第三百四十八話
「随分な洗礼を受けたようだな」
「ええ……でもこちらの方が大変そうね。関羽将軍」
「いつもならそれほどでも、と言えるのだが今回は苦労が多い。それと将軍など堅苦しい呼び方は公の場だけでいいぞ。孫権」
再会の挨拶と握手を交わす関羽と孫権の二人はお互い苦笑いを浮かべて苦労を共有する。
孫権は周昕を討った後残党を狩るために周りの街に出向き、警告と連携を強めた――のだが、その中には敵が潜み、何度か暗殺者が送り込まれ、時には少人数で行動している時に襲撃を受けた。
特に被害無く撃退できたのは幸いであるが心休まる場所がないというのは体力以前に精神を削る。
関羽も同じような暗殺や襲撃に遭い、その回数は十を超えてから数えず、更には治安の悪化や汚職が相次ぎ、比較的信用できる人物が裏切り者だったことが判明したり逆に犯罪者だと思われた者が冤罪であったりと疑心暗鬼、五里霧中で任務を熟して来たその身体的精神的疲労は計り知れないが、その疲労にも屈さなかったのはさすが関羽である。
とはいえ、さすがの関羽でも信頼できる相手に本音が漏れるほどには弱っていた。
そして信頼できる相手というのが袁術配下において自身と並ぶ生真面目……最近では若干怪しいが……な孫権は関羽にとっては能力が確かで波長の合う(お嬢様の教育方針以外)ありがたい存在と言えた。
「内乱というのはこれほど面倒なものなのかしら」
関羽の近況を直接本人から聞かされた孫権は重い溜息を漏らす。
そして、これほど不忠者が多いのか、お嬢様は身を粉にして働いているというのに……という本人は無意識に本音が口から小さく溢れる。
「さすがにそれはないと思いたいが……まぁお嬢様によって現在は安定した政治を行っているが今までが今までだったからな。欲という泥に塗れた者にとって清潔な世というのは生き辛いのだろう。決して共感はできないが」
「清潔というほど清潔でもないと思うんですけど」
実際、賄賂は一定額認められているし、脱税なども度が過ぎなければ見過ごされているし、法的特権も大体七割は変わらないままである。孫権が言ったとおり、清潔と言えるほど清潔であるとは言い辛いものなのだが――
「奴らは百が五十になった程度でも息苦しくて仕方ないのだろう」
「……これもお嬢様が言っていた漢王朝の負の遺産というやつなのね」
「お嬢様もなかなかに辛辣だが、身を持って経験した今となっては否定できないな」
いつもなら漢王朝への暴言を注意する側の関羽だが、さすがにこれだけ腐敗を一身に浴びた以上、強く言うことができなかった。
「ところで南荊州のことは聞いたか」
「愚姉が何かしたの?!」
「いや、むしろ被害者のようだぞ」
関羽は袁術から伝わってきた叛徒が南荊州に侵攻中だという情報を孫権に伝える。
「愚姉が喜びそうな話ね。叛徒共が被害者になりそう」
「そして周瑜殿が頭を抱えているところまでが一組だな」
孫策と周瑜の評価は本人達を知っている者達なら誰でもあまり変わらないものである。
「……愚姉に負けられないわ」
「気合を入れるのは良いことだが、暴走はしないようにな」
「ええ。お嬢様のために冷徹に、静かに、無慈悲に裁いてみせるわ」
「それはそれでどうなんだ」
と関羽はツッコミを入れるが、現状から見るにそれぐらいがちょうどいいのかもしれない、といつもの人情味のある関羽にしては些か冷たいものだった。
人間、余裕がなくなれば冷酷で残忍になるという見本である。
「さて、これからの予定だが――」