最後はわざとです
第二十五話
<周瑜>
まさか雪蓮の溜まった仕事を終わらせるために三日も部屋に篭もることになるとは思わなかった。
何よりあの仕事量はなんだ。いくら雪蓮にサボり癖があるといってもこれほどではないはずと程立と郭嘉に確認してみたが返事は……
「早速洗礼を受けたんですねー。是非(私達の仕事を減らすため)頑張ってください」
「向かい側の光景が書簡になってからが本番(修羅場)です」
言っている意味がわからない。
洗礼?これが標準だと?
書簡で埋まる視界が正常だと?
しかもあの書かれている収支は何だ。金額が三桁ほど間違えているのではないか、盛るにしても盛り過ぎだ……と言ったら郭嘉が「ああ、過去の私がいる」と言っていた。
次に聞いた言葉は「あの数字……実数ですよ」と耳を疑う、いや医者に掛かるほどの難聴だと言われても不思議には思わんほどの衝撃を受けた。
更に追撃するように程立が「ちなみにあれは一年の収支じゃありませんからねー。この一ヶ月の収支ですから勘違いしては駄目ですよー」と言い放つ……改めて思い出しても冗談にしか聞こえない内容だな。
それからしばらく無心で目の前の仕事を処理していると……嫌な話だが、慣れてしまった。しかし代償として三日も徹夜してしまうことになったがな。
正確に言うと気づいたら三日も経っていた。
ん?そういえば雪蓮はどこ行った?……処理している最中に何か言っていたような気もするが……そもそもそれがいつの話なのか記憶が定かではない。
ああ、目が重い。それに空腹が……そういえば食事はどうしていただろうか、無心で処理していたため記憶にないが……む、意識をすると空腹が……食堂はどっちだったか。
あまり食堂は利用しないため記憶を辿っているとトコトコトコと軽い足音が聞こえる。ふむ、これで道案内を頼めば解決か……と思っていたのだが、そこに現れたのはこの人外魔境の主であった。
もっとも目の前の少女は神輿であり、実際の主は魯粛であるというのは民、それこそ子供すらも思っていることだが……しかし、こういうあり方もありなのかもしれない。
雪蓮のように引っ張る主という形が一般的ではあるが、目の前の少女……袁術のように誰かが支えたくなる主というのも悪く無い。健やかに成長し、奸臣が居なければ、であるが。
「ふむ、顔色も悪いし眠っておらんのじゃないか?蜂蜜でもどうじゃ?」
前半では心配そうにしておきながら後半は期待を込めて勧めてくるというのはどうなのだろう。心配はついでで後半が本命か?しかし蜂蜜……確か彼女が蜂蜜を好んでいるというのは聞いた。
しかし、ここまでとは思わなかった。正直、他者に勧めるには贅沢過ぎるものだと思うのだが……いや、彼女の家臣は俸給はあの額だったか。ならなんとかなる金額か。
そんなに瞳をキラキラさせて見つめられると……これを断るのは空いている腹を加味すると些か難しく誘いを受けることとなった。
それに今まであまり話したことがない。神輿であっても人の上に立つ、太守と話す機会などさすがに多くないので話してみるのもいいだろう。
そうすると嬉しそうにうむうむと頷き、誘われるまま四阿へ足を向けたのだが……そこには見たことがない花が植えられ、見事に咲き誇っていた。
これは南の異国から手に入れた物で、近いうち帝に献上すると言っていたが納得の美しさだ。七弦でもあれば弾きたい。
そんなことを思っていたからなのか袁術は私にこの花を贈るなどと言い始める。これが相手が男性であったなら下心を疑うが……相手は同性でよかった。
だが、こんな高価な物を貰うにはさすがに恐れ多すぎて断ったが……少し残念ではあるがな。
「さて、美しき花と蜂蜜、最高の組み合わせじゃな」
コトッと台の上に置かれたのは何処からか出した樽……どこから出した。
「ほれ、まずは香りから味わうと良いぞ。蜂蜜によって香り、味、色が違うが色は他のと比べぬとわからぬであろうが香りは蜂が集めた花粉の匂い、つまり花の匂いがするからいい香りなのじゃ」
「ありがとうございます」
蜂蜜をなみなみと注がれた匙を受け取り、言われた通り、まずは香りから……ほう、これは確かに素晴らしい。
これは柑橘類の香りか、爽やかで眠気でぼやけた思考がいくらか晴れた気がする。
続いて味は……これも良い。以前風邪を引いた時に薬として蜂蜜を頂いたことがあったが、別格だ。
風邪のせいだったのかもしれないが雑味が多く、白く固形化していた物だったが……あれと同じ物とは思えない。
「うむうむ、お気に召したようで良かったのじゃ」
「正直に言いましてこれほど美味しいものとは思っていませんでした」
「蜂蜜は鮮度が悪いと香りは失い、白く固まってしまうからの。湯煎をすれば多少食べられるようになるが……」
「これほどの味に戻るとは思えません」
「その通りじゃ。栄養価はあまり変わらぬはずじゃから料理に使うには良いぞ」
「なるほど」
蜂蜜に並々ならぬ情熱があることはわかった。その理由もこの味を知れば理解できる。
「匙を返してたも」
言われた通りに返すと……む、樽の蓋を開けた。もう一杯……いや、これは——
「お、気づいたかや?これは先ほどの蜂蜜とは別の花から採取した物じゃ」
やはりか、香りが違ったからもしやと思ったが……しかし樽は同じ物なのに別の蜂蜜とは……よく見ると蓋が四つあるな。
「この樽は中は四つに仕切られておって、それぞれ別の蜂蜜が入っておるんじゃ。ちと手間がかかったが納得の一品じゃな」
大人しく樽を四つ持った方が簡単だと思うが……人間、妙なところで情熱を持つものだから仕方ないか。
「おぬしの主なら酒を入れて喜ぶんじゃろうな」
……雪蓮、早くも思考が読まれているぞ。
思った以上に周瑜は蜂蜜を気に入ってくれた。
驚きと嬉しさに今度蔵一つ分ぐらい贈るか……と思ったがこれで引かれることが多いので自重するのじゃ。
ゆっくりと、じっくりと、ねっとりと蜂蜜漬けにしてやるのじゃ。
そういえば孫策には蜂蜜酒漬けにすれば案外こちらに招くことができるやもしれん。
「ところで袁術様に聞きたいことがございます」
「うむ、答えられることなら答えようぞ。吾は今ご機嫌じゃからな」
「では……魯粛様が大変有能なことは存じておりますが、さすがに権力を与え過ぎではないでしょうか」
む、吾と魯粛に離間の計か?それとも吾への純粋な助言か?
表向き魯粛の独裁状態で吾は飾り、実情を知らん者からすれば危ういものに見えても不思議ではない。それに家臣の中では新人じゃからなぁ。
血筋で役職を決めることが多いこの時代に魯粛の重用は異例なことじゃろうな。商人じゃし。
「魯粛に権力を持たせ過ぎ……のぉ……ならば周瑜が片翼を担ってみるか?」
「お戯れを」
「ふむ、欲がないやつじゃの。まぁ魯粛は問題ないぞ?なにせ吾が連れてきた人材じゃからな!のぉ魯粛?」
「ええ、私は袁術様の可愛さにやられてますから」
お、周瑜がビクッとしたな。どうやら魯粛が近づいておることに気づかなかったようじゃな。
とりあえず魯粛を吾の隣に招き……よっと。
「あらあらまあまあ」
うむ、やはり魯粛の膝の上は座りやすいのぉ。
七乃は今はおらんし、紀霊は筋肉が凄すぎて固いからあまり向いておらんからの。
魯粛も吾の腹あたりに手を回して抱きしめてくる。
「……本当に仲がよろしいですね」
「ええ、私は別に権力に興味がないわ。でもお嬢様が健やかに成長できる環境を整えることが私の使命だと思っています」
暗に、下衆の勘繰りしてんじゃねぇよ!と言っておるんじゃな。
「ほれ、魯粛。あーん」
「あー……んっ、美味しい」
(ふむ、この様子だと心配は不要か)
「む、周瑜も欲しいか?ほれ、あーん」
「い、いえ私は……」
「あーん」
「あーん」
「ろ、魯粛様まで……」
「「あーん」」
訪れる緊張感、お互い目を離さず、じっと見つめ合う。
喰らえ、必殺!期待を込めたきらきら瞳に幼女(偽)の首傾げ!
「あ、あーん」
吾、勝利!
とりあえず魯粛とタッチしておく。
あ、周瑜が睨んでおるな。そんなに蜂蜜が食べたいか、そうかそうか。
それにしても魯粛も色っぽいが、周瑜のあーんもめっちゃ色っぽいのぉ。
黒髪褐色肌巨乳眼鏡美人……うん、要素たっぷりじゃな。これで蜂蜜をぶっかけると年齢規制が掛かりそうな絵面になりそうじゃ。
そういえばこの眼鏡はガラスなんじゃろうか?転生してからガラスは見たことがないが……
「これは水晶を削りだして作ったもので、魔除けの一種です」
む、そうなのか、つまり伊達眼鏡なのじゃな。
ガラスか……作れるじゃろうか?珪石とかどのあたりで取れるんじゃろ。と言うか珪石という名は知っておるが見たこと無いぞ。
まぁガラスができてメリットがあるとすれば望遠鏡ぐらいじゃからのぉ……この世界では普通に望遠鏡ぐらいの視力を持っておる者は結構おるから使い道が微妙じゃ。
しいて言えば部屋へ明かりを取り入れる程度か……金が稼げる?吾を金で溺死させる気か?
「……ん?なぜここに魯粛がおるんじゃ?まだしばらく掛かると言っておらんかったか?」
劉表のくそじじぃのところで交渉しておったはずなんじゃが。
「もう面倒になって豪族さん達を説得して回ったんですよ」
おっと、黒いオーラがにじみ出ておるな。
まぁ、襄陽と南陽はそれほど離れておらんしその気になればすぐに帰ってこれるか。
「こちらの要望はほとんど通りましたよ。やはり孫策さんをこちらに引き入れたのは大きかったですね」
「む?何のことかわからんが孫策のおかげなんじゃな?では褒美を与えてるとしよう。そうじゃな……蜂————