第三十一話
<周瑜>
「それでこれからどうしたら勝てそう?」
そこが問題だ。
相手が亀のように引きこもっている以上、私達から攻勢に出なければならない。
矢が止んだのが切れたのなら今からでも挽回できる。太鼓がなっていながら止んだことを考えれば矢切れだと思いたい。しかし可能性としては矢の補給が追いつかなかったというだけなのかもしれない。
その可能性が捨てきれないのは敵の動きにある。
雪蓮達が半ば崩壊していた状態で追撃を仕掛けてこなかった。矢が切れたのなら距離を置く意味はなく、引き篭もる意味も薄い。
そして何より我らが崩れるという絶好の機会を見逃すほど……袁術や他の将はわからんが張勲がそれほど無能ではないことは知っている。あの袁術の傍らにいる締りのない彼女は擬態、本質は罠を張り巡らす蜘蛛、執念深い蛇だ。
もっともその本質には更に猫のような斑があるため余計に難解となっているのだが……その上、袁術も猫のような気まぐれさがあり、私の想像で収まらない行動をやってのける。そこに痺れも憧れもせんが。
「前方に堀があるんじゃから迂回して……というのは浅はかかのぉ」
「ええ、前に築けるのに左右に築かない理由はない」
「私も賛成、まるで狩れる気がしないわ」
雪蓮の勘までそう言っているとなると七割の確率であたりだろう……勘などという不確かなものを頼るのは甚だ遺憾だが、その精度は眼を見張るものがあるのも事実。
軍師としては孫子兵法書などより長く書き記す自信があるほど不本意ではあるが、先日の賊退治の際も連携が崩れたとはいえ、結果的には予想より被害は抑えられた……だからと言ってそれを認めると軍規は保てないのだけど……ハァ……今回のことで少し自重するようになってくれれば将として大きくなれるはずだが。
「矢は尽きていないことを想定して動く、死体となった味方兵から鎧を外して盾としよう」
「えー、仮とは言っても死体漁りなんてしたくないー」
「勝つためじゃ」
さすが祭殿、何処かの猪とは経験が違う。
「祭、これは遠回しに貴女を年寄りって言ってるわよ」
「阿呆な事言っておらずにとっとと仕事に掛かるぞ」
敵の様子は……動く気配はないか、できれば出てきてもらいたいものだが、あれだけしっかり守られると崩すのも億劫だ。
……蜂蜜を用意しておけばよかったか、あの調子なら簡単に釣り出せただろうが……いや、予算が……ああ、別に買わずとも袁術から贈られてくる蜂蜜がまだあったな。持ってくればよかった。
「貧乏は大変じゃのぉ〜、味方の死体漁りまでせねばならんとは!」
「駄目ですよ、お嬢様。本当のこと言っちゃ」
ああ、見事な挑発だ。狙ってやっているとしたら袁術を様付けで呼んでも良い。……まぁアレは素でやっているのだろうがな。
「戦場でごみ掃除とは精が出るのぉ〜……あ、自分達でごみを増やしたんじゃったな」
「雪蓮!」
「止めないで冥琳!あの小憎たらしいちんちくりんの首を取ってくるわ!」
「何やら近所で猫がうるさいのじゃ。盛りの季節にはまだ早くはないか?」
「いやですねー野蛮な猫は。年から年中盛って……そのわりにはまだ生娘のようですけど……あ、あんな痴女さんに言い寄ると恥ずかしいですよねぇ」
「殺す!絶対殺す!」
「落ち着いてください孫策様!」
兵士が雪蓮を抑えようとするが蹴散らされている。
ハァ、仕方ない。
「精鋭五十名に選抜し、盾を持たせた上で孫策と共に突撃せよ。祭殿は雪蓮の後に続いてください」
相手に引き篭もられている以上は取れる策は少ない。
それならば雪蓮の怒りを力を期待して突撃する方がまだ勢いがあっていい。
正直、手詰まり感が否めないのだ。
この演習には時間制限がある。そもそもこの演習は袁術の経験を積むために用意されたものである。
だから時間が経てば援軍が駆け付けることを想定していて、それまで袁術が粘れば勝利ということになっている。
近衛を率いて戦うという自体になるのは緊急時であるが、周りに味方が全くいないというのはまずありえないということでこのような想定がされているのだ。
つまり袁術を討ち取らなければ私達の勝利はない。しかし、ただでさえ引き篭もっている敵を倒すのは難しいのに、数的有利もあちらにある。
となるとこちらの長所を活かすべきだ。
私達の長所……それは——
「軍師としては策とも言えんこのような方法を使わなければならないとは……」
初動のせいで数的有利になく、平原というどちらにも地の優位がなかったはずが堀で優位に立たれた。ならば後は……個人の武、個人の質に頼るしかあるまい。
<孫策>
やっぱりまだ矢はあったわね。
でもさっき突撃した時よりは近づけた。
「さっきは無様なところを見せちゃったわね。でも大丈夫……私一人で全滅させるから」
「はっはっは、孫策様は孫堅様より剛毅でいらっしゃる」
「然り然り、しかし我らにもおこぼれを頂きたいものですな」
さすが母さんと一緒に暴れていた者達、本当は私が率いるにはまだまだ手に余る存在。
でも今は——
「孫家の名を上げる。それが優先よね……まさかあの程度の矢でやられたりしないわよね?」
「我らを殺りたければ後十倍は持ってきてもらわなければなりませんな」
「なんの百倍は余裕じゃろ」
そう、これぐらいで私達が止まるはずがない!
「ハアァ!!」
弩は平行しか撃てないから一度に撃てる人数が限られ、装填に時間が掛かるし持ち替えにも時間が掛かり、続けては撃てず、次までの間隔がある。
一度凌げば距離を詰めることできる。
……それにしてもさすが母さんを支えた者達ね。今ので脱落者はいないなんて……心強いわ。
?銅鑼も鳴った……わね——って桶?!
「ハッ!」
反射的に切り払った——けど、痛い。
これ、完全に手首を痛めたわね。
「ぬははははっ、どうじゃ七乃考案!土桶玉の威力は!」
「全くお馬鹿ですねぇー。ただの木の桶を投げるわけないじゃないですかー……本当は糞尿を入れて投げる予定だったんですけどさすがに却下されちゃいました。残念ですぅ」
イラッ
「いや、さすがにそれはバッチィじゃろ。それに臭いから吾も遠慮したいぞ。……まぁ戦争になれば我慢でき……できるかのぉ?」
「大丈夫です。臭くないようにこれを用意してます!」
「それは……香木かや?随分良い物のようじゃが?」
「この前種無し共がいつものお礼だってくれましたよ。正直汚らわしいから捨てようか悩みましたけど」
「いや、気持ちはわかるが捨ててはいかんじゃろ」
イラッ。
……もう少し、もう少しで堀まで辿り着く。
そうすれば好きなだけ暴れられる。
「む、猫が近づいておるぞ」
「しかも随分怒っているみたいですねー……なんででしょう?」
「多分蜂蜜摂取が足りておらんのじゃよ。仕方ない、また贈ってやるとするか」
その蜂蜜のせいで私の寝る場所が狭くなってるわよ!
八対二の割合よ!
二が私の寝床なのよ!
「む、何か不満そうじゃぞ。蜂蜜が嫌……なんてことはなかろうな」
む、袁術ちゃんから覇気を感じる……覇気を纏う理由が蜂蜜というあたりらし過ぎて笑えるわね。
「仕方ないのぉ。今度蜂蜜酒でも——」
「あ、今日くれるなら降伏してもいいわよ」
「孫策様?!」
ハッ?!脊髄反射的に言っちゃった?!
落ち着くのよ私。これは袁術ちゃんの罠よ。
と言うかあんた達声でかいわね。まだ随分離れてるのに普通に声が聴こえるわよ。
「本当かや?!ならいつもの瓶百個ぐらい贈るのじゃ!」
……嬉しいんだけど、それ、私の部屋全部瓶で埋まるわね。
「う、嘘に決まってるでしょ!今から私が貴女達を討つのよ!」
「おい、めっちゃ歯を食いしばってるぞ」
「それは目を瞑ってやれ、親子揃って酒好きだからな」
「と言いつつお前も渋面してるぞ」
やっぱりお酒は大事よね。
「七乃〜孫策が吾を騙したのじゃ〜」
「よしよし、純粋なお嬢様を騙す悪者はこの七乃が懲らしめてあげますからねー」
……袁術ちゃん。
張勲に泣きつくのはいいとして、蜂蜜片手じゃ駄目じゃない?
なんとか矢の雨と土桶をくぐり抜けてやっと堀まで到着……そして——
「そのまま行くわよ!」
「「「「おうっ!」」」」
そのままの勢いで飛び越え——
「やっぱり野蛮人ですねー」
張勲の声が今まで以上にはっきりと聞こえた。
足元に何かが巻きつくのを感じる。
堀の中に伏兵っ?!しかも引き摺り下ろされ——
「獣への対処は罠が基本ですよ。続けて投げちゃってください」
次は何よ……え、網?しかも鉄製?いや、堀にいる味方巻き込んじゃってるじゃない。
「近衛隊はお嬢様さえ生きていればいい死兵ですよ?自分達の命を引き換えに敵の大将を討てるなら喜ぶ変態さん達の集まりです。止めに一斉射!」
まだよ。まだ負けない!
「……その状態で全部防がれるとは、さすが孫堅さんの娘さんですねー。まぁ本当なら油を撒いて火をつけるんですけど」
「さすがにそれはいかんぞ。近衛隊が死んでしまうのじゃ」
あ、私の心配はしないのね。
「孫策はどうとでもして生きてそうな気がするからのぉ」
私をなんだと思ってるのよ。さすがに火に巻かれると死ぬわよ。
「むっ、黄蓋達が詰めてきたの」
「ここで決めきれないと辛いですねー。孫策さんが素直に死んでくれれば話は早いんですけど」
「……今思ったんじゃが、この演習は大将を討ち取ったら終わりじゃったか?」
「………………あっ」