第三百二十五話
「ちぃ、逃げ足が速い上に嫌な地形を利用しよるなぁ」
逃げる賊を追撃もせず、その背を睨んで苛立ちと共に声が漏れた。
「最初は良かったんやけどなぁ……いや、最初で仕留めきれんかったウチの失点やな」
自身が言っているとおり張遼が賊と……姜維との接触したのはこれが初ではない。通算四度目となる。
一度目は張遼と呂布は分かれて索敵を行い、張遼が発見し、自軍の数が勝っていることを見て取り神速を持って奇襲を実行した。
その奇襲は見事に決まり、半数を討ち取ることに成功した。
しかし――
「数が減って脅威度は下がったんやけどなぁー。その分隠れ易くなってもうたし、戦う選択肢を捨ててるし……何より半数を討ち取ってまだ士気が保てるなんて指揮官は優秀やな」
部隊の半数が死んだともなれば正規軍であっても士気は崩壊することの方が多く、組織的行動、軍事的行動に大きく制限されることが普通だ。最悪内部分裂が起こり同士討ちまである。にも関わらず、賊の指揮官は四度目の遭遇というのによく統率しているものだと張遼は感心していた。
「賊には惜しい才能なんやけど……まぁ賊は賊。戦乱中ならともかく今じゃただの危険分子だ」
「……また逃げられた」
とぼとぼと落ち込んだ様子で歩いて来るのは呂布だった。
その様子に張遼は苦笑いで出迎える。
「なんで恋ちゃんは遭遇する以前に逃げられるんやろな?」
張遼は初回以降も軽い戦闘が行える程度に接触することができた。
だが、呂布は接触が出来ていない。短弓ではなく長弓の射程になるほども接近できていない。
それは姜維の生存本能と呂布の気合が入っているせいである。
元々姜維は権威に弱いが自身より強い存在にも敏感で、張遼は格上ではあっても一方的に負けるほどの格上というわけではないため察知はできても奇襲直前程度にしかわからない。
しかし、これが呂布となると話が変わり、圧倒的格上……しかも華雄の仇討ち(死んでない)のために気合が入っているために遠く離れた位置でも姜維は感知してしまうので避けることが出来ているのだ。
もし呂布が姜維に知られずに近寄ろうとするなら三日ほど絶食すれば近寄ることも奇襲することも叶うだろう……ただし、戦闘ができるかどうかは別問題だが。
もっともそんなことは呂布はもとより張遼も、そして逃げている姜維本人もその事実を知るわけがなかった。
「これだけ追いかけ回してやれないのもしゃくやなぁ。強奪は出来てへんやろうけど」
張遼の言う通り、姜維は逃げることだけで精一杯で肝心の略奪は出来ていなかった。
このまま略奪をさせないようにすれば張遼達は知らないが、劉備や北郷達は音を上げることになるのだが……問題はこのまま現状を維持したところで董卓達も張遼達を派遣したことで増えた負担(書類)と討伐隊への支援と報告書などが日を追う毎に積み上げられていく負担()となって音を上げることになるというどちらも救われない未来しかない。
方や金も物もなく破滅、方や金も物もあっても過労で死滅。
富に差があっても瀕死の状態に変わりはないのはなぜなのか……むしろ金も物もないにも関わらず劉備達の方が余裕があるようにさえ思える。(常に政務で忙しい諸葛亮達文官と民は除く)
ちなみに袁術達も支援物資を送っている関係で董卓達ほどではないが書類が微増していたりするが、こちらは処理能力が高い(ブラック慣れ)ために許容範囲内(通常は致死量)で済んでいる。げに恐ろしきはブラック戦士の業である。
「しっかしどうしたもんか。これだけの人員と装備を投入しておいて追っ払うだけやなんて失敗とあんま変わらへんけど、被害を無駄に出すというのも違うし」
二度目と三度目の遭遇の際に追撃を掛けたのだが、逃げる先に伏兵や罠が仕掛けられていて少し被害を受けたのだ。
呂布が怖くて逃げるために姜維が全知全力を注ぎ込んで退路確保していた結果である。つまり呂布が怖い、の一言である。
更に一言を付け加えるなら……賈駆って運がねぇ!である。
もし呂布を派遣しなかったら、そもそも華雄と張遼の組み合わせだったなら姜維は察知できずに討たれるか、もっと大打撃を受けていたに違いない。
「まぁもう少し繰り返してみれば隙ができるかもしれんしな」
「ん、次、恋に手がある」
「おお、珍しくやる気やな。気配だけは伝わっとったけど何か策があるんか?」
「ん!」