第三百二十一話
「はっ?今なんて言った?」
いい加減目付きが鋭いのに更に鋭くして報告に来た兵士を見て、刺々しい声で聞き直す少女。
「あの……その……絹を運んでいた商隊が賊に襲われました」
「悪かったわね。言葉が荒くなって」
「いえ、賈駆様のご心労を考えれば当然のことかと」
賈駆の剣幕に震えていた兵士だが、その心情を鑑みれば些細なことだった。
毎日毎日太陽が登る前から皆が寝静まって一部の明かりを灯すことができる者達すらも眠る時間となっても働き続け、目の下の隈は既に何ヶ月も消えずに常備されている。
本来なら決して負担を掛けたくない董卓にすら隈を作らせるほどの多忙さなのだからその忙しさは想像を超えるものだろう。
常日頃、何処かの蜂の女王に呪いの言葉を漏らしているのも仕方ない……が、呪って万が一殺したら更に仕事が増えるのだから何処にも救いがない話である。まぁ呪いなんて言葉が出てきて救いがある方が少ないが。
更に言えばここのところ賊の報告がなかったことも苛立ちの原因だった。
厳密に言えば異民族の襲撃は未だにあるが、異民族の襲撃の場合は賊という言葉は使わない。
賊という言葉はあくまで国内の人間に対して使うものなのだ。
袁術が政権を握ってからは好景気が続いていて、どこもかしこも嬉しい悲鳴(一部は……というか三分の二ぐらいは本物の悲鳴)が上がっている。
そんな状態で賊など多くは生まれない。もちろん、絶滅するなんてことはないがかなり少なくなっているし、規模は昔から比べれば小規模となり、大体の場合は賈駆に兵士が直接報告に来るようなものではなく書類による報告程度で終わるようなものだ。
つまり、それだけのことが起こったということだ。
「それで被害は」
「商人達は無事ですが、護衛として派遣していた者達は全滅、荷物も七割が奪われました」
「……え、護衛の派遣ってことは襲われたのは御用達なの?!」
「ハッ」
「誰よ!そんな馬鹿なことしたやつは!どっちの御用達!?」
「袁術様のものです」
「……最悪は免れた……かしら?いや、これを機と見て更に仕事を押し付けてきそうな気も……」
御用達とは何処かの太守のお抱え商人というわけではなく、帝と袁術への献上品や依頼品を取り扱う者達を指す。
そして帝への品であった場合、責任問題に発展し、最悪董卓が処刑される可能性がある……なんて普通は思うだろう。
もっとも現実は、賈駆の推測通り仕事を押し付けられるだけでなのだが……優秀な部下を殺すなんてもったいないことをするわけがない。むしろ死は救いだ!というのは袁術だけではなくフードファイター帝も含めての考えだ。
ちなみにこの御用達の裏事情は本来欲しい物があれば表と裏の商会だけで事足りるのだが商会だけを贔屓すると金が集まりすぎるということで、多少高かったり時間がかかったりと効率が悪かったりするが金の拡散を目当てに用意されたものだ。
「それにしても御用達の護衛隊が全滅なんてどういうことよ。そんな規模の賊なんて……」
「現在調査中ですが、賊の武装はほぼ何処かの正規軍であるのは間違いないかと……それに……」
言葉を濁した兵士に早く続きを言うように睨んで促す。
「賊の構成がほとんど騎兵であること、体付きや髪型、持ち物などからどうも涼州出身者のようなのです」
「御用達を襲うようなやつらがそんなにいるなんて……考えられないわね。それなら何処からか報告があるわ。それにいくらなんでも正規軍の格好をしているなんてことはないはず」
「はい。何より正規軍とは言っても我々の装備とは明らかに違います。というよりも董卓様が涼州牧に就任される以前の装備に似ているようです」
「ボクの記憶ではそんな武装が残っている場所なんてなかったと思うけど」
「はい。今の涼州は潤っていますからおそらくないかと」
「ということは……余所者か」
「私はそう考えています」
「それはそれで頭が痛いわね」
自分の領地……正確には董卓の領地だが……だけの話なら袁術や帝を除けば権力を行使することができる。
しかし、余所者となれば話は変わってくる。
領地を跨ぐような動きをされれば追跡ができないこともあるだろうし、その賊そのものが余所者である場合は勝手に裁いてしまえばトラブルの種になりかねない。
後者は袁術を頼れば罪人である以上はそれほど問題にならないが問題は前者だ。
情報のやりとりに時間がかかる時代において即時対応、臨機応変などは越権行為となる。
越権行為であっても成果があれば見過ごされるが、賊の討伐……しかも涼州の騎兵が相手となれば撃退は難しくなくとも討伐はかなり難しい。
他領に無断で侵入した上に賊を取り逃がし……いや、少しの討ち漏らしでも攻撃の対象にされることが多い。そうした結果小競り合いに発展することは日常茶飯事だ。
その程度の小競り合いなら優秀な、優秀すぎる将と勇猛な兵士達が揃う董卓軍の前に赤子にも等しいのだが、問題は小競り合いで発生する書類仕事だ。
これ以上追加で仕事が増えると単純に過労死してしまう。
できれば仕事を増やしたくはない……増やしたくはないが――
「そんなこと言っている場合じゃないわね。月の膝下で好き勝手させるもんか。巡回する部隊を増やすわよ。それと村や街との連絡も密にして。後、袁術に謝罪と対応の説明をするための使者を出すわ」
「ハッ」