第三百五十話
「ごめんね。孫策さん。黙ってこんなことして……」
口では謝っているが、全然反省している感がない劉備に、本当に何考えているのよ!全く!迷惑だわ!!という本音を漏らしそうになった孫策だったが腹筋に力を入れてなんとか抑え、若干強張った笑顔で――
「できれば事前に連絡してくれたら助かるんだけど?劉備ちゃん」
言葉に棘が含まれているのは仕方ないことだろう。自身が利用される……しかも見返りが特に提示されていない現状なのだから。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
ここは公式の場ではないため、いくら頭を下げたところで何もデメリットがない。そのあたりを劉備は狙っているのかどうか疑問に思ったが、あのおチビちゃん二人ならそれぐらい考えているわよね。そのおチビちゃんの片割れである鳳統を睨むとアワアワして帽子をギュッと抑えて顔を隠す。
(こんな成りでも周瑜が警戒するぐらいには有能なのよね。なんかあっさり死んじゃいそうなのに……それなりに付き合っているから有能なのは知っているんだけど)
今回、劉備自身がここに来たのは討伐に同伴するためではなく、迷惑を掛けた孫策に謝罪するためである。
さすがに孫策までそっぽを向かれたら劉備は四面楚歌に陥ってしまうため、ご機嫌取りに来たのだ。これが財政に余裕があるなら物品などで済ませることもできただろうが、知っての通り劉備達にそんな余裕はない。それに比べて劉備が頭を下げるのはお金が必要ないことから、来訪したのだ。
ちなみに劉備の来訪は極秘裏に進められた。もし万が一劉備がこの騒動の裏にいるとバレてしまった場合、無害ならともかく、害を為す存在ならば容赦なく戦争になる。故にここまでの道中は荷物の中に押し込められ、一度たりとも外に出ることはなかった。
「それで?私達が協力したら何がもらえるのかしら?返答次第では……」
わざとらしく腰に下げている剣の柄の上に手を置く。いくら能天気な劉備でも意味は察したようで慌てて話し始める。
「あ、あの私達、その……お金も食べる物もないんです」
「知っているわよ。こっちからもそれなりに支援してあげているでしょ」
「重ね重ねご迷惑をおかけします」
「それで?どうなの?」
「私達が出せるものをまとめてきました」
そう言って劉備が出すのは事前にまとめておいた書類を孫策に渡した。
「……――ッ」
孫策は渡された書類を見てため息が漏れそうになったのを慌てて止める。正当な理由で責めるのはいいが、さすがにこんな場合にため息を漏らすのはマナー違反だと堪えた。
(こっちからは見せかけだけの人員だけで、劉備ちゃん達だけで討伐する……ねぇ。兵糧だけはウチに頼る……か。まぁ袁術ちゃんのところより劣るけど、それなりに余裕はあるけど……)
孫策は、より詳しい周瑜の方をチラッと様子を伺うが、熟読しているようで読む速度は周瑜の方が速いにも関わらず未だに読んでいたが、その表情はいつもにも増して険しく、眉間に皺が寄っている。
「正直危ない船を乗るにしては旨味が少なすぎる。兵糧の返済に十年掛かり、その上報酬も更に十年に分けてなんて悠長が過ぎる。それなら交州との交易路の拡張に費やした方が建設的だぞ」
現状、兵糧を提供すること自体は問題にならないと周瑜は判断していた。しかし契約内容にはかなり不服があった。
これが袁術から頼まれて、というなら驚きこそすれ信頼と恩があるのでこの条件で……いや、もっと悪条件であっても貸しただろう。むしろ一度なら無償提供も吝かではないほどだ。しかし相手は劉備となると話が変わってくる。
劉備に対して信用がないわけではない。だが、共同ならともかく貸しを作るだけというのは容易く外交問題に発展するし……何より今回のことは多少の事故があったとはいえほぼ自作自演である。それに援助しようという気が沸かないのは普通のことだ。
「そこをお願いします!」
劉備はともかくとして突破口を探すはずの軍師であり参謀である鳳統もなにか妥協案を出すこともなく、ただただ頭を下げてのゴリ押しを行うのみ。
劉備達には交渉の余地がない。遠征軍は明日の食事に困っているが、益州では次の食事に困っている。つまり出せるものがない。交渉というのは余裕がある者同士で初めて成立するのだ。
同時に、孫策達への圧力となった。
もしこの要請を拒否した場合どうなるのか、と。
(劉備達が貧しているのはわかってはいたが、ここまで追い詰められているのか。これは対処を間違えれば大惨事になりかねないぞ。下手をすると黄巾再来だ)
周瑜は劉備達の評価を改める。大規模乞食集団と言った風に。
今度は周瑜が孫策をチラッと判断を仰ぐようにみる。それに気づいた孫策は頷いて応えた。
「わかった。兵糧はこちらで手配しよう」
「あ、ありがとうございます!」
「だが、こちらにも限度がある。早期解決を期待する」
「もちろんですよ!頑張ろうね!雛里ちゃん!」
「ハ、ハイでしゅ!」
劉備達は気合だけは十分にあった。少なくても幹部達には。
「ハァ、それほど貧しているなら袁術様の傘下に入ったらどうだ。謀反人だった北郷某も既にいないのだから受け入れられるかもしれんぞ。なんなら我等が口添えするが?」
孫策達は出奔こそしたが敵対してはいないので口添えぐらいならできるのだ。
もっとも袁術の下に行けばどのような扱いになるのか……蜂蜜様のみぞ知る。
「……いえ、私を、私達を支えてくれている皆のために私は頑張ります!」
(貴様のせいでその支えてくれている皆が貧しくなっていると思うのだが……言っても無意味だろうから言わないでおくか。時間が惜しい)