第二百七十七話
「無理ですわね」
日頃の能天気系悪役令嬢な袁紹だが、今回はそのいつもの明るさは鳴りを潜ませてそっけない声色で切って捨てる。
「そこをなんとかお願いできませんか」
そう言って縋るのは劉備の使者として訪れている諸葛亮孔明である。
孔明がこうして袁紹の下に遣わされている理由は――
「寛容寛大寡欲雅量任侠な私と言えど何度も何度もお金を催促されて、わかりましたと貸し与え続けるほど無知ではなくってよ」
そう、資金の借り入れ……借金の申し入れである。
しかも袁紹の言葉から分かる通り、何度目かわからないほどの回数を申し入れされているのだ。
それに申し入れされているだけではなく、本人が言っている通り寛容な態度で貸してもいる。
だが――
「これ以上貸しても逆立ちしたって返せないでしょう?そもそも今貸してあるお金だって返してもらえるとは思っていなくってよ。更に言うなら今月の返済も利息のみの支払いだそうですし」
劉備陣営の財政状況は火の車どころではない自体に陥っているのが現状である。
袁術の商会が撤退したことによって物流が滞るが借金はそのまま残ったことで首が回らずに袁紹を頼ったという形である。
袁紹も劉備とは黄巾の乱の際に知り合い、更に反袁術連合の際に唯一袁術に一矢報いた北郷の紹介状を携えていたこともあり、貸したのだ。
しかし、結果的に見るとそれが間違いであった。
「申し訳ありません」
諸葛亮はただただ頭を下げて詫びを入れる。
「やめてくださいな。貴女みたいな小さなこと頭を下げられると私が虐めているようではなくて」
そういってハァとため息を漏らす。
ただし、この発言を引き出したのは諸葛亮の狙い通りであった。印象操作、自分が幼い容姿をしていることを逆手に取って相手に罪悪感を与えることによって少しでも有利に事を運ぼうと本来使者として来る格ではない諸葛亮が直々に出向いたのだ。
さすが孔明、汚い。
「とは言いましてもさすがにこれ以上は無理なのは変わりませんわ」
しかし、寛大である袁紹であるが残念ながら我儘、傲慢、マイペースも兼ね備えているため自分の心情が優先されやすいのだ。
今回は自分に非が全く無い、むしろ相手にわかりやすいほど非があるので感情が揺れなず、だからこそ考えを変える気がない。
「民のためどうかお願いします」
「民のため……」
何度と無く紡がれた劉備陣営らしいその言葉を聞いて何かを思いついたようで勢いよく手を叩く袁紹。そしてその姿を見て不安を抱く諸葛亮。
「ならこの袁本初が益州を治めてあげても良くってよ!お~ほっほっほっほっほ」
勢力争いで破れた袁紹ではあるが、統治能力は優れている部類に入る。もっとも本人の統治能力というより人の見極めが上手い。
ある意味劉備と類似している統治能力である。
「それだけはご勘弁願います」
「あらそう?まぁわたくしもそれほど暇じゃないので構わないのだけど……あ、うん。やっぱり無しですわ。そんなことになったらまたぞろどんな無茶振りがおチビさんから振られるかわかったもんじゃありませんわ」
人がせっかくお見舞いを贈って差し上げたのに……と袁紹らしからぬ文句をぶつぶつと呟く。
「無茶振りといいますと例の街道整備の話でしょうか」
「ええ、そのとおりですわ」
街道整備の話は諸葛亮も知っていた。
この街道整備計画、下手をすれば劉備達い致命的なものになる可能性があった。
街道整備が益州、つまり成都に向けてのものなら問題なかったが整備が行われるのは交州と荊州に向けて、つまり東に向けて整備されるものである。
そして同時に北側である涼州ではシルクロードの整備が行われている。もちろんそれは益州に向けてのものではない。
経済というものをぼんやりとしか理解できない時代でも分かることはある。それは主要街道からズレれば村なら廃村にまで追い込まれる可能性があるのだ。そして益州はその村と同じ境遇に陥ろうとしていた。
益州は元々州というだけあって独立したからと言って困るものではなかった……はずなのだが、袁術の手によって経済がボロボロになっている現状では独立ではなく、孤立となってしまい、その行く先は明るいものとは言えないだろう。
「……袁紹さんは袁術さんに思うところはないのですか?」
態度から袁紹は袁術のことをどのように思っているのかわからず、探るように諸葛亮は控えめに問うと、袁紹はしばしポカンとした表情を浮かべ、次に浮かべたのは微笑みだった。
「わたしく、おチビさんの軍門に下ったつもりはありませんわ。でも敵とも思っていなくってよ」
「……」
どういう意味なのか理解できなかった諸葛亮を置き去りに、袁紹は言葉を続ける。
「あの戦いは天下が目の前に落ちていたから拾いに行っただけなんですのよ?おチビさんに嫉妬したのも事実ですけど。ただ……こういう結末になることは何処かでわかっていたのでしょうね」
「それはなぜですか」
「それは――」
袁紹の次の言葉に諸葛亮は肝を冷やすことになる。
「だってわたくしに勉強を教えていたのはあのおチビさんだったのですよ?それに今まで一度として勉学で勝ったことはありませんわね」
この言葉の意味が指し示すところは『運良く袁術が天下を手に入れた』という認識を完全否定することになるからだ。
そして現状がもし『袁術が手に入れるべくして天下を手に入れた』というならそれは劉備達の敵は強大なものであることになるのだから。