第三百三十三話
劉備が密使……隠せているとは言いづらいが……を大量に出しているのは姜維達の支援の一環だけではない。
当然、情報収集や引き抜き、そして対袁術工作も行っている。
特に力を入れているのは揚州に存在する反袁術派との接触だ。
揚州は益州ほどの孤立してはいないが首都圏からは河を下れるとは言え、面積が広いために距離が遠くなり、そのため独立意識が強い豪族が多く、どうしても反政府寄りの思想になりやすい。そもそも揚州は漢が中華統一する直前まで楚という大国であったり、劉邦と項羽が争った楚漢戦争の楚は揚州のことを指す。つまり歴史的背景も考慮すると政府……漢王朝に反発するのは当然だとも言える。
故に袁術の唯一信用できる縁者である袁遺を州牧にしていて、袁遺も何度となく抑え込みを試みている……が、その成果は芳しくない。
そんな事情もあって対袁術工作を行うなら真っ先にあがる地である。
だからこそ密使の数も多い……のだが、その主な任務は今まで語った意味とは別物であったりする。
それは――
「まいどあり」
「こちらこそ感謝するぞ」
取引の頻度が増えているのだ。
益州は袁術によって現在経済制裁を行われている。
実際の立場はともかく、表向きの立場であまり公に手を貸すことができない孫策や他の領主達と取引はできない……ちなみに袁紹は本人が割と無頓着な上に戦争を仕掛けられると負けてしまうので半分は仕方なく応じ、袁術もそれを理解して大目に見ている。しかし取引先が袁紹だけでどうにかなるわけがない。
袁術の反発している勢力となら取引ができると考えて実行されている策で、それは的中し、現在では益州の生命線となっている。
とはいえ、いくら反政府勢力が多いとは言っても取引量が増えれば増えるほど察知される可能性が上がるためどうしても少量の取引を積み重ねることになる。
そうなると――
「フー、これだけ苦労をしてあげる利益は雀の涙、じゃのぉ」
厳顔は一つ溜息をつく。
普通の商人などなら大金と言っていい金額が手に入っているのだが、益州を支えるとなると絶対的に足りない。
だからといって無理をすれば露呈する可能性がある……頭の痛い問題である。
ちなみになぜ厳顔ほどの人物がここにいるかというと、重要性の増した交易路の護衛(益州南部から交州への整備もされていない獣道に等しい道、交州から揚州まで船で海賊を念頭に置いた飛び道具を主軸とする厳顔と黄忠が担うことになっている)と……対袁術同盟への根回しのためだ。
既に民の不満は限界に達し、生活環境の大幅改善が成されなければ暴動が発生することはほぼ確定している。そして改善できる見通しは全く無いことも確定している。
略奪部隊の編成も騎兵が少ない劉備軍では難しいことを考えれば正面から戦争を仕掛けて民の不満を逸らすしかない。
「……桃香殿についてよかったんじゃろうか」
前に仕えていた劉璋は暗愚だった。
贅沢三昧の君主で、民のことなど視界にすら入っていなかっただろう。
しかし――
「それでも益州全体が飢えることはなかった、か」
暗愚ではあったがその浪費は益州を傾かせるものではなかった。むしろ元々交易への依存度が低かったことも考慮すると地産地消されていたのだから経済をよく回していたとも言える。
それに比べ劉備と言えば――
「いかんいかん。そんな詮無きこと考えておる場合ではないな」
厳顔が任務を滞らせれば民は飢え、軍の刃は民に向けられることになる。それだけはなんとしても行わせないようにしたいと厳顔は気を引き締める。