第二百六十話
というわけでダダ滑りの吾のコイバナで開幕した美少女だらけのお泊り会。
さすがに肉体派な奴らは昼間の模擬戦なんてなんのその、元気そうにしておるのじゃ。
ただし、唯一知能派……快楽派?の七乃は既に目がぼんやりしておる。気絶して寝ておったはずじゃがそれだけで回復するほど恋ちゃんとの戦いは甘いものではないということじゃな。
その反面、陳宮は食事の後爆睡して回復しておる。やはり吾と戦った程度ではその程度ということじゃな。もしくは子供特有の少し寝れば回復するというアレじゃろうか。
ちなみに吾は寝ておらんぞ?蜂蜜さえあれば吾はすぐさまHP全快まで回復できるからの。ただし徹夜は最大HPを削るので永久ループは無理なんじゃよ。それでも耐性ができて三徹ぐらいならそれほど減らんがな!
「それにしてもたかが鯉によくそれだけ手間暇掛けることができたのです」
陳宮がフンスッと呆れを込めた鼻息を漏らす。
「まぁあの頃は今と違って自由な時間が多かったからのぉ。金にはその頃から困っておらんかったしの」
いや、本当に子供の頃って幸せじゃよなぁ。
好きな時に遊んで、好きなことに熱中して、好きな時に寝れる。絶対吾より人生謳歌しておるぞ。
まぁ、子供には子供なりの苦労があるのは重々承知じゃがの。
「さすが名家のご令嬢ですなー」
声に棘が含んでおるぞ?しかし、残念じゃな。
「言っておくが費やした金は全て吾が自分で稼いできたものじゃぞ?」
「む、ならば資金源は?」
「ふはははは……これじゃ!」
どどどん!っとな。
「……これはここに来てから親の顔より見た……蜂蜜」
「うむ、蜂蜜じゃな。いやー苦労したんじゃぞ。都心から離れずに蜂蜜摂取するのは」
「まさかの自力なのですか?!」
「ですよねー。驚きますよねー。お嬢様ったら小さい頃から無謀過ぎますよー」
「その無謀の中に路上に落ちておった女の子を拾ったというものもあるんじゃが?」
「きっとその美少女さんも感謝してますよー。毎日肖像画に向かってお祈りを捧げて、夜な夜な一人で寂しさを慰めていますよー」
ツッコまんぞ。それは地雷じゃ。沼じゃ。ガチャじゃ。
ほれ、孫権も――
「その肖像画について詳しく」
――知ってた。
いつの間にか孫権がそっち側に属しておるんじゃよなぁ。
うーん、やはりそろそろ真名を預けてやるか?しかし……仮にも男から、しかも上位の者が真名を預けるというのはのぉ。
同位、もしくは下位の者から真名を預けるのはその勇気を讃えられるが上位者からの真名を預ける行為は権威を傘に来て迫る臆病者にして卑怯者であると都ではされている。
ついでに言えばこの風潮を作ったのはあの悪名高き十常侍だったりする。
自身の真名をあえて預け、相手の真名を無理やり聞き出すという遊びが流行っておった。ちなみに真名を預けるのは十常侍達も預けたままにするつもりはなく、その後返して(殺して)もらうという感じの最悪の遊びじゃ。(前にも似たような話をしたような気も?)
田舎ではプロポーズという意味合いが強いのは平和な証拠じゃな。
「というわけで吾の財産は吾が一から築き上げたものじゃぞ」
「むむむ……」
「さすがお嬢様です」
陳宮は悔しがり……そしてまるで七乃の追随のようではあるが、言ったのは孫権じゃ。
「一体何歳の頃からそのようなことをしていらしたんですか?」
関羽は感心半分呆れ半分と言った感じの声色じゃな。
「六歳頃じゃったかな?」
「はい。その頃かと」
紀霊は一使用人ではあったが最初の頃から割とお世話になっておるからの。
いやー、よく蜂蜜採りに行って怒られたのぉ。
「ところでせっかくの機会じゃし吾の話だけではなく、皆の話も聞きたいのぉ」
「では僭越ながら先鋒として私が――」
「あ、七乃はよいぞ」
「そんな~」
いや、だっておぬし、吾の話しかする気ないじゃろ。どこから取り出したのかおぬしが定期的に吾に描かせた『お嬢様記念集』がちらちらと見え隠れしておるぞ。
というかそれ、あまり見せて欲しくないのじゃが……なにが悲しくて吾が吾の記録(黒歴史)を絵に起こさねばならんのじゃ。
「ふむ、では関羽の話でも聞いてみるか」
「私、ですか?しかし、話せる内容などあまり……あ、最近美味しい桃饅頭のお店を見つけました」
……それはボケか?それとも天然さんか?吾的には後者じゃと思うんじゃが。
「そういう話もいいと思うんじゃが、ほら関羽はこの中で一番あっちこっち行っておるじゃろ?」
北は黄巾の乱の時に冀州、南は劉備の手伝いで南荊州とかなり広い地域を行っておる……というか吾や七乃、魯粛は基本敵は机の前にいて動けぬし、紀霊はあまり吾から離れたがらぬ。恋ちゃんや陳宮は黄巾の乱の際にそれなりに動いておったじゃろうが語り手としてはイマイチじゃからのぉ。
そして移動距離的に一番の周泰じゃが、基本的に要警戒の董卓や華琳ちゃんへの諜報を主としておるし、根を付けての情報収集ではなくて忍び込んでの情報収集であることから滞在期間は短いからのぉ。
その点、関羽は黄巾の乱は戦場ではあったが戦後処理や劉備の手伝いという長期任務であったから民の暮らしやその地の違いなどを知っておろう。
「なるほど、では……」