第三百七十四話
ピチョン。
ピチョン。
ピチョン。
ある一室で何かが滴る音が響く。
水か。
ピチョン。
否、それほどサラサラしておらず、粘度をある。
ピチョン。
油か。
否、それほど澄んだものではない。
ピチョン。
墨汁か。
否、においが鉄臭い。
ピチョン。
なら――
血か。
そのとおりだ。
「ぐふっ。鼻血が止まらない……お、お嬢様は私を殺す気なのでは」
ただし、シリアスな展開でもなんでもなく、孫権が袁術のグラビア風イラスト集を見た結果である。
ちなみに殺す気か、と言いつつイラスト集から目が離れない。顔が真っ赤にしていても視線を外さない。むしろ袁術の力作を堪能せんと隅から隅まで凝視している。鼻血を出しながら。
いくら孫権が美少女とは言ってもその姿は正しく変質者である。
「ああ、お嬢様……素敵です」
鼻血を流しながらも恍惚とした表情で呟くそれは狂信者が己の神に捧げる祝詞のようだ。
「あ!ぶない!血が本に落ちるところだった」
戦場で不意を突かれたとしても出ないような声が出たが、なんとか家宝を穢れすのを防ぐのに成功して孫権はホッとため息を漏らした。
同じ過ちを繰り返さないように鼻血を拭った。……が、止まる気配は一向に無い。
鼻にティッシュを詰めてもすぐに血で染まって意味をなさないほどだ。誰かが見ていたなら失血死してしまうのではないかと心配するレベルに到達している。もっとも本人は家宝を穢さないようにと必死である。
「……しかし、問題は……これを何処に保管するのか」
貴重品の類は金庫に保管してある。だが、この家宝はそれらとは一線を画すものであるため、特に考えずに購入した金庫に保管するのは心情的にナシだった。
「商会を通して手配するとして……問題はそれが手に入るまでどうするか、だ」
家宝……否、国宝級と言っても過言ではない(袁術が聞いたら過言じゃ!とツッコミを入れるだろう)イラスト集を一時でも無防備な状態にしておきたくはない。思いとしては肌身離さず持っていたいのだが、だからと言って文字通り肌身離さず持っていてはイラスト集には防水加工などされていないことから汗による水分で紙で作られたイラスト集がどんなことになるかは想像するなど容易く、もちろん孫権にとって受け入れられるような事態ではない。
ならばどうするか――
「まずは折れないように補強して箱に……貰った時の箱がいい物みたいだからこれに入れて、ずっと持ち歩くとしよう。そうしよう。そうするしかないな!」
というわけで常に持ち運び、身近に置いておくことに決めた。
それで問題が解決……かと言えばそうでもない。仕事中もイラスト集が手に届く場所にあるせいで孫権は集中することができず、効率を落としてしまったのだ。とはいえ、遠くに置くとそれはそれで集中できなかったりと厄介なことになっていた。
「だが、これのおかげでお嬢様に会えない寂しさも…………少しは紛れたか気がしないでもない。これで半年は戦え――いや、二ヶ月は戦える」
値引率がえげつない。一声で半額以下に値下げである。
そして家宝が生まれてもやはり本物に勝るものはないようだ。……家宝を凝視して言っているのでイマイチ信用はないが。