第三百二話
「お待ちしておりました。華琳様」
「秋蘭、貴方の働きを耳にしていたから遠く感じなかったけど、こうして会うと嬉しいものね」
「華琳様……」
「…………ところでなにかしら、これ」
「そちらはこの十日間に運び込まれた物資の一覧です」
「……(そういうことではないのだけど)こっちは?」
「移住希望者の名簿です。移住された方達は向こう五年は税を免除されるので必要なのです」
「……そっちは?」
「どこかの蜂蜜様が『そうじゃ!烏桓に苦戦するのは神出鬼没だからじゃ!ならそこら中に物見櫓(砦級)で埋め尽くせばモーマンタイじゃ!』と頭のいい馬鹿なことを周りが止めずに現場のここまで届いた計画書ですね」
「……」
「資金や物資には不安がないあたりは驚きですが、問題は人が全然足りないことですね。労働者も指揮者も物見櫓に駐屯させる兵士も足りません」
「あの子は全く……」
「ええ、有効なのは認めますがもう少し現場のことを考えてほしいものです。前線都市同士の道を整備というのは必要性からわかりますが、并州と幽州の交易路の整備などそんな余裕はありません。それにこの地は幽州と并州の境なのですからどちらかに任せたいのですが何故か両州牧が何故か拒否して押し付けて……というかこれは既に越権行為なのではと――」
「秋蘭、もういいのよ。もう……」
そう言って夏侯淵を抱き寄せる。
そして曹操は後にこう語る――夏侯淵の目が今まで見たことがないほど死んでいた――と。
「ほら、せっかくだから一緒に休みましょう。私も行軍で疲れて――」
「申し訳ありません。それはできません」
「――――」(声にならない叫び)
曹操の言葉には節々に逢瀬を含ませていた。それを感じ取れないほどの短い付き合いでもないし、長期間会っていないわけではない。
実際、言葉の意味を夏侯淵は理解していた。した上で拒否したのだ。
今まで夏侯淵が誘いを断ったことなど一度もなかったのに、旅に疲れている曹操の誘いを断るなど天変地異が如き発言なのだ。
「ど、どういうことかしら」
さすがの曹操も動揺が隠しきれず、吃った上に裏声にまでなっている声で夏侯淵を問い詰める。
本来ならいつものように丁寧な喋り方をするが内容が内容だけに説明をする。
「だめなんです。このまま休みたいのは山々ですが……まだ仕事が終わっていません」
元々生真面目な夏侯淵ではあるが、曹操の誘いを断ってまでする仕事なんて今までありはしなかった。
だからこそ曹操は驚愕したのだ。
「このまま私が華琳様と共にしてしまえば明日にはあれの三倍……いえ、もっと多い書類が襲いかかってくるのです」
「あれの三倍以上って……」
元々うず高く積み上げられていたそれが明日になれば三倍以上のだと言う。
明らかに尋常ではない。
「華琳様と共に到着した物資や人員の配置などを考えねばなりませんし、先延ばしにすれば余計に仕事が増えるだけですし」
「……それなら仕方ないわね」
そんなことになっては明日以降に支障が出るのは間違いないだろうと理解を示して呑み込む。
「仕方ないわね。汗を流してくるわ」
「はい。お気をつけて」
置いていかれることに夏侯淵は寂しさを感じつつもその感情を抑え込んで見送る――
「汗を流した後は手伝ってあげるから少し待ってなさい」
「華琳様……」
曹操の心遣いに感動する夏侯淵――――だったが。
「華琳様には華琳様のしごとがお待ちですよ。もちろん桂花の分もです」
「……ここにある分が全部じゃなかったのね」
「はい」
「……………ハァアアアァァ」