第三百六十話
孫権は悩んでいる。
それはもう頭痛がするほどの苦悩と言えるほどだ。
「ああ、お嬢様への思いと忠誠……どちらを優先すべきだろうか」
思いとは、今すぐにでも帰還し、袁術に会いたい、世話したい、一緒にいたい、褒められたい。
忠誠とは、不安定な揚州の重石として残ること。そうすることで袁術の仕事が減ることになる。
実のところ、理性は公を優先すればいいと判断を下している。それが一番お嬢様のためになるのだから、と。
しかし、本能はガンガンと訴えかけてくる。
袁術と会うことができない。 声が聞けない。 お世話ができない。 愛でることができない。
「もういっそのこと揚州を根切りした方がいい――」
「――わけあるか!!!」
孫権の不穏な発言が漏れ始めたところで関羽のツッコミと拳が頭部を叩く。
「痛っ!……関羽将軍、引き戻してくれてありがとうございます」
「全く……これで何度目だ」
「三十五回目です」
既に闇落ちして幾度。そのたびに関羽が対応していた。揚州に住まう者達の救世主だ。
「回数を聞きたかったわけじゃないんだが……」
「面目ない」
孫権自身も反省し、注意しているのだが、むしろ注意すると思考がそちらに流れて逆効果になっていたりするあたり闇が深い。
「ハァ、この調子では孫権が残るなら私もここに残るべきだろうな」
「……」
孫権は否定しなかった。
なにせ自分一人になったら情緒不安定で暴走しかねないと自身も思うからだ。
「お嬢様成分が足りない……」
「孫権……まさか酒や煙草などに依存した者が陥るという禁断症状というやつなのか」
「?!まさにそれです!」
「いや、そんなに真顔で言われても困るんだが」
なるほど~、と納得する孫権、そしてその様子に頭を痛める関羽。
「ならば一時的に袁術様にお会いしに帰り、再びここに来るか?」
関羽の甘言に孫権の心……どころか実際に体がリアルに傾く。
「そうです!一度帰ることぐらいなら問題ないですよね?!では早速帰還準備を――」
「ご歓談中失礼します!」
「……何か」
「孫権はもう少し感情を隠せ」
行動を起こそうとしたところに乱入者に険のある声を発する孫権に注意をする関羽。
もうすぐお嬢様と会えるという思いが先行し過ぎて禁断症状が酷くなってしまった故に態度に出てしまっていた。
「申し訳ありません!しかし重要な要件であると判断しました!」
「ああ、ご苦労。それで内容は?」
「ハッ!周瑜公瑾様ご来訪とのよし!」
「……え?周瑜がここに?じゃあ愚――ゴホン。姉様も?」
「いえ、周瑜様と護衛の方のみだと聞いております!」
「なんで周瑜が一人で?」
孫権が驚きつつも疑問の声をあげ、関羽もそれは同じだった。
「さて、快勝したとは言っても袁術様は孫策殿達には切り取り自由としていたはず。なら戦後処理があるはずだが……」
そうなるとなおのこと周瑜がここに来る理由がわからない。むしろ孫策が来る方が納得できる。戦後処理の役に立たないのだから。
「前触れもなかったし、少し待たせておいて」
「ハッ、わかりました!」
直ぐに対応することもできたが、あまりにも予想外の展開に関羽と話し合う必要があると考えた孫権は周瑜を待たせることとした。
「それで何が狙いだと思う」
先程まで発症していた禁断症状は奥に引っ込み、真面目な表情で孫権は関羽に問う。
相手が姉の腹心であり、もう一人の姉と言ってもいい存在であるが、今の孫権はその前に袁術の忠犬だと自負している。であるならば純粋に歓迎するとはいかない。
「常識的に考えるなら支援の要請、戦後処理の報告、境界に関しての相談などだが……」
「それを私達にする意味がわからないわね」
孫策は立場上、袁術に直接報告することが可能だし、今までそうしてきた。にも関わらず今更孫権や関羽を通す必要はない。
「まさか私に会いに来ただけ……なんてことはないでしょうし……それなら愚姉も一緒に来るでしょうし」
「となると……孫権を頼る程度の厄介事か?」
「それは…………なくはない、のかしら?」
孫策達にとって袁術を頼るのは体裁が悪い。しかし、身内を頼るならハードルは下がる。
「とは言っても私ができることなんて限られているけど……」