第三十三話
吾の抱いている孫策の印象は今のところ武力馬鹿の粋がっておる小娘じゃな。
演習中に酒を呑む、軍属の者なら絶対にせぬ行動じゃ。おそらく彼女の勘が働かなかったのじゃろう。
酒を呑めるというのは孫策にとってはプラスじゃ。しかも演習で勝とうが負けようが酒を呑めるのは今は呑める。
つまり本人のプラスとなり、他のマイナス要素がそれを上回らなかった……というあたりではないかのぉ。吾の勝手な予想じゃがな。
まだまだ家長の……組織のトップとしての自覚が足らぬな。
周りの兵士達とも話しておったから他の兵士達だけでどうにかするつもりであったのであろう。なにせ行動制限をしたのは孫策だけ、率いておる部隊にまで言及はしておらんからの。
あの精鋭部隊は確かに吾の部隊を悉く粉砕しておったからわからんでもない。吾も正直、二百対三十五という数の差があれど突破されるとは思わんがかなりの損害が出ると思っておった。
結果は圧勝、十人ほど戦死扱いになったが精鋭の全滅と引き換えと考えれば安いものじゃ。
孫策もこれほどの部隊がおると思っておらんかったんじゃろうな。一人ぼっちになって唖然としておるのがわかる。
自分が招いたことじゃ。少しは反省するんじゃな。
「周瑜は将の多さで押し潰せそうじゃが……問題は黄蓋じゃな」
兵の質自体は黄蓋が率いておる孫家の兵の方が上のようで全体的に押し込まれ気味じゃな。
何よりやはり先陣を切るタイプの武官は面倒じゃ。黄蓋がおる付近の被害は早くも三十ほど出ておるのも見過ごせん。
周瑜はどうにか抑えこんでおるし、孫策が全ての酒を呑み終えるまでまだ時間が掛かりそうじゃから護衛隊は黄蓋を相手しておる楽就の援護に回すべきか。
む、そういえばこんな圧勝を考えておらんかったから銅鑼や太鼓では合図が送れんな。使いを走らせるか。
「これはひょっとすると勝ちが拾えるか?」
吾が孫家に勝てる?まだまだひよっことはいえ大金星じゃぞ。
まぁ勝因が吾によるものではなく、大体は孫策の勝手な行動がほとんどなんじゃが……はて?なぜこれほど拙い用兵になっておるんじゃ?
関羽と戦っておった時はもっとマシであったはずじゃが?
まさか吾が勝因……なんていうことはあるまいし……謎じゃ。
お、護衛隊は指示通りに側面から突撃したか……うむ、上手くいっているようじゃな。と言うか孫策が突撃してきたと同じ光景が再現されておるぞ。
護衛隊……強かったんじゃなぁ。
その御蔭で部隊が二分されて混乱しておるな。
「これで黄蓋は前だけを見ておられんなった」
もし後ろを無視するならば時間稼ぎをして後ろを全滅させて包囲、もし後ろを助けようとするなら足が止まるということでもあるから護衛隊には黄蓋に捕捉されぬよう移動しつつ肉を削るように頼んだが黄蓋の選択は……後ろの部隊の救援か。
ふむ、これが孫策なら吾の首を狙って前進したであろうが……今回はそちらが正解じゃと思うぞ。
分断された後ろの部隊と合流したところで一度起こった混乱が収まるわけでなし、戦闘しながら混乱を収めるとなるとおそらく分断された時の黄蓋が率いておった数とそう変わらん気がするのじゃ。
まぁ演習で味方を見捨てないという姿勢を見せるという意味では正しいかもしれんが、実戦を想定した演習という意味では間違いじゃと思う。
……まぁ孫策が酒に手を出した時点で破綻しておるとは思うが。
それはともかく護衛隊は……うむ、計画通り削っているようじゃな。
もちろん護衛隊だけではなく、楽就の率いる部隊も押された状態から立て直して反撃に転じておるな。
アッという間に数は……視界が良くないから正しくはわからんが三十ぐらいまでは減っておるんじゃなろうか。
「うむうむ、これは勝利が近いのぉ……あむっ」
むはーっ、ストレスから解放された時の蜂蜜は格別じゃのー。
あ、ちなみにルールの中に今回の演習準備期間、本番込みで吾の蜂蜜代は全て予算で補うというものがあったのじゃ……魯粛が吾に課したハンデなんじゃが……スパルタなのじゃ。
つまり今食しておる蜂蜜は吾が稼いだ予算で買ったものじゃ。
……え?蜂蜜代を軍備に回せばいいのでは、じゃと?何を言っておる。蜂蜜を断つと五時間ほどで手が震え始めるんじゃぞ?十時間も経てば足が震え始めるんじゃ……本当じゃぞ?じゃから近衛隊全員を騎馬隊にできる程度の……本当はお釣りが大量に出るが……蜂蜜を買ってもしかたなかったのじゃ!
あ、孫策が呑んでおる蜂蜜酒も予算から出ておるぞ。
「周瑜もなんだかんだ言って実戦経験は少ないんじゃろうなぁ」
でなければこちらの方が将が多いとはいえ、対等以上に渡り合うことは難しかろうな。
あ、そうじゃった。おそらく周瑜が連れておるのは吾の兵じゃ。最初の演説から士気はガタ落ち状態じゃろうから大変であろうな。
……あ、それに周瑜の部隊、矢が尽きたようじゃな。ここからは一方的な戦いになるやもしれん。
吾等はまだまだ矢があるからの。
ちなみに戦況は大体四百対三百三十ほどになっておるかな?七乃達は勝っておる方じゃぞ。
「これは本格的に勝ちは決まったの」
おっと、こんなことを言うとフラグが立つのじゃ。もう一度戦場を確認し——ん?孫策は、どこ、行った?
慌てて孫策を探す。
ピンクの髪の毛なんぞ目立つからすぐ見つかる……あ、なんか必死な形相でこっちに猛スピードで近寄ってきておるぞ?厠ならあっちじゃぞ。
「……現実逃避をしておる場合じゃなかったのじゃ!今吾の護衛は誰もおらんではないか?!」
あの蜂蜜酒全て飲み干したのかや?!いや、さすがにそれにしては早過ぎるような……もしかして約定を破ったのか?!
なんにしても吾が討たれたら負けじゃ。
せっかく他の者が頑張って勝利が目前というのに吾が討たれて負けたなどと他の誰が許しても吾自身が許せん。
「孫策よ。吾をそう簡単に討てると思うでないぞ!」
こうなった時のシミュレーションも出来ておるわ!
まずは櫓から降り、血と涙を呑んでスカートの常備蜂蜜壺を外して地面へ置く。
「では尋常に…………さらばじゃ!」
吾は風になるのじゃ!!
袁術は逃げ出した!
「ちょっと待ちなさいよ!大人しく斬られなさい!」
「だが断るのじゃ!」
ふっふっふ、ちょっと希望が見えてきたぞ。
あやつ、約束を守ったようで蜂蜜酒を全部呑んだようじゃ。その証拠に吾を捕まえることが出来ずにおる。
そりゃ千鳥足気味では日頃から走って鍛えておる吾に追いつけぬじゃろ。
華琳ちゃんの教えが本当に役に立つ時が来るとは思わなんだ。
む?ドサッと倒れる音が聞こえたが……おお、孫策が転けておる。
「これで吾の勝——」
<孫策>
「こんなので勝ちなんて認めないわ!」
「納得出来ないかもしれないが一応袁術を倒したのだから勝ちなのよ」
納得できるわけないじゃない!
私が転けて、手放した剣がたまたま袁術ちゃんに当たっただけなのよ!
「まぁ、みっともない勝利であるのは間違いなかろう。儂の部隊は全滅、公瑾も全滅寸前、策殿は泥酔で相手はまだ六百以上残っておったからのぉ……戦であれば敗北と言えるじゃろう」
「私としてはなぜ雪蓮があのようなあからさまな罠に掛かったのか知りたいのだが?」
うわぁ、冥琳怒ってるわね。祭も冥琳ほどではないにしても怒ってるっぽいし。
……まぁ、私が逆の立場だったら容赦なく斬り捨てるところだから怒って当然よね。
「これを言ったらまた怒ると思うんだけど……」
「……また勘か」
さすが冥琳、よくわかってるわね。
実はあのお酒を呑む呑まないに関係なく、嫌な予感がしたのよ。
厳密にいえば呑めば敗ける気がした。なら呑まなければいいのかと思ったんだけど、呑まなければ今じゃなくて将来拙いことになる気がしたのよ。
「……だったら酒が呑める今の敗けを選んだ、と?」
「またまた正解」
でも結果的には納得できないけど勝っちゃったけどね。
「しかし、演習で酒を呑むなどという悪評が流れでもすれば……」
あー、そこまで考えてなかった。
もしかして絶体絶命?
「……ハァ、こちらで情報操作でどうにかするように動いてみる。袁家がその気でもない限りはどうにかできるはずだ」
「冥琳愛してる!」
「はいはい、私もよ」
サラッと流したわね。
それにしても……
「あの資金、本当なのかしら」
冥琳に私達が受け取った予算を聞いてたけど普通の部隊の予算としては普通だった……袁術ちゃんが稼いだとされる金額が書かれていた書簡を見た時は書き間違いじゃないかと確認を取ったほどよ。
「私が把握している金額まではだいたい合っていたが……その後もそれが続くとは到底思えんのだが……不正をしていたとしても私達では調べることも出来んからな。気にしない方がいいだろう」
とか言ってるけどどうも冥琳は真実だと思ってるわよね。
「……正直、日頃から私に回ってくる仕事であの程度の金額なら割りとよく見るのだ」
「冥琳の仕事って私の代わりよね?」
「その言いようは不本意だが、そうだ」
え、私の仕事ってもっと雑用的な仕事でしょ?
「その雑用程度のことにそれだけの金が動いているのだ」
「公瑾、さすがに儂でもそれはちょっと理解できんぞ」
祭、なんとなくだけど私を馬鹿にしてない?
「納得しにくいだろうが、事実なのだ。孫家の年間運営費より多い城内清掃費を見た時は目眩がしたのを今でも覚えている」
……凄いわね。袁家。