第二百四十三話
「ん〜、久しぶりに背中を流してもらうがなかなか気持ちが良いの〜」
「お嬢様はお一人で入浴なさるのが早かったですから」
前世で男であった身で、現世でも男なのじゃから当然じゃろ。
このように親睦会でもなければ異性と一緒に入る機会なんぞ、それこそ嫁でも迎えなければないぞ。……普通は親睦会でもないが。
「そういえばお嬢様はもっと小さかった頃はどのようなことをなさっていたんですか?」
「もっとというのは今も小さいと言外に言っておるんじゃな?まぁ別に事実じゃからいいが……そうじゃなぁ。小さい頃は主に曹操と夏侯姉妹と遊んだり、曹操と夏侯姉妹で遊んだり、逆に遊ばれたりしたのぉ」
「最初はともかく、後の二つが不穏ですね」
「お嬢様の武勇はなかなかですよ」
いや、紀霊、その立派な胸を張って言うところじゃないからの?本来は侍女兼護衛兼教育係であったおぬしが止めるべきところであったはずじゃぞ?……まぁ悪いこと(法的にじゃなくてお子様がしてはいけないことという意味で)自重せずに暴走しておった吾が悪いんじゃが。
「吾がよく遊ばれたのは罠じゃ。あれは巧妙な罠じゃった」
「曹操殿もやはり幼い時から優秀でしたか」
「うむ、吾が道中を歩いておると蜂蜜の匂いがしてきたのじゃ」
「……」
「それでふらふらと蜂蜜の匂いを辿っていくと、そこには蜂蜜が入った壺があっての。そうなってしまえば近寄っても仕方あるまい?そして近寄ったところで……上から捕獲用の檻が降ってきたんじゃ」
「……作り話ですか?」
「本当のことじゃよ?」
「そうですか……」
いやー、さすがにあの時は焦ったのぉ。あれ、タイミングを間違えていたら吾、降ってきた檻が槍に早変わりして串刺しになるところであったのじゃ。
あの時は華琳ちゃん達の優秀さに感謝したものじゃ。
「ちなみにこの罠には続きがあっての。その蜂蜜は三日ほど放置されておったんじゃ。そうするとどうなると思う?」
「それは……蜂蜜が腐る……わけがありませんね」
「うむ、蜂蜜は基本的に腐らぬからの。水が入れば別であるが、それもなかった」
「では誰かに盗まれていたとか?」
「ある意味で正解じゃな。正しくは……壺の中には蜂蜜の匂いに引き寄せられた……虫がびっしりと!!」
「「ッ」」(ブルッ)
あ、関羽と紀霊が鳥肌を立っておるぞ。無理はないがな。
この二人は武人、武将であるがゆえに虫が苦手などという女々しい(女性だが)わけがない。しかし、戦に出る者にとって必要な知識というものの中に、虫や植物の知識というものがある。
なぜ必要かと言うと、無数にあるラノベなどで魔物との戦いを派手に書いておるが、人類にはそれ以上に怖い敵がおる。
それは虫じゃ。
小さく、数が多く、そして毒を持ち、空や地下から昼夜問わずに襲う、人間以上に対処が難しい敵である。
それがわんさか詰まった壺なんぞ想像したくないじゃろう……それ以前に無数に群れる虫なんぞ無条件で嫌悪感を掻き立ててもしかたないとは思うがの。
そうそう、劉備達の南蛮遠征でもっとも被害が多かったのはこの虫達であった。
住む場所が違えば虫の性質も違う。特に南に行けば行くほど危険度は増すので当然じゃな。後、虫刺されなどの攻撃によるものももちろんじゃが、食料代わりに地元に似た虫が居て、食べてしもうたことも一つの要因じゃ。農民は狭い世界しか知らんから率いる方は大変なんじゃよ。
ちなみに壺の中におった虫は毒性が強いものはおらんかった。
このような時代とはいえ、自然が少ないので毒性を持つ虫は定期的駆除しておれば繁殖よりも駆除が上回り、見かけるようなことはない。……とはいえ、死体は転がっておったから別の意味で怖かったがの。
ついでに言えば植物の知識は虫と同じく、触れただけで被れたり、食料の足しにするために必要なのじゃ。特に敗走した時や食料が焼かれた時などに効果を発揮するぞ。
「あの時はしばらく蜂蜜の壺の中を見るのが怖くなったぞ……五時間ぐらい」
「短いですね!」
「それに中を見るのが怖かっただけ柄(え)が長い匙(スプーンのこと)で掬って食べたがの」
「つまり割と平気だったんですね!」
いや、しばらくは夢にも出てきたのじゃが、その程度のことが蜂蜜を上回るわけがなかろう。
「ついでにいうとお嬢様は後日、同じ物を曹操様と夏侯惇様、夏侯淵様に贈っていらっしゃいます」
「やられたらやり返す……倍返しじゃ!」
「そういうところは子供らしいですけど……紀霊殿は止めた方がいいと思いますが」