第三百五十二話
「やっと北部は敵味方がはっきりしてきたようじゃの」
「孫権さんの頑張りのおかげですねぇ」
「うむ……ちょっと頑張り過ぎておる気がするので心配じゃがの」
内は孫権が率先して裏切り者(グレーも冤罪も含む)を処断したことで恐怖で縛られ、外で蜂起した者達も順調に討ち取り、揚州北部に関しては安定したようなんじゃ。
ただ、内の方で問題があっての。孫権直々に上げた首の数は百を超えたそうじゃ。
孫策も孫堅も血に飢える質だったが、孫権は違う……はずなんじゃがちょっと酔っておる可能性は捨てきれん。ただ、近くにおる関羽からそのような連絡はないので重くは見ておらんが……。
「本当に軍を動かせる者が少ないのぉ」
「戦争なんて野蛮なことはお嬢様には似合いませんよ?」
「それはそうなんじゃが」
そういう問題ではないからの?
「でも軍を動かせる者がいないわけじゃないですよ。例えば司馬懿さん筆頭に司馬家の方々とか」
「いや、あやつらをそっち(戦争)に回したら今度はこっち(政務)が滞るじゃろ」
「ですねー。私も死にたくない、いえ、お嬢様のためなら死ぬのもやぶさかではないですけど、さすがにこんなことで死ぬのは遠慮願いたいです」
「七乃が死んだら多分吾も死ぬけどの」
七乃がおらんなったら誰が吾の面倒を見るんじゃ。何より書類が軽く十倍以上になってしまうんじゃぞ。これ、吾だけの話ではなくて政庁全体の話じゃ。つまり平たく言うと国が崩壊するのじゃ。ちなみに吾が死んだ場合、おそらく経済が死ぬから……うん、多分恐ろしいことになるぞ。(語彙力のなさ)
「私とお嬢様は一心同体ですね!」
ガシッと吾をホールドする七乃にホールド返しをしつつ、孫権の件はどうしたものか、と考えておると――
「孫権さんは大丈夫ですよ。こちらの報告書を見てください」
「……ほう?」
そこに書かれておったのは孫権ではなく、孫堅が揚州におった時に世話になった豪族達が仕えたいと申し出が来ておるそうじゃ。残念ながら名簿の中には知っておる名はなかったが、家名は呉家や凌家、顧家、張家(二張の家)などが連なっておる。
「……このタイミングで孫権に取り入るなんてどう考えても面倒事になりそうじゃがのぉ」
「豪族さんなんてそんなものですよ~。強ければ寄り、弱ければ去る。本当の忠誠なんてそうはありませんよ~」
「そうなんじゃけどの……孫権は自分が上に立つことに慣れておらんから心配になっての」
もちろん孫権には甘寧以外にも家臣はおるが少数じゃし、吾の侍女として部下もおるがそれは中間管理職でしかない。そして最大の要因が……良くも悪くも素直な、悪く言えば飼い慣らされた者しか配下としたことがないのだ。
何せ、今のこの洛陽では出世欲、金銭欲、物欲などというものは縁遠い純朴な人間ばかりになっておる。
出世?冗談じゃない!それより休みを!
金?吐いて捨てるほどあるわ!それより休みを!
珍品?愛でる時間も自慢する時間もないわ!それより休みを!
とりあえず休みを!!
――ん?なにやら怨嗟の声が聞こえたような気が……気のせいか。
それに比べて豪族達は欲の塊のような存在じゃろう?孫権はだいぶ吾に染まって綺麗とは言わんが未だに潔癖なところがあるから心配じゃ。
「お嬢様ったらそんなに心配しては孫権さんのお母さんみたいですよ?」
「似たようなものじゃろ」
孫堅に託された子じゃからの。
そして袁術が危惧していたことは現実となっていた。
「先鋒はぜひ我らに!」
「なんのなんの私共が道を切り開きましょうぞ!」
「では間を取って私が……」
「失せろ!たたっ斬るぞ!」
作戦会議……というにはあまりに品のないやりとりに孫権は黙って話を聞いていない。
(なんという時間の無駄。加勢は不要と言ったのに勝手に来た上に、私兵まで連れてきた上に兵糧はこちら持ちってどういう神経しているのかしら)
そもそも袁術軍の戦術は圧倒的物量による射撃で攻撃的ではあるが待ちが基本戦術だ。そのことを説明したにも関わらず先鋒などと言う言葉が出てくるあたりで孫権は、面倒なことになったと察してはいたのだが、解決策は見いだせていない。
(こういう人材を使いこなしてこそ君主たる器と言えるんでしょうけど……私にはその才はないのかしら)
耳障りな声を聞く度に手が反射的に剣へと伸びそうになるのをグッと堪える。自分が暴走するわけにはいかない、と。
(この人達の上司は私。つまり私にとってのお嬢様。迂闊な言動は――)
と考えたが、そういえばお嬢様は結構遠慮なく斬っていたな。と思い至る。しかし、自分にはできる方法ではないと改める。
(お嬢様には張勳、紀霊殿、魯粛殿、関羽殿……そ、それに私など信頼できる家臣がいる。でも私にはこの場には関羽殿しかいない)
この軍の指揮官という立場上、強力な後ろ盾ではあるがもし今孫権が軽率な行動を取れば今まで行ってきた鎮定も無駄になる可能性が高い。
(そのあたり張勳は凄いわよね)
袁術が行う無茶によって撒かれる火種は主に張勳が火消しを行っているものである。
(とりあえずなんとかしないと戦いにまで影響が……下手をすると負ける要因となりかねないわ)