなら平気よ。うちの姉や妹達の働け圧力に比べたら屁じゃないわ!」
今の孫権よりもすごい圧力……よく司馬懿は働きに出る、もしくは家を出る選択を選ばなかったのぉ。
少なくとも出仕するよりは家を出て適当に仕事を探せば働く時間は短く、最低限の生活ぐらいはできたであろうに。
「お気に入りの本があり過ぎて持ち運べなかったのよ。それに家を出たら家事まで自分でしないといけないし……私はどんな圧力にも屈しない!」
だめじゃこやつ……早くなんとかせねば……いや、それ以前に、金の圧力(物理)に負けた結果が今じゃろ。まぁ面倒じゃからツッコまんけども。
一言添えるとしたら、蒋済グッジョブ!
「司馬懿、貴様……先程からお嬢様に馴れ馴れし過ぎではありませんか」
とうとう堪えきれなくなったというような様相で孫権が刺々しさ満載の言葉を放つ。
「えー、そうかな?私は結構配慮してるつもりなんだけど」
……え?そうなのかや?もしそうなら色々と躾しておかねばならんのじゃが?
「ちなみに配慮しなかったら多分ここにいないよ」
おそらく、ここというのは吾の部屋という意味ではなく、政庁……いや、ひょっとすると洛陽どころか中華という可能性もあるの。契約違反とか司馬家に迷惑が掛かるとか知った上で。
……司馬家ではどのような教育を施しておったんじゃ?
孫権も司馬懿の言葉の裏の意味を理解したのか頭痛がしているかのようにしかめっ面で額に手を当てておる。
「まぁ友達がおらんぼっちの距離の置き方が下手くそなのはともかくとして、じゃ」
「ぼっち?!と、友達いるもん!」
「妄想乙」
「お嬢様、さすがに真実を突きつけるのは可哀想かと」
と吾と孫権の生暖かい眼差しを受けてかはしらぬがプルプルと震え始め——
「ちょっと待ってなさい!!」
そう言い残して走り去っていった。
「ちょっと虐めすぎたかのぉ」
「あれぐらいで懲りるような可愛い性格だと思いませんけど」
「なかなか辛辣じゃのぉ」
「連れてきたわよ!私の唯一の友達!!」
おい、強引に連れてきてその友達が、グデッとなっておるのはともかくとして、唯一とか言い切られると切なくなってしまうじゃろ!!
「口悪い上にうるさくて、よく怒るし私と一緒ぐらい頭が良くてイラッとすることもあるけど幼馴染の張春華だよ!」
「…………死ねばいいのに」
「駄目だよ!初対面の人にそんなこと言っちゃ?!」
いや、今の言葉は間違いなく吾等ではなく、おぬしに言っておるからの?
というか、張春華って史実ではおぬしの鬼嫁ではないか。