第三百四十九話
「ハァ……」
「雪蓮、いい加減その鬱陶しい溜息を吐くのをやめないか」
「だって冥琳~」
「まぁ気持ちはわかるがな」
戦が近づいているのだから孫策はやる気が漲っている……という大方の予想を裏切り孫策はやる気がないようで机に突っ伏している。
「はぁ~……これ、袁術ちゃんに漏れたら大変なことになるわよ。いいの?」
「良いか悪いかでいえば悪いが……背に腹は代えられん。遺憾ではあるがな」
「せっかく久しぶりの戦いを満喫できると思ったのに~」
不満たらたらで足をバタバタさせて駄々をこねる子供のような孫策に周瑜は苦笑いを浮かべて見守る。
「というか劉備達は手段を選ばなくなったわねぇ」
「ああ、まさか内乱を起こさせ、その後に自分達の配下を送り込んで支配しようとはな。よほど切羽詰まっているみたいだな」
そう、この内乱騒動は劉備達が引き起こしたものだったのだ。
正確に言えば引き起こしたもの、というのは語弊であり、引き起こすきっかけを作ったのは劉備達であった。
劉備達は反袁術の揚州豪族や異民族達との軍事同盟を結ぼうと行動していた。
それは順調に進み、締結への最終調整段階に入ったのだが……そこでトラブルが発生した。
前提として現在の中華において言語というのは現代中国や日本でも標準語がありながらも方言が存在するように、現代以上に様々な類似言語が使われている。
中央から離れれば離れるほど顕著になり、辺鄙の異民族である山越ともなれば異国語と変わりないと言っていい。
故に、同じ言語を交わしている者同士でも上手く思いを伝えられないことがあるというのに異国語ともなれば語弊が生まれることなど人口の数よりも多い。
そして不幸なことにその行き違いが最終局面で発生してしまい、反袁術の豪族達と山越が手を組んで立ち上がることとなったのだ。劉備の使者として派遣された厳顔の制止の声も聞かずに。
勢いだけで蜂起した彼らはまとめ上げる者がおらず、各々好き勝手に動くこととなった――のだが、その中で厳顔は最後まで粘りに粘って渡りをつけたのが揚州の豫章と会稽の南部の豪族である。
厳顔は予め諸葛亮は不測の事態に備えていくつかの策を持たせていた。
そのうちの一つが揚州の豫章と会稽の南部の豪族を孫策の領地である南荊州に攻めさせることだ。
そしてその豪族達の暴走を理由に豫章と会稽の太守を追い出し、劉備に有利になる太守をつける。それが狙いである。
ちなみに孫策達がなぜこれを知っているかというと――
「あっちの予想通り、袁術ちゃんから推薦枠もらっちゃったからできなくはないんだけどー……ねぇ?」
諸葛亮は、孫策達が討伐に成功すれば袁術は近隣である孫策に太守を選ばせて安定を図ると読んでいたが、その読みは見事的中し、袁術は孫策に推薦……つまり実質切り取り自由の権限を与えたのである。
そもそも豫章と会稽は縦に長く、袁術の支配域は全て北側であるため南は疎かになっていた。
それに支配域と言える北側すらも完璧には支配しきれていないことが露呈しているために面倒を減ら――ゲフン、褒美として切り取り自由を与えたのだ。
「まぁ気に入らないのはわかる……私の失点もあるしな」
周瑜は苦い表情で呟いた失点というのは、実のところ長沙に劉備軍が密かに集結していたことに気づかなかったことだ。
密使を送り続けていた劉備達だが、送っていたのは密使だけではなく、密かに軍を形成できるほどの数を蓄えてもいたのだ。
……まぁ益州に金も物もないから出稼ぎをしていたという側面もあったりなかったりするのだが。
周瑜が気づかなかった理由の一つに現在潜んでいる劉備軍がほとんどを荊州出身者で構成されているため、慣れ親しんだ言語や風習で孫策や周瑜よりも溶け込んでいたことが大きな要因だ。
そして劉備軍は叛乱軍の討伐……酷いマッチポンプだが……に参加することを希望している。しかも内密で。
「ハァ……戦力配分も考えないといけないのだが、万が一劉備軍と叛乱軍が手を結んで刃向かってきた場合のことを考えると頭が痛いな」
袁術からは軍権を与えられ、自由な用兵が可能になったが劉備軍が内密に討伐に参加するとなると自然と孫策の軍は兵站の関係で縮小することになる。なにせ劉備軍は兵糧の用意は本当に最低限しか備えていない……貧乏だからね。仕方ないね。
つまり孫策にタカる気満々なんだ。
だからと言って拒否しようものなら劉備軍は内部から大暴れするだろう。
「ほんっっと迷惑奴らね。協力してほしいなら前もって根回しぐらいしなさいよね!」
「それだけ余裕がないというのはわかってはいるんだが……今回のことは度が過ぎているな。しかし、今の状態で劉備が敵になるとまずい状況だぞ。内側にどれだけ潜んでいるかもわからんし、本格的に益州から攻められれば挟み撃ちどころの話ではない。とても耐えられんだろう。それに袁術の方も余裕がないようだしな」
「ハァ……とりあえず戦の準備を急がないといけないわけね……これほど気乗りしない戦があるとは思わなかったわ」